転生少女は貧乏領地で当主になります!~のんびりライフを目指して領地改革していたら、愛され領主になりました~
貧乏領地は草も生えない
レティシアは、前世にスマホで読んでいた小説の『王子のお気に入り男爵令嬢は甘い溺愛から逃げられない』を思い出していた。
レティシアはこの小説の中で、ヒロインに意地悪を繰り返す王子宮の侍女だ。
目の前の叔父に、領地も財産も奪われて、お金持ちの老人の妻になるか、または王子宮で侍女として働きその給料を全て渡すか、どちらかを選べと言われる。
レティシアは侍女となる方を選び、王子の住む離宮で働くが、給料全てを叔父に搾(さく)取(しゅ)され続けた。
そんな苦しい毎日の中で唯一の救いは、美しい第二王子を垣間見ることだけだ。
だが、第二王子がとある男爵の娘を好きになり、離宮へと連れてきたのだ。嫉妬のあまり、レティシアはヒロインの紅茶に毒を混入してしまう。しかし、その犯行の一部始終を王子に見られ、投獄からの処刑。
モブのレティシアは、ラスボスに嫉妬心を煽(あお)られただけの、悲しいまでにおバカな存在だったのだ。
なんてことだ。こんな小説に転生するなんて、心底がっかりした。
なぜなら、この小説のヒロインったら、すぐに第二王子に泣きついて解決してもらう、健気さアピールがうまいだけの女子ってところが気に食わないのだ!!
(それに比べて……レティシアが可哀想すぎるわ!! なにも良いことのない人生じゃない!! 波瀾万丈じゃない? レティシアが不(ふ)憫(びん)……って私がレティシアだったわ)
「読んだのなら解(わか)っただろう? おい!! 王子宮だぞ? 見(み)初(そ)められるやもしれんのだぞ? これがどういうことか、バカな小娘にも分かるだろう? 分かったら、さっさとそこにサインしろ!!」
ヤニクの怒りの声に、現在の自分の立場を再認識する。
小説の中のレティシアは字が読めずに、泣きながらサインするのよね、とレティシアが再び用紙を見る。
「小娘だと思って甘く見られたものね」
ここから、小娘の反撃だ。
「王家からわざわざ正式な書類と用紙を取り寄せてくれた叔父様。ありがとうございます」
笑顔のレティシアに、ヤニクが気を許した途(と)端(たん)、用紙を取られないように、部屋に逃げ込み、鍵を掛けた。
「おい!! 何をするつもりだ!?」
安全な自室でゆっくりと不必要な箇所に二重線を引く。そして丁寧な文字で加筆する。
「私に後見人は必要ございませんし、ましてやルコントの領地をお譲りするつもりも、訳の分からない変人変態に嫁ぐつもりもありませんもの。だから、いらない部分はこうしてっと……」
さらに、シャーと線を引いていく。
「ここを開けろぉぉぉ!!」
どんどんとドアを叩く音が煩(うるさ)いが、焦る必要はない。
そして、余った場所に『レティシア・ルコントはルコント家の財産と爵位を継承する』と書き加えた。そして、さらにいくつかの項目を書き足しサインする。
全て書き終えたレティシアは、悠々とドアを開けた。
顔を真っ赤にしたヤニクが、レティシアの手から用紙を引ったくる。
そして書かれた内容を見て怒り狂い、その用紙を引き裂こうとしたが、使用人たちに止められた。
王家の正式な書類はナンバリングされていて、簡単に破棄はできない。重要な書類であればこそ、その用紙を紛失した経緯を伝えなければならないのだ。
ましてや、勝手に破棄するなど以(もっ)ての外(ほか)。
「くっそぉぉがぁ……」
国王の顔が描かれた用紙をグシャグシャに丸めるわけにもいかず、力一杯用紙を床に投げ捨てたが、用紙が壊れるわけもなく、ふわりと落ちただけだった。
(ふふーん。勝った)
崩れ落ちる叔父の背中に、ざまあみろとばかりに嗤いを漏らす。
その声を聞いたヤニクが、ギリギリと歯噛みしながら立ち上がり、睨み付けた。
「誰もいなくなったこの屋敷で、料理すらまともにできない子供のお前が、どう暮らすのか見ものだな!!」
そう言うと、後ろで二人の遣(や)り取りを見ていた、伯爵家の使用人たちをじろりと見渡す。
「おい、ここに残っても給料は出ないぞ。この子供と一緒に野(の)垂(た)れ死ぬつもりなら残っても良いがな!」
ヤニク・ワトー男爵が屋敷から出ていくと、金魚の糞のようにぞろぞろと一列になって使用人たちがついていく。そして、本当に誰一人としてルコント伯爵家に残る使用人はいなかった。レティシアは、誰もいない屋敷に一人になる。
最後の一人の使用人がわずか九歳の少女がポツンと佇む姿に、胸を打たれている。彼女は今涙を流しているかもしれない。だが、自分もこれから先、養っていかなくてはならない年老いた母がいる。胸に苦く残る罪悪感を圧(お)し殺し、最後の使用人もヤニクへとついていった。
実際にはその罪悪感は不要だったのだが……。
なぜなら、レティシアは誰もいなくなった解放感と、すぐにでもこの窮屈な服を脱ぎ捨てられる喜びに打ち震えていたのだから。
まずは……王家に提出する書類を拾い、何度も確認。バカな叔父に殺されないように……そして、奪われないように。
そして、次に以前父が、万が一の時に使えと言っていた物を探す。
父の部屋の引き出しを開けると、簡単に見つかった。それは、『繰上移譲に関する委任状』。
世襲制の爵位を、生前に譲ると書かれたものだ。これにより、爵位の生前移譲が認められる。
「こんなにも、用意周到にしていたなんて、お父様……愛の逃避行をする気満々だったのねえ」
部屋に飾られた父の肖像画を睨んでみたが、にへらっと締まりのない顔を向けて笑っているばかり。
そんな父の顔から視線を外すと、自分の顔が鏡に映っていた。
そこにあるのはいつもの顔だが、感慨深い。
読んでいたのが小説なので、レティシアはこういう顔だったのかと覗き込んだ。
父と母から金髪と紫の瞳を受け継いだ自分の顔。いい加減な父親だったけれど、大好きだった。自分とレティシアの髪の色が同じだと喜んでくれていたのを懐かしく感じる。
『お前は美人さんになるぞ』
父の言葉を思い出しながら、ベッドに潜り込んだ。
朝の光が直接目に当たり、のそりとベッドから起き出した。
そうだ。カーテンを開け閉めしてくれる者は、もうこの屋敷にいないのだ。
朝日を浴びたお陰で、いつもよりスッキリしている。
さあ、今日はすることが多いぞ。善は急げだと、昨日署名した書類を用意する。この書類を送れば、間違いなく爵位継承も認められるだろう。
しっかりとした封筒に用紙を入れ、封(ふう)蝋(ろう)を溶かし封筒に落とす。
そして、固まる前にルコント伯爵印のスタンプを押した。
これを郵便に出すついでに、数日分の食料の買い出しに行かなければならない。もう、この屋敷には侍女もいないのだから。そう思い歩きかけたがすぐに止まる。
「かーっっ!! ドレスが長いわ!!」
誰もいないのだ。この際ドレスを脱いで下着のまま使用人の部屋に直行。
そして、そこから庭師のおじいちゃんが着ていた白いシャツと繋(つな)ぎのズボン、所(いわ)謂(ゆる)オーバーオールを見つけてそれに着替えた。
「ふーーー。これよ。この楽な格好が最高ー!」
多少の衣服の汚れなど気にしない。それに伯爵令嬢だと思われなくても構わないと開き直る。
屋敷の庭を横切り、正門のところまで来てこのまま屋敷を留守にして出掛けても良いものか考えた。結界みたいな便利なものはないのかと、レティシアは手をひらひらと振ってみる。
しーん……。
「そりゃそうよね。そんな都合の良い話はないよね……盗られるものもないし……まあいいか」
諦めて門を出たレティシアの後ろで『フォン』と音が鳴り屋敷全体が白く光ったのだが、気が付かずそのまま町に出掛けてしまった。
初めての魔法。有り余る彼女の魔力に気が付く者はいない。
王都から馬車で二時間の、立地は良いルコント領。だが、とても小さい。
他の貴族の領地は広大な土地を有しているのに、我が領地は三十k㎡。北部にはコート山があり、領地の十k㎡はそのコート山で占められている。そのコート山の奥地は王家所有の山でもあり、その線引きははっきりと分かっていない。
人口はわずか八百二十人と、かなり少ない。
その山麓にある領地北部のオルネラ村には畑が所々あるが、豊かな土壌ではなく、その領民は多くが、南部のルドウィン町に固まっている。
とはいえ南部の商業地域も賑わいはなく、廃(すた)れているのが現状だ。
九歳でこの領地の領主になり、改めて領地を見ると悲惨な状況に、ため息が漏れる。
訪れた商店が立ち並ぶはずの町には賑わいはなく、閑散としていた。ここの通りは領地で一番の発展している町のはず……。
行けども行けども、道は舗装されておらず、土埃(つちぼこり)が立っている。お店は並んでいるが、どのお店もガタガタ、ボロボロ、壊れかけ。全て木造と漆喰で建てられているが、壁の漆喰などはひび割れが激しい。
王都に限らず、今の建築の主流は石やレンガで外壁を作っている。
その景色を見慣れた他所の領地の人から見れば、ここがいかに貧しい領地か、一目で分かるだろう。
その中で唯一まともな建物があった。それは一つ目のお目当ての郵便局である。
郵便局に入ると誰もいない。仕方なくカウンターにある呼び鈴を鳴らす。
チリンチリン。
奥から不機嫌そうな髭(ひげ)面(づら)の五十代の男がチラリと見て、カウンター越しに立つが、『いらっしゃい』の言葉はない。
「こんにちは、この郵便物を出したいのですが、書留の料金はいくらですか?」
レティシアの質問に、髭面おやじは一言も喋(しゃべ)らず、壁を親指で差す。
振り向くとそこに料金が書かれた古い紙が壁に貼られていた。
「ああ、ではこの大きさだと……四百レニーですね」
レティシアがお金を置くと、髭面おやじは頷(うなず)いてお金をポケットに入れる。
そして、領収書代わりの紙に判子をついてレティシアに渡し、そのまま書簡を横にあった袋に放り投げた。
「……えーっと……」
(これで終わり?)
きちんと配達してくれるのか不安になる。
「あの……これで配達してくれるんですよね? ……王都に届けてもらえるんですよね?」
レティシアが二度も聞いたのが気にくわないようで、髭面が眉に皺(しわ)を寄せて睨む。
「はいはい、分かりました。では、よろしくお願いします」
レティシアは些(いささ)か不安が残るものの、書留料金を支払った領収書を持って出た。
気を取り直して、パン屋に行く。
パン屋の店内はレティシア以外に客はいない。パンが並べられているはずの商品棚もほとんど空っぽだった。
まだお昼だというのに、売り切れたのか?
首を傾(かし)げながらも、残っていたパンを買うが、ここでもパン屋の若い店員は不愛想で一言も話さない。
その次に行ったハム屋も、店の品揃えも店主の態度も同じだった。ここの領民は、言葉を発するとお金が消費されると考えているのか、または笑い方を忘れたのか。
レティシアはあまりの接客の悪さに、頭を抱えての帰路となった。
商店からの帰路。行き道の元気はどこへやら。レティシアは俯きながら歩いていた。
問題が山積みだ。これも父であるロジェ・ルコント伯爵の経営能力がゼロだったせいだ。
この誰もいない屋敷で、まったり過ごそうと思っていたが、そうはいかない。
なぜならば、この領地はすぐに破綻するからだ。そうなれば、その責任を私がとらざるを得ない。
(くううう。お父様……愛の逃避行ではなく、逃げたな。可愛い一人娘を捨てて、何を一人で恋愛を楽しんでいるのだ!!)
埃っぽい道をトボトボ歩きながら、拳ほどの石を拾う。そして思いの丈を込めて力一杯投げた。
「お父様の……あほたれぇぇ!!」
思いっきり投げても誰にも当たらない。
人がいないのだ。すなわち経済が回らず、税収も少ない。
知らない間に没落寸前の泥舟領地になっていたらしい……だけどこんな誰もいない領地だから盗賊も出ない。うふ、治安はいいじゃない。
レティシア渾身のポジティブシンキング。
だがすぐに、虚しさに肩が下がりきった。つまりは盗賊さえ見向きもしない領地なのだ。
屋敷に帰り着き、門をくぐると違和感を覚えた。
もう一度外に出る。中に入る。で、外に出る。そして、首を捻(ひね)る。さらに小石を拾い屋敷に向かって投げると……、なんと弾(はじ)かれた。
「凄いわ……この屋敷ったら防御魔法付きだったのね」
レティシアは、自分で魔法を掛けたとは露も思わず、屋敷に入った。
父の書斎でこの領地に関する帳簿や書類を探し回ること三時間︙︙。
「ぬおおお! まったり過ごすつもりが貧乏すぎて……。こんな赤字経営の領地じゃ無理ぃぃ」
持っていた報告書をバサッと放り投げて、床に寝転んだ。
汚いとかマナーとか誰にも言われないのはありがたいが、この危機的状況は嬉しくない。
「……お腹すいた」
むっくり起き上がり、リビングに置いたパンを取りだし、ソファーにごろんと寝そべりながら食べる。行儀が悪いと怒る人もいないのがありがたい。
「このパン、パッサパサ……。味がない……。美(お)味(い)しくない」
ソファーに座り直し、じっとパンを見た。
「この領地、詰んでるわ」
まったり生活どころか、寝てもいられないほどの窮地に、早急に動かないと大変なことになるのでは?と社畜精神が蘇る。
レティシアは立ち上がり、叫ぶ。
「改革!! しかも先に意識改革が必要だわ」
でも、なんにせよ、まずレティシアが領主として認められたという、証しが届かなければ何もできない。
つまりはそれまで……。
「ゆっくりしようっと!!」
食事を再開し、資料に目を通しだした。
その後、部屋を見回し一番にすべき改善点を探る。まずは、ここで生活をする上での居心地の悪さを、なんとかしたいと考えていた。とにかく、屋敷が広すぎるのだ。
由緒ある伯爵の屋敷ならば、お城のような屋敷も存在する。それに比べるとかなり狭い方なのだが、レティシアが一人で暮らすには広すぎて居心地が悪い。
玄関を入って、右に四十畳のリビング、廊下を挟んで食堂が三十畳。
さらに食堂の奥には調理場。食物庫、使用人の部屋が四部屋。
二階も主人の部屋や書斎、子供部屋に客室。執事執務室などもある。つまり部屋が多数あるのだ。
レティシアは二階にあった自分の子供部屋からベッドマットを引きずりながら、階段から落とす。そして一階の食堂に運ぶ。同様に、リビングのソファーとローテーブルも食堂へ。ここで、たった一人で食べるには大きすぎて邪魔になったダイニングテーブルと椅子は物置小屋と化したリビングへ移動した。
「ふふふ、これぞ快適ワンルームよ!!」
食堂に全てを詰め込み、極力動かなくてすむように一つの部屋に集約するのだ。
合理的だわ。しかも……。
一人暮らしなら憧れる、広々ワンルームの出来上がりだ。
「快適……板張りの上にふかふか絨毯を敷いて、どこでも寝られるし、もちろんソファーでも、ベッドでも」
前世でできなかった、のんきにごろごろ三昧をしたかった。
だが、食料確保が先決である。そのために花壇を潰(つぶ)して畑を作った。いくらお花が咲いていても、見ているだけではお腹は膨らまないと割り切って鍬(くわ)を振るう。
他には厩(きゅう)舎(しゃ)の馬に餌や水を運んだり、父が残した帳簿を見たり領地の特産物を考えたりしていると、毎日は忙しく過ぎていった。
ある日、郵便受けではなく、敷地の中にペッと捨てられるように届けられた手紙を見つける。
慌てて拾いに行くと、それは王様の横顔が印刷された封筒だった。
伸びすぎた雑草の上に落ちたから良かったが、泥の中に落ちていたら、一大事だ。
「全くもう!! 郵便物もまともに届けられないのかしら……」
げんなりしながら屋敷に入る。
そして自室……ワンルームと化した食堂に入り封を切る。封筒には、待ちに待った『繰上勅(ちょく)書(しょ)』が入っていた。
これで爵位の生前移譲が認められたことになり、無事に父ロジェ・ルコントから娘であるレティシア・ルコントへ爵位継承が成立となった。
レティシアはただの貴族のお嬢様ではなく、レティシア・ルコント伯爵となったのだ。
普通ならば九歳の少女への爵位引き継ぎは、無理がある。
王家に申請が届いた時点で、協力する親戚や使用人がいる場合は許可されることもある。そういった場合、協力者が適切に領地を経営できているか役人が視察を行い、問題ないと判断された時点で、ようやく繰上勅書が発行されるのだ。
だが、レティシアに協力してくれる親戚はいない。では、なぜレティシアの手元に『繰上勅書』が届けられたのか。
それは数々のミラクルが起こったからだ。
現在王宮は、役員の人手不足により猫の手も借りたいくらいに忙しい。そんな時、年に二度の決算日と重なり、その最中にレティシアの書類が紛れ込んだ。しかもよくある爵位の引き継ぎだと確かめられることなくサインされ、次の課へ。
あれよあれよで、国王の机上へ。
そして、重要書類ではない方の箱に入れられ、またもやあっさりサイン。
このようにして、前代未聞の後ろ楯なしの少女伯爵が出来上がったというわけだ。
「よしよし、これで第一歩を踏み出したわ」
そして、人生初の領地の視察巡りを行う。
以前は屋敷に近い町に出掛けたが、今日は隅々まで見て回ろうと考えていた。
それには馬が便利なのだが、レティシアは馬に乗れない。
じっくりと見て回ると、歩いてだと一日じゃ回れないし……。
毎日、餌をあげているお陰か、とても懐いてくれている。だが、馬の背中までは高すぎる。
鞍はあるが重いし届かないし……つまり一人では、鞍すら馬の背中に乗せられない。
「ねえ、しゃがんでくれない?」
試しに馬に頼んでみる。
「ヒヒン?」
うん、無理よね。
そんな都合の良いことが起こるわけがなかった。馬はのんびり草を食(は)んで、尻尾をパタパタ。
徒歩か……。
狭い領地で助かった。朝早く出掛け、北部のオルネラ村に向かったのだが、子供の足でテクテクとコート山の麓まで歩くと、休憩を挟んで二時間かかった。
大人だったら早歩きで、一時間で着いただろう。否、子供でも二時間はかかりすぎじゃないか? それはレティシアの体力不足のせいだ。
これからはもう少し、運動をしないと……車もないし、自転車もないこの生活で頼れるのは自分の足だけ。
なんとか辿(たど)り着き見渡すと、荒れ果てた土地が広がっていた。
乾く大地。ひび割れた土地を潤す川も無い。全てが薄茶色というモノトーンな村を歩いた。そして、そのまま道沿いに進み、コート山に入る。
一度山に入れば、そこは緑が生い茂り、マイナスイオンに満ち溢(あふ)れた潤いの世界。
途中、かなり登ったところで、ウワワワォンとギターの弦が切れたような音がした。見ると世にも美しい鳥がいる。都会にはない景色は見飽きることがない。
山道を曲がる度に、大小様々な滝があり、心が癒された。その滝から流れる川に手を浸せば、冷たくて気持ちがいい。喉を潤すために手で水を掬(すく)い、飲む。
「おいしーーーい!!」
続けて飲む。飲む。飲む。
(あれ……? この水はルコントの領地に流れているはずなのに、どうして一滴も流れてきてないの?)
この水が領地に流れてきてくれていたら、畑も潤うじゃない。
疑問に思ったレティシアは、今度は川を辿って下山することにした。だが、どうしたことか麓(ふもと)近くで、急に地下に吸い込まれるように川が消えたのだ。
「なんで?」
大事な水が地下に?
消えていく先を見ようと川辺に下りた。
(スカートじゃなくて良かったぁ。長めのスカートなんてはいてたら、今頃ドロドロよね)
ここでオーバーオールを選んだ自分の正当性を、声を大にして言いたい。
お嬢様とか関係なく、山歩きはズボンをはかないといけないのである、と一人でうんうんと納得の頷き。
川辺に下りると、間違いなく人工的に作られたトンネルに水が大量に流れ落ちていく。
「うううむ……。誰だ!! 大事な水を地下に流した奴は!!」
トンネルに叫んだとて、誰も答えない。
誰がしたか分からないが、川を暗(あん)渠(きょ)にしたせいで、土地に必要な水が行き渡らなくなったのだ。これは由(ゆ)々(ゆ)しき問題にぶち当たった。
レティシアはしばらくそこで、流れていく川の水を呆(ぼう)然(ぜん)と見送っていたが、立ち上がり解決に向けて考えることにした。
朝通った荒れた大地をもう一度見る。そして、この大地に水が流れて潤う畑を想像した。そこには一面の麦畑があり、たわわに実った穂が風に揺れている。
「よし!! ここを一面の畑に生まれ変わらせるわ」
レティシアの叫びは、乾いた大地に消えていった。
意気揚々と夕方屋敷に戻ったレティシアは、川の行く先を探すために、まずは屋敷にある土地に関する報告書を捜した。
父の書斎の奥に古い箱があり、その中にようやくお目当ての一つ目が見つかる。
それはいつのものか分からない、古い時代の領主の日記だった。
ペラペラと日記を捲(めく)る。
文字は薄くなっているが、しっかりと読めた。
『可愛いアンソニーが川で溺れて、もう少しで命を落とすところだった』
その一文のあと、自分にとって息子のアンソニーがいかに大事かを延々と書いている。
どうやら、アンソニー君はこの男性が年老いて初めてできた息子だったようだ。さらに読み進めていく。
『あの一件からアンソニーは水を怖がるようになった。可哀想に︙…。父である私がなんとかしてやらねば』
(あら、なんか嫌な予感がするわ)
レティシアは焦る気持ちを抑えてページを捲る。
『アンソニーが怖がらないように、川を地下に流す工事を始めた』
(やっぱりかぁぁぁぁ!! アンソニー君のために暗渠にしたのか……)
だが、日記の次のページにはそこから畑に流す工夫が書いてあった。
『畑に流すようにした水路には蓋(ふた)を命じた。これでアンソニーも安心して領地を回ることができるだろう。アンソニーの気分転換に、領地の北西の要塞を別荘に作り替えて、夏には旅行に行こう。きっと楽しいだろう……』
(親バカなんだ。壮大な親バカなんだ。川に柵とかじゃダメだったのか? これって凄い費用のかかった工事だよね? しかも、要塞を別荘にって……そのお金を今の私にください~)
レティシアが何代前か分からないご先祖様にお願いをしてみたところで、くれるわけもない。
地下に流した水は、本来ならばルコントの領地の隅々に行き渡っていたはずだが、きっと水路は崩れてしまったのだろう。
そして、誰も知らない地下水道を通って海に流れているのだ。
もったいない……。
レティシアは屋敷をひっくり返して捜索したが、その当時の地下水路の地図はなかった。地図がないなら他の案として、山の麓で見つけたトンネルを潜っていき探索するという方法を思い付いたが、崩れて生き埋めになる可能性に気付き、ブルッと震える。
(トンネル捜索は断念しよう。暗いのも怖いし)
なので、水路の捜索は昔のことをよく知っている人に聞いてみることにした。
次の朝。
領地で唯一の教会に向かう。
ここのトロウエン聖司教様は、七十歳。彼なら古い話を知っているかもしれない。
町外れに建つ教会は、町の商店同様に木造でできている。どこもかしこも経年劣化が激しく、特に白いペンキは剥げているところの方が多いくらいである。
親が信仰心の無い人だったから、レティシアがここを訪れたのは、初めてだった。
「領地を立て直せたら、ここもなんとかしなければ……」
朝早かったが、教会のドアは開いている。既に司教様が朝の礼拝を行っているが、信者は誰もいなかった。
だからだろう、レティシアが入っていくと嬉しそうに礼拝の声が、一つ大きくなった。
すぐにでも水路の行方を聞きたかったが、それはできそうにない。
にこやかな顔で説教してくれている司教様に対して、『その説教は心に染みます』という神妙な顔で聞き続けなければ、申し訳ない。
硬い木の椅子に腰掛け、司教様のありがたいお言葉を聞いて、終わるのを待った。
久しぶりの信者に、司教様の熱弁が続く。レティシアもその熱量に応えたいが、昨日の疲れもあって、眠くなる一方だ。下がる瞼に力を入れ、足をつねっては眠気と戦い続けた。
司教様の言葉が途切れる。ようやくその戦いに終止符が打たれたのだ。
司教様が奥の部屋に戻る前に、声をかけ捕まえることに成功したレティシア。
「道に迷いし我らが子よ。どうされました?」
背は高いが、痩せておられる司教様は、不(ぶ)躾(しつけ)に腕を掴んでしまったレティシアにも、優しく問いかけてくれる。
「あの、私はこの度、このルコント領の領主になった、レティシア・ルコントと申します。どうぞよろしくお願いします」
司教様は、数秒間動きを止めてレティシアを見る。その後ゆっくりと首を傾けて尋(たず)ねた。
「ロジェ・ルコント伯爵はつい先日までお元気だったと思うのですが?」
ぐっと喉が詰まった。父親が領地を顧(かえり)みず、女性と逃げたなんてどう言えばいいのか。
「……いえ、父は健在で……その……」
私が戸惑っていると、ちょうど聖教会に野菜を届けに来た少年が司教様に声をかける。
「トロウエン大司教様、ロジェ・ルコント伯爵様は、女性と夜逃げなさったのですよ。町中その噂で持ちきりだったのに、ご存じなかったのですか?」
司教様はハッとして、私の顔を再び見て謝罪の言葉を口にした。
「このところ、塞ぎがちだったために外に出ることがなかったのです。あなたには辛い質問をしてしまったことを謝罪します」
司教様が深く頭を下げる。そして、少年に「いいですか、人は少しの悪意の言葉で傷つきます。あなたには人を癒す言葉を選んで話す人になってほしい」と諭していた。
ああ、この人はとても良い人だ。子供にも丁寧な言葉遣い。先日の商店の人たちの愛想の悪い態度を思い返して、ほっとした。
「いえ、私の父が仕出かしたことで、領民の皆様には多大なご迷惑をお掛けしているのです。どうぞ、気にしないでください」
「そうだよ、トロウエン大司教様が謝ることじゃないよ。ルコント伯爵の経営能力がないから、とうとうトンズラしたって、みんな言っているよ」
本当のことは胸に刺さりやすい。
真実だが、少しはオブラートに包んだ優しい言い方にできないのか?
レティシアは平常心を保ちつつ返事を考えた。
「これ、先ほども言いましたが、人を傷つける言葉を言うものではありません」
私の代わりに、少年を諌(いさ)めてくれる司教様。
司教様は少年を叱ると、「すみません」とレティシアに頭を下げた。
深く頭を下げる司教様を止める。この話はあまり長引かすとレティシアの神経を削いでいきそうだ。
すぐに本題の暗渠に隠れた水路の話を切り出した。
「司教様は、この地面の下を流れる水路の話をお聞きになったことがありますか? どの辺りを流れているかご存じないですか?」
「え!? 地下に水があるのですか?」
ああ、これは全くご存じないようだ……。レティシアはふりだしに戻ってしまった。
司教様は、水路のことを全く知らなかった。聞けば司教様が生まれた時から、既にこの領地には川もなく、雨水とわずかな井戸水で小さな畑を守ってきたらしい。それでも、この水路のことを知っているかもしれないと、ある人物を紹介してくれた。
その人物は山の麓に小さな畑を耕している老人で、名前はマイク。
司教様より少し年上の老人は、一人で小さな畑を守っているそうだ。レティシアは一(いち)縷(る)の望みをかけて再び徒歩で、時間を掛けてその老人に会いに行った。
遠目には、厩舎なのかと見間違うほどの簡素な造りの家。
足の疲れもなんのその、マイクの家に着いて息を整えると、すぐにノックするが返事はない。
もう一度ノックをしようかと迷っていたら、強めの警戒心を伴う低い声がした。
「誰だ?」
「あの、この度新しくルコントの領主になりましたレティシア・ルコントと申します。この土地のことで聞きたいことがあります」
「……」
返事もなけりゃ、出てくる様子もない。
「あの……」
レティシアがもう一度声をかけたところで、壊れかけのドアがバンッと開いた。
「こんな所に来る奴で、碌(ろく)なもんがいた試しがない。さっさと帰れ……」
マイクはドアを開けながら、そこに立っているはずの人物に向けて喋ったのだが、誰もいなくてキョロキョロしたあと、下の方に目線を下ろし驚いている。
身長百八十cmはあろうかという大きな老人マイクは、ドアの前の人物が、少女だと気が付いて絶句していた。
「あの、今度この領地を管理することになった、レティシア・ルコントと申します」
レティシアはそこまで言うと、相手の出方を待つ。
目を手で覆い、天を仰ぎ見たマイクの顔には、絶望という文字が浮かんでいた。
まだ何もしていないレティシアの目の前で、ドアが閉められようとしている。そこをすかさず、がっと足を入れて、マイクがドアを閉めるのを阻(はば)んだ。
「子供に用なんてないぞ」
マイクはレティシアを睨みつけはするものの、差し入れたレティシアの足を怪我させないように、少しドアを開いた。
うふふ、この人もいい人だ。
レティシアは、じっとマイクをドアの隙間から見て観察する。
この老人、眉間の皺が深くて頑固そうに見える。だが、その目は象のようにつぶらで優しげだ。それに、今もレティシアの足で閉められなくなったドアを、どうしようかと考えあぐねている。
強く怒鳴るでもなく、その顔には戸惑いしか浮かんでいない。
「私の話を聞いてください。私はずっと以前に流れていたはずの、川や水路を探しています。何かマイクさんはご存じないですか?」
今ならば、マイクにも声が届くとレティシアは一気に質問を捩(ね)じ込んだ。
「……水路か……」
マイクが、ドアノブから手を離して顎に手をやって考え込む。
この感じ、明らかに何か知っていそうだと、レティシアはじっと答えが出るのを待った。
そして、顔を上げたマイクは重要なヒントを思い出したようだった。
「大昔、わしの曾祖父に聞いたことがある。曾祖父も聞いたらしいのだが、この先にため池があり、この辺り一帯の畑は、そのため池を利用していたらしいのだ」
――やったわ。手掛かりを見つけたぁぁ。
「では、きっとため池があった場所を探せば、地下に隠れた水路も見つかります!!」
マッチの火ほどの希望の光が灯る。
(みんなで探せば絶対に見つかるわ)
「マイクさん。ため池と水路探しを手伝っていただける人を、私に紹介していただけませんか?」
レティシアのキラキラした目を見て、マイクは自分が幼い頃に父親や祖父に、水路を探そうとお願いした遠い昔のことを思い出した。その当時はマイクの意見に笑うばかりで、誰も真剣に取り合ってもくれなかった。だからだろうか、レティシアの一生懸命な姿につい、「まあ、やってみるといいさ」とぶっきらぼうだが、手を貸すことを約束してしまった。
一人の協力者に喜んだレティシアだったが、このあとマッチの火は吹けば簡単に消えることを知る。
あちらこちらの家をマイクと一緒に回ったが、どの家からも、半笑いか、胡(う)散(さん)臭(くさ)い者を見る目付きで追い払われた。
何軒も何軒もレティシアはドアを叩いて、説得しようとしたがダメだった。
どこも貧しい家ばかり。それは今までの領主がきちんと治めていないせいだ。そのせいで、どの家もレティシアが名前を告げると眉をひそめた。
だがレティシアに、前領主の無能さを直接責める人はいない。きっと、レティシアが着飾ってドレスを着ていたならば、一人くらいは子供のレティシアにも、文句を言っていただろう。
だが、貴族のレティシアが自分たちと同じように薄汚れた服を着て、訪ねてきたのだ。門前払いはしたが、誰一人として、レティシアに酷(ひど)い言葉を投げつける者はいなかった。
もちろん、一緒に水路を探してくれる者もいなかったのだが……。
「俺たちはそんな暇はねえんだよ!!」
バタン。
また目の前で、ドアが閉められたところだ。
「もう、諦めろ」
マイクが水筒の水をレティシアに差し出して、ポツリと言う。
決して強く言ったわけではない。むしろ、レティシアを気遣うように言ったのだ。
「うん。そうですね。誰もあるかどうか分からない物を探す時間など、無いですよね」
俯くレティシア。
「そろそろ、日が暮れるぞ。諦めろ」
マイクは俯いたレティシアが、泣いているのではと、慰めるように頭を撫でる。
だが、レティシアはマイクの言葉を『今(・)日(・)は(・)諦めろ』と解釈した。
そして、立ち直りが人より数倍早かった。
「そうですよね。まだ始まったばかりです」
満面の笑みで立ち上がると、「今日はありがとうございましたぁぁ」と元気良く去っていった。
ちょっと、拍子抜けしたマイクだったが、久しぶりに楽しい時間だったとレティシアを見送る。
レティシアは屋敷に帰り着くと、ソファーに座り動かない。いや、動けなくなったというのが正しいだろう。
一日中歩き回って、へとへとだ。
しかも、今から自分で料理を作るなど、できそうにない。今日も少し硬くなったパンをかじり、汲み置きした水で流し込んだ。
「はー……、料理人もいなくなったのは辛いわ。せめてハムくらい挟めば良かったかしら……でも面倒臭い」
レティシアはソファーに寝そべりながら、棒のようになった足を揉んだ。
広い屋敷にただ一人。今日のようにうまくいかなった日は、慣れたはずの一人住まいなのにしまい込んだ寂しさが顔を覗かせる。こんな時はどうするのか? 決まっている、簡単なことだ。仕事をする、これ一択である。
そうと決まればテーブルの上に領地の地図を広げ、明日から重点的に探す場所に目星をつけるのだ。
最初は山からの川を辿ってみる。それがダメなら次の手だ。地図を改めて見ると原野になっている場所が広すぎて、一気に不安になる。
この時ふと、前世で見た地下鉱脈や水路をダウジングで探すというテレビ番組を思い出した。L字型のロッドと呼ばれる棒を持って地下にあるものを探すのだ。
これは今現在水路を探している自分にぴったりな方法ではないかと喜んだ。レティシアはすぐに屋敷の中を探し回ってダウジングに使えそうな針金を見つけ、ダウジングの知識はほとんどなかったが適当に、自分の手に合わせてL字型に折ってロッドを作る。
うん、いける!! 既に水路を見つけたような高揚感に手が震えた。これを持ってロッドがふわーと左右に開く。その下にはお宝ざくざく……ではなく水路が期待できるはず。
やはり、仕事をして良かった。いつの間にか寂しさは退場し、期待が表舞台に登場だわと、社畜根性満載の脳みそが大満足している。それとともに瞼が重くなってきたのだった。
あのあと疲れ切っていたレティシアはすぐに寝息を立ててぐっすり眠ることができた。
そして、今朝は目覚めもばっちりで、軽い朝食をすませると、庭園の隅っこにある物置小屋から大きなシャベルを引っ張りだして、パンと飲み物を持って元気に出掛ける。
今日は川が地下に流れ込んでいる所から掘り返していけば、川の行方を辿れるのではと思ったのだ。だが、木々に遮(さえぎ)られすぐに見失う。
しかも、シャベル一つでなんて、地面を掘れないどころか突き刺さりもしない。山の地面の硬さを舐めていた。
やっぱり、マイクが言っていた『ため池』を探そうか?
山の地面の硬さと、木の根っこに邪魔されて、早くも心が折れたレティシアは、マイクの家の前を通って、昨日教えてもらった場所を目指す。
ちょうど、その姿をマイクは窓から見ていたが、声をかけることなく見送った。
「見つかるかどうか分からないんだ、すぐに諦めるだろう」
レティシアの姿が見えなくなってから、マイクは自分の畑に向かった。
マイクの家も、その他の家も、共同の井戸から水を汲んでは畑に撒(ま)いている。この重労働を何代も続けてきたのだ。
地面を掘っても水が出ないというのは、分かっている。それは、マイク自身も水源を探したが、どこにもなかったからだ。
マイクは今日も諦めたように、共同の井戸に向かう。
レティシアはこの小説の中で、ヒロインに意地悪を繰り返す王子宮の侍女だ。
目の前の叔父に、領地も財産も奪われて、お金持ちの老人の妻になるか、または王子宮で侍女として働きその給料を全て渡すか、どちらかを選べと言われる。
レティシアは侍女となる方を選び、王子の住む離宮で働くが、給料全てを叔父に搾(さく)取(しゅ)され続けた。
そんな苦しい毎日の中で唯一の救いは、美しい第二王子を垣間見ることだけだ。
だが、第二王子がとある男爵の娘を好きになり、離宮へと連れてきたのだ。嫉妬のあまり、レティシアはヒロインの紅茶に毒を混入してしまう。しかし、その犯行の一部始終を王子に見られ、投獄からの処刑。
モブのレティシアは、ラスボスに嫉妬心を煽(あお)られただけの、悲しいまでにおバカな存在だったのだ。
なんてことだ。こんな小説に転生するなんて、心底がっかりした。
なぜなら、この小説のヒロインったら、すぐに第二王子に泣きついて解決してもらう、健気さアピールがうまいだけの女子ってところが気に食わないのだ!!
(それに比べて……レティシアが可哀想すぎるわ!! なにも良いことのない人生じゃない!! 波瀾万丈じゃない? レティシアが不(ふ)憫(びん)……って私がレティシアだったわ)
「読んだのなら解(わか)っただろう? おい!! 王子宮だぞ? 見(み)初(そ)められるやもしれんのだぞ? これがどういうことか、バカな小娘にも分かるだろう? 分かったら、さっさとそこにサインしろ!!」
ヤニクの怒りの声に、現在の自分の立場を再認識する。
小説の中のレティシアは字が読めずに、泣きながらサインするのよね、とレティシアが再び用紙を見る。
「小娘だと思って甘く見られたものね」
ここから、小娘の反撃だ。
「王家からわざわざ正式な書類と用紙を取り寄せてくれた叔父様。ありがとうございます」
笑顔のレティシアに、ヤニクが気を許した途(と)端(たん)、用紙を取られないように、部屋に逃げ込み、鍵を掛けた。
「おい!! 何をするつもりだ!?」
安全な自室でゆっくりと不必要な箇所に二重線を引く。そして丁寧な文字で加筆する。
「私に後見人は必要ございませんし、ましてやルコントの領地をお譲りするつもりも、訳の分からない変人変態に嫁ぐつもりもありませんもの。だから、いらない部分はこうしてっと……」
さらに、シャーと線を引いていく。
「ここを開けろぉぉぉ!!」
どんどんとドアを叩く音が煩(うるさ)いが、焦る必要はない。
そして、余った場所に『レティシア・ルコントはルコント家の財産と爵位を継承する』と書き加えた。そして、さらにいくつかの項目を書き足しサインする。
全て書き終えたレティシアは、悠々とドアを開けた。
顔を真っ赤にしたヤニクが、レティシアの手から用紙を引ったくる。
そして書かれた内容を見て怒り狂い、その用紙を引き裂こうとしたが、使用人たちに止められた。
王家の正式な書類はナンバリングされていて、簡単に破棄はできない。重要な書類であればこそ、その用紙を紛失した経緯を伝えなければならないのだ。
ましてや、勝手に破棄するなど以(もっ)ての外(ほか)。
「くっそぉぉがぁ……」
国王の顔が描かれた用紙をグシャグシャに丸めるわけにもいかず、力一杯用紙を床に投げ捨てたが、用紙が壊れるわけもなく、ふわりと落ちただけだった。
(ふふーん。勝った)
崩れ落ちる叔父の背中に、ざまあみろとばかりに嗤いを漏らす。
その声を聞いたヤニクが、ギリギリと歯噛みしながら立ち上がり、睨み付けた。
「誰もいなくなったこの屋敷で、料理すらまともにできない子供のお前が、どう暮らすのか見ものだな!!」
そう言うと、後ろで二人の遣(や)り取りを見ていた、伯爵家の使用人たちをじろりと見渡す。
「おい、ここに残っても給料は出ないぞ。この子供と一緒に野(の)垂(た)れ死ぬつもりなら残っても良いがな!」
ヤニク・ワトー男爵が屋敷から出ていくと、金魚の糞のようにぞろぞろと一列になって使用人たちがついていく。そして、本当に誰一人としてルコント伯爵家に残る使用人はいなかった。レティシアは、誰もいない屋敷に一人になる。
最後の一人の使用人がわずか九歳の少女がポツンと佇む姿に、胸を打たれている。彼女は今涙を流しているかもしれない。だが、自分もこれから先、養っていかなくてはならない年老いた母がいる。胸に苦く残る罪悪感を圧(お)し殺し、最後の使用人もヤニクへとついていった。
実際にはその罪悪感は不要だったのだが……。
なぜなら、レティシアは誰もいなくなった解放感と、すぐにでもこの窮屈な服を脱ぎ捨てられる喜びに打ち震えていたのだから。
まずは……王家に提出する書類を拾い、何度も確認。バカな叔父に殺されないように……そして、奪われないように。
そして、次に以前父が、万が一の時に使えと言っていた物を探す。
父の部屋の引き出しを開けると、簡単に見つかった。それは、『繰上移譲に関する委任状』。
世襲制の爵位を、生前に譲ると書かれたものだ。これにより、爵位の生前移譲が認められる。
「こんなにも、用意周到にしていたなんて、お父様……愛の逃避行をする気満々だったのねえ」
部屋に飾られた父の肖像画を睨んでみたが、にへらっと締まりのない顔を向けて笑っているばかり。
そんな父の顔から視線を外すと、自分の顔が鏡に映っていた。
そこにあるのはいつもの顔だが、感慨深い。
読んでいたのが小説なので、レティシアはこういう顔だったのかと覗き込んだ。
父と母から金髪と紫の瞳を受け継いだ自分の顔。いい加減な父親だったけれど、大好きだった。自分とレティシアの髪の色が同じだと喜んでくれていたのを懐かしく感じる。
『お前は美人さんになるぞ』
父の言葉を思い出しながら、ベッドに潜り込んだ。
朝の光が直接目に当たり、のそりとベッドから起き出した。
そうだ。カーテンを開け閉めしてくれる者は、もうこの屋敷にいないのだ。
朝日を浴びたお陰で、いつもよりスッキリしている。
さあ、今日はすることが多いぞ。善は急げだと、昨日署名した書類を用意する。この書類を送れば、間違いなく爵位継承も認められるだろう。
しっかりとした封筒に用紙を入れ、封(ふう)蝋(ろう)を溶かし封筒に落とす。
そして、固まる前にルコント伯爵印のスタンプを押した。
これを郵便に出すついでに、数日分の食料の買い出しに行かなければならない。もう、この屋敷には侍女もいないのだから。そう思い歩きかけたがすぐに止まる。
「かーっっ!! ドレスが長いわ!!」
誰もいないのだ。この際ドレスを脱いで下着のまま使用人の部屋に直行。
そして、そこから庭師のおじいちゃんが着ていた白いシャツと繋(つな)ぎのズボン、所(いわ)謂(ゆる)オーバーオールを見つけてそれに着替えた。
「ふーーー。これよ。この楽な格好が最高ー!」
多少の衣服の汚れなど気にしない。それに伯爵令嬢だと思われなくても構わないと開き直る。
屋敷の庭を横切り、正門のところまで来てこのまま屋敷を留守にして出掛けても良いものか考えた。結界みたいな便利なものはないのかと、レティシアは手をひらひらと振ってみる。
しーん……。
「そりゃそうよね。そんな都合の良い話はないよね……盗られるものもないし……まあいいか」
諦めて門を出たレティシアの後ろで『フォン』と音が鳴り屋敷全体が白く光ったのだが、気が付かずそのまま町に出掛けてしまった。
初めての魔法。有り余る彼女の魔力に気が付く者はいない。
王都から馬車で二時間の、立地は良いルコント領。だが、とても小さい。
他の貴族の領地は広大な土地を有しているのに、我が領地は三十k㎡。北部にはコート山があり、領地の十k㎡はそのコート山で占められている。そのコート山の奥地は王家所有の山でもあり、その線引きははっきりと分かっていない。
人口はわずか八百二十人と、かなり少ない。
その山麓にある領地北部のオルネラ村には畑が所々あるが、豊かな土壌ではなく、その領民は多くが、南部のルドウィン町に固まっている。
とはいえ南部の商業地域も賑わいはなく、廃(すた)れているのが現状だ。
九歳でこの領地の領主になり、改めて領地を見ると悲惨な状況に、ため息が漏れる。
訪れた商店が立ち並ぶはずの町には賑わいはなく、閑散としていた。ここの通りは領地で一番の発展している町のはず……。
行けども行けども、道は舗装されておらず、土埃(つちぼこり)が立っている。お店は並んでいるが、どのお店もガタガタ、ボロボロ、壊れかけ。全て木造と漆喰で建てられているが、壁の漆喰などはひび割れが激しい。
王都に限らず、今の建築の主流は石やレンガで外壁を作っている。
その景色を見慣れた他所の領地の人から見れば、ここがいかに貧しい領地か、一目で分かるだろう。
その中で唯一まともな建物があった。それは一つ目のお目当ての郵便局である。
郵便局に入ると誰もいない。仕方なくカウンターにある呼び鈴を鳴らす。
チリンチリン。
奥から不機嫌そうな髭(ひげ)面(づら)の五十代の男がチラリと見て、カウンター越しに立つが、『いらっしゃい』の言葉はない。
「こんにちは、この郵便物を出したいのですが、書留の料金はいくらですか?」
レティシアの質問に、髭面おやじは一言も喋(しゃべ)らず、壁を親指で差す。
振り向くとそこに料金が書かれた古い紙が壁に貼られていた。
「ああ、ではこの大きさだと……四百レニーですね」
レティシアがお金を置くと、髭面おやじは頷(うなず)いてお金をポケットに入れる。
そして、領収書代わりの紙に判子をついてレティシアに渡し、そのまま書簡を横にあった袋に放り投げた。
「……えーっと……」
(これで終わり?)
きちんと配達してくれるのか不安になる。
「あの……これで配達してくれるんですよね? ……王都に届けてもらえるんですよね?」
レティシアが二度も聞いたのが気にくわないようで、髭面が眉に皺(しわ)を寄せて睨む。
「はいはい、分かりました。では、よろしくお願いします」
レティシアは些(いささ)か不安が残るものの、書留料金を支払った領収書を持って出た。
気を取り直して、パン屋に行く。
パン屋の店内はレティシア以外に客はいない。パンが並べられているはずの商品棚もほとんど空っぽだった。
まだお昼だというのに、売り切れたのか?
首を傾(かし)げながらも、残っていたパンを買うが、ここでもパン屋の若い店員は不愛想で一言も話さない。
その次に行ったハム屋も、店の品揃えも店主の態度も同じだった。ここの領民は、言葉を発するとお金が消費されると考えているのか、または笑い方を忘れたのか。
レティシアはあまりの接客の悪さに、頭を抱えての帰路となった。
商店からの帰路。行き道の元気はどこへやら。レティシアは俯きながら歩いていた。
問題が山積みだ。これも父であるロジェ・ルコント伯爵の経営能力がゼロだったせいだ。
この誰もいない屋敷で、まったり過ごそうと思っていたが、そうはいかない。
なぜならば、この領地はすぐに破綻するからだ。そうなれば、その責任を私がとらざるを得ない。
(くううう。お父様……愛の逃避行ではなく、逃げたな。可愛い一人娘を捨てて、何を一人で恋愛を楽しんでいるのだ!!)
埃っぽい道をトボトボ歩きながら、拳ほどの石を拾う。そして思いの丈を込めて力一杯投げた。
「お父様の……あほたれぇぇ!!」
思いっきり投げても誰にも当たらない。
人がいないのだ。すなわち経済が回らず、税収も少ない。
知らない間に没落寸前の泥舟領地になっていたらしい……だけどこんな誰もいない領地だから盗賊も出ない。うふ、治安はいいじゃない。
レティシア渾身のポジティブシンキング。
だがすぐに、虚しさに肩が下がりきった。つまりは盗賊さえ見向きもしない領地なのだ。
屋敷に帰り着き、門をくぐると違和感を覚えた。
もう一度外に出る。中に入る。で、外に出る。そして、首を捻(ひね)る。さらに小石を拾い屋敷に向かって投げると……、なんと弾(はじ)かれた。
「凄いわ……この屋敷ったら防御魔法付きだったのね」
レティシアは、自分で魔法を掛けたとは露も思わず、屋敷に入った。
父の書斎でこの領地に関する帳簿や書類を探し回ること三時間︙︙。
「ぬおおお! まったり過ごすつもりが貧乏すぎて……。こんな赤字経営の領地じゃ無理ぃぃ」
持っていた報告書をバサッと放り投げて、床に寝転んだ。
汚いとかマナーとか誰にも言われないのはありがたいが、この危機的状況は嬉しくない。
「……お腹すいた」
むっくり起き上がり、リビングに置いたパンを取りだし、ソファーにごろんと寝そべりながら食べる。行儀が悪いと怒る人もいないのがありがたい。
「このパン、パッサパサ……。味がない……。美(お)味(い)しくない」
ソファーに座り直し、じっとパンを見た。
「この領地、詰んでるわ」
まったり生活どころか、寝てもいられないほどの窮地に、早急に動かないと大変なことになるのでは?と社畜精神が蘇る。
レティシアは立ち上がり、叫ぶ。
「改革!! しかも先に意識改革が必要だわ」
でも、なんにせよ、まずレティシアが領主として認められたという、証しが届かなければ何もできない。
つまりはそれまで……。
「ゆっくりしようっと!!」
食事を再開し、資料に目を通しだした。
その後、部屋を見回し一番にすべき改善点を探る。まずは、ここで生活をする上での居心地の悪さを、なんとかしたいと考えていた。とにかく、屋敷が広すぎるのだ。
由緒ある伯爵の屋敷ならば、お城のような屋敷も存在する。それに比べるとかなり狭い方なのだが、レティシアが一人で暮らすには広すぎて居心地が悪い。
玄関を入って、右に四十畳のリビング、廊下を挟んで食堂が三十畳。
さらに食堂の奥には調理場。食物庫、使用人の部屋が四部屋。
二階も主人の部屋や書斎、子供部屋に客室。執事執務室などもある。つまり部屋が多数あるのだ。
レティシアは二階にあった自分の子供部屋からベッドマットを引きずりながら、階段から落とす。そして一階の食堂に運ぶ。同様に、リビングのソファーとローテーブルも食堂へ。ここで、たった一人で食べるには大きすぎて邪魔になったダイニングテーブルと椅子は物置小屋と化したリビングへ移動した。
「ふふふ、これぞ快適ワンルームよ!!」
食堂に全てを詰め込み、極力動かなくてすむように一つの部屋に集約するのだ。
合理的だわ。しかも……。
一人暮らしなら憧れる、広々ワンルームの出来上がりだ。
「快適……板張りの上にふかふか絨毯を敷いて、どこでも寝られるし、もちろんソファーでも、ベッドでも」
前世でできなかった、のんきにごろごろ三昧をしたかった。
だが、食料確保が先決である。そのために花壇を潰(つぶ)して畑を作った。いくらお花が咲いていても、見ているだけではお腹は膨らまないと割り切って鍬(くわ)を振るう。
他には厩(きゅう)舎(しゃ)の馬に餌や水を運んだり、父が残した帳簿を見たり領地の特産物を考えたりしていると、毎日は忙しく過ぎていった。
ある日、郵便受けではなく、敷地の中にペッと捨てられるように届けられた手紙を見つける。
慌てて拾いに行くと、それは王様の横顔が印刷された封筒だった。
伸びすぎた雑草の上に落ちたから良かったが、泥の中に落ちていたら、一大事だ。
「全くもう!! 郵便物もまともに届けられないのかしら……」
げんなりしながら屋敷に入る。
そして自室……ワンルームと化した食堂に入り封を切る。封筒には、待ちに待った『繰上勅(ちょく)書(しょ)』が入っていた。
これで爵位の生前移譲が認められたことになり、無事に父ロジェ・ルコントから娘であるレティシア・ルコントへ爵位継承が成立となった。
レティシアはただの貴族のお嬢様ではなく、レティシア・ルコント伯爵となったのだ。
普通ならば九歳の少女への爵位引き継ぎは、無理がある。
王家に申請が届いた時点で、協力する親戚や使用人がいる場合は許可されることもある。そういった場合、協力者が適切に領地を経営できているか役人が視察を行い、問題ないと判断された時点で、ようやく繰上勅書が発行されるのだ。
だが、レティシアに協力してくれる親戚はいない。では、なぜレティシアの手元に『繰上勅書』が届けられたのか。
それは数々のミラクルが起こったからだ。
現在王宮は、役員の人手不足により猫の手も借りたいくらいに忙しい。そんな時、年に二度の決算日と重なり、その最中にレティシアの書類が紛れ込んだ。しかもよくある爵位の引き継ぎだと確かめられることなくサインされ、次の課へ。
あれよあれよで、国王の机上へ。
そして、重要書類ではない方の箱に入れられ、またもやあっさりサイン。
このようにして、前代未聞の後ろ楯なしの少女伯爵が出来上がったというわけだ。
「よしよし、これで第一歩を踏み出したわ」
そして、人生初の領地の視察巡りを行う。
以前は屋敷に近い町に出掛けたが、今日は隅々まで見て回ろうと考えていた。
それには馬が便利なのだが、レティシアは馬に乗れない。
じっくりと見て回ると、歩いてだと一日じゃ回れないし……。
毎日、餌をあげているお陰か、とても懐いてくれている。だが、馬の背中までは高すぎる。
鞍はあるが重いし届かないし……つまり一人では、鞍すら馬の背中に乗せられない。
「ねえ、しゃがんでくれない?」
試しに馬に頼んでみる。
「ヒヒン?」
うん、無理よね。
そんな都合の良いことが起こるわけがなかった。馬はのんびり草を食(は)んで、尻尾をパタパタ。
徒歩か……。
狭い領地で助かった。朝早く出掛け、北部のオルネラ村に向かったのだが、子供の足でテクテクとコート山の麓まで歩くと、休憩を挟んで二時間かかった。
大人だったら早歩きで、一時間で着いただろう。否、子供でも二時間はかかりすぎじゃないか? それはレティシアの体力不足のせいだ。
これからはもう少し、運動をしないと……車もないし、自転車もないこの生活で頼れるのは自分の足だけ。
なんとか辿(たど)り着き見渡すと、荒れ果てた土地が広がっていた。
乾く大地。ひび割れた土地を潤す川も無い。全てが薄茶色というモノトーンな村を歩いた。そして、そのまま道沿いに進み、コート山に入る。
一度山に入れば、そこは緑が生い茂り、マイナスイオンに満ち溢(あふ)れた潤いの世界。
途中、かなり登ったところで、ウワワワォンとギターの弦が切れたような音がした。見ると世にも美しい鳥がいる。都会にはない景色は見飽きることがない。
山道を曲がる度に、大小様々な滝があり、心が癒された。その滝から流れる川に手を浸せば、冷たくて気持ちがいい。喉を潤すために手で水を掬(すく)い、飲む。
「おいしーーーい!!」
続けて飲む。飲む。飲む。
(あれ……? この水はルコントの領地に流れているはずなのに、どうして一滴も流れてきてないの?)
この水が領地に流れてきてくれていたら、畑も潤うじゃない。
疑問に思ったレティシアは、今度は川を辿って下山することにした。だが、どうしたことか麓(ふもと)近くで、急に地下に吸い込まれるように川が消えたのだ。
「なんで?」
大事な水が地下に?
消えていく先を見ようと川辺に下りた。
(スカートじゃなくて良かったぁ。長めのスカートなんてはいてたら、今頃ドロドロよね)
ここでオーバーオールを選んだ自分の正当性を、声を大にして言いたい。
お嬢様とか関係なく、山歩きはズボンをはかないといけないのである、と一人でうんうんと納得の頷き。
川辺に下りると、間違いなく人工的に作られたトンネルに水が大量に流れ落ちていく。
「うううむ……。誰だ!! 大事な水を地下に流した奴は!!」
トンネルに叫んだとて、誰も答えない。
誰がしたか分からないが、川を暗(あん)渠(きょ)にしたせいで、土地に必要な水が行き渡らなくなったのだ。これは由(ゆ)々(ゆ)しき問題にぶち当たった。
レティシアはしばらくそこで、流れていく川の水を呆(ぼう)然(ぜん)と見送っていたが、立ち上がり解決に向けて考えることにした。
朝通った荒れた大地をもう一度見る。そして、この大地に水が流れて潤う畑を想像した。そこには一面の麦畑があり、たわわに実った穂が風に揺れている。
「よし!! ここを一面の畑に生まれ変わらせるわ」
レティシアの叫びは、乾いた大地に消えていった。
意気揚々と夕方屋敷に戻ったレティシアは、川の行く先を探すために、まずは屋敷にある土地に関する報告書を捜した。
父の書斎の奥に古い箱があり、その中にようやくお目当ての一つ目が見つかる。
それはいつのものか分からない、古い時代の領主の日記だった。
ペラペラと日記を捲(めく)る。
文字は薄くなっているが、しっかりと読めた。
『可愛いアンソニーが川で溺れて、もう少しで命を落とすところだった』
その一文のあと、自分にとって息子のアンソニーがいかに大事かを延々と書いている。
どうやら、アンソニー君はこの男性が年老いて初めてできた息子だったようだ。さらに読み進めていく。
『あの一件からアンソニーは水を怖がるようになった。可哀想に︙…。父である私がなんとかしてやらねば』
(あら、なんか嫌な予感がするわ)
レティシアは焦る気持ちを抑えてページを捲る。
『アンソニーが怖がらないように、川を地下に流す工事を始めた』
(やっぱりかぁぁぁぁ!! アンソニー君のために暗渠にしたのか……)
だが、日記の次のページにはそこから畑に流す工夫が書いてあった。
『畑に流すようにした水路には蓋(ふた)を命じた。これでアンソニーも安心して領地を回ることができるだろう。アンソニーの気分転換に、領地の北西の要塞を別荘に作り替えて、夏には旅行に行こう。きっと楽しいだろう……』
(親バカなんだ。壮大な親バカなんだ。川に柵とかじゃダメだったのか? これって凄い費用のかかった工事だよね? しかも、要塞を別荘にって……そのお金を今の私にください~)
レティシアが何代前か分からないご先祖様にお願いをしてみたところで、くれるわけもない。
地下に流した水は、本来ならばルコントの領地の隅々に行き渡っていたはずだが、きっと水路は崩れてしまったのだろう。
そして、誰も知らない地下水道を通って海に流れているのだ。
もったいない……。
レティシアは屋敷をひっくり返して捜索したが、その当時の地下水路の地図はなかった。地図がないなら他の案として、山の麓で見つけたトンネルを潜っていき探索するという方法を思い付いたが、崩れて生き埋めになる可能性に気付き、ブルッと震える。
(トンネル捜索は断念しよう。暗いのも怖いし)
なので、水路の捜索は昔のことをよく知っている人に聞いてみることにした。
次の朝。
領地で唯一の教会に向かう。
ここのトロウエン聖司教様は、七十歳。彼なら古い話を知っているかもしれない。
町外れに建つ教会は、町の商店同様に木造でできている。どこもかしこも経年劣化が激しく、特に白いペンキは剥げているところの方が多いくらいである。
親が信仰心の無い人だったから、レティシアがここを訪れたのは、初めてだった。
「領地を立て直せたら、ここもなんとかしなければ……」
朝早かったが、教会のドアは開いている。既に司教様が朝の礼拝を行っているが、信者は誰もいなかった。
だからだろう、レティシアが入っていくと嬉しそうに礼拝の声が、一つ大きくなった。
すぐにでも水路の行方を聞きたかったが、それはできそうにない。
にこやかな顔で説教してくれている司教様に対して、『その説教は心に染みます』という神妙な顔で聞き続けなければ、申し訳ない。
硬い木の椅子に腰掛け、司教様のありがたいお言葉を聞いて、終わるのを待った。
久しぶりの信者に、司教様の熱弁が続く。レティシアもその熱量に応えたいが、昨日の疲れもあって、眠くなる一方だ。下がる瞼に力を入れ、足をつねっては眠気と戦い続けた。
司教様の言葉が途切れる。ようやくその戦いに終止符が打たれたのだ。
司教様が奥の部屋に戻る前に、声をかけ捕まえることに成功したレティシア。
「道に迷いし我らが子よ。どうされました?」
背は高いが、痩せておられる司教様は、不(ぶ)躾(しつけ)に腕を掴んでしまったレティシアにも、優しく問いかけてくれる。
「あの、私はこの度、このルコント領の領主になった、レティシア・ルコントと申します。どうぞよろしくお願いします」
司教様は、数秒間動きを止めてレティシアを見る。その後ゆっくりと首を傾けて尋(たず)ねた。
「ロジェ・ルコント伯爵はつい先日までお元気だったと思うのですが?」
ぐっと喉が詰まった。父親が領地を顧(かえり)みず、女性と逃げたなんてどう言えばいいのか。
「……いえ、父は健在で……その……」
私が戸惑っていると、ちょうど聖教会に野菜を届けに来た少年が司教様に声をかける。
「トロウエン大司教様、ロジェ・ルコント伯爵様は、女性と夜逃げなさったのですよ。町中その噂で持ちきりだったのに、ご存じなかったのですか?」
司教様はハッとして、私の顔を再び見て謝罪の言葉を口にした。
「このところ、塞ぎがちだったために外に出ることがなかったのです。あなたには辛い質問をしてしまったことを謝罪します」
司教様が深く頭を下げる。そして、少年に「いいですか、人は少しの悪意の言葉で傷つきます。あなたには人を癒す言葉を選んで話す人になってほしい」と諭していた。
ああ、この人はとても良い人だ。子供にも丁寧な言葉遣い。先日の商店の人たちの愛想の悪い態度を思い返して、ほっとした。
「いえ、私の父が仕出かしたことで、領民の皆様には多大なご迷惑をお掛けしているのです。どうぞ、気にしないでください」
「そうだよ、トロウエン大司教様が謝ることじゃないよ。ルコント伯爵の経営能力がないから、とうとうトンズラしたって、みんな言っているよ」
本当のことは胸に刺さりやすい。
真実だが、少しはオブラートに包んだ優しい言い方にできないのか?
レティシアは平常心を保ちつつ返事を考えた。
「これ、先ほども言いましたが、人を傷つける言葉を言うものではありません」
私の代わりに、少年を諌(いさ)めてくれる司教様。
司教様は少年を叱ると、「すみません」とレティシアに頭を下げた。
深く頭を下げる司教様を止める。この話はあまり長引かすとレティシアの神経を削いでいきそうだ。
すぐに本題の暗渠に隠れた水路の話を切り出した。
「司教様は、この地面の下を流れる水路の話をお聞きになったことがありますか? どの辺りを流れているかご存じないですか?」
「え!? 地下に水があるのですか?」
ああ、これは全くご存じないようだ……。レティシアはふりだしに戻ってしまった。
司教様は、水路のことを全く知らなかった。聞けば司教様が生まれた時から、既にこの領地には川もなく、雨水とわずかな井戸水で小さな畑を守ってきたらしい。それでも、この水路のことを知っているかもしれないと、ある人物を紹介してくれた。
その人物は山の麓に小さな畑を耕している老人で、名前はマイク。
司教様より少し年上の老人は、一人で小さな畑を守っているそうだ。レティシアは一(いち)縷(る)の望みをかけて再び徒歩で、時間を掛けてその老人に会いに行った。
遠目には、厩舎なのかと見間違うほどの簡素な造りの家。
足の疲れもなんのその、マイクの家に着いて息を整えると、すぐにノックするが返事はない。
もう一度ノックをしようかと迷っていたら、強めの警戒心を伴う低い声がした。
「誰だ?」
「あの、この度新しくルコントの領主になりましたレティシア・ルコントと申します。この土地のことで聞きたいことがあります」
「……」
返事もなけりゃ、出てくる様子もない。
「あの……」
レティシアがもう一度声をかけたところで、壊れかけのドアがバンッと開いた。
「こんな所に来る奴で、碌(ろく)なもんがいた試しがない。さっさと帰れ……」
マイクはドアを開けながら、そこに立っているはずの人物に向けて喋ったのだが、誰もいなくてキョロキョロしたあと、下の方に目線を下ろし驚いている。
身長百八十cmはあろうかという大きな老人マイクは、ドアの前の人物が、少女だと気が付いて絶句していた。
「あの、今度この領地を管理することになった、レティシア・ルコントと申します」
レティシアはそこまで言うと、相手の出方を待つ。
目を手で覆い、天を仰ぎ見たマイクの顔には、絶望という文字が浮かんでいた。
まだ何もしていないレティシアの目の前で、ドアが閉められようとしている。そこをすかさず、がっと足を入れて、マイクがドアを閉めるのを阻(はば)んだ。
「子供に用なんてないぞ」
マイクはレティシアを睨みつけはするものの、差し入れたレティシアの足を怪我させないように、少しドアを開いた。
うふふ、この人もいい人だ。
レティシアは、じっとマイクをドアの隙間から見て観察する。
この老人、眉間の皺が深くて頑固そうに見える。だが、その目は象のようにつぶらで優しげだ。それに、今もレティシアの足で閉められなくなったドアを、どうしようかと考えあぐねている。
強く怒鳴るでもなく、その顔には戸惑いしか浮かんでいない。
「私の話を聞いてください。私はずっと以前に流れていたはずの、川や水路を探しています。何かマイクさんはご存じないですか?」
今ならば、マイクにも声が届くとレティシアは一気に質問を捩(ね)じ込んだ。
「……水路か……」
マイクが、ドアノブから手を離して顎に手をやって考え込む。
この感じ、明らかに何か知っていそうだと、レティシアはじっと答えが出るのを待った。
そして、顔を上げたマイクは重要なヒントを思い出したようだった。
「大昔、わしの曾祖父に聞いたことがある。曾祖父も聞いたらしいのだが、この先にため池があり、この辺り一帯の畑は、そのため池を利用していたらしいのだ」
――やったわ。手掛かりを見つけたぁぁ。
「では、きっとため池があった場所を探せば、地下に隠れた水路も見つかります!!」
マッチの火ほどの希望の光が灯る。
(みんなで探せば絶対に見つかるわ)
「マイクさん。ため池と水路探しを手伝っていただける人を、私に紹介していただけませんか?」
レティシアのキラキラした目を見て、マイクは自分が幼い頃に父親や祖父に、水路を探そうとお願いした遠い昔のことを思い出した。その当時はマイクの意見に笑うばかりで、誰も真剣に取り合ってもくれなかった。だからだろうか、レティシアの一生懸命な姿につい、「まあ、やってみるといいさ」とぶっきらぼうだが、手を貸すことを約束してしまった。
一人の協力者に喜んだレティシアだったが、このあとマッチの火は吹けば簡単に消えることを知る。
あちらこちらの家をマイクと一緒に回ったが、どの家からも、半笑いか、胡(う)散(さん)臭(くさ)い者を見る目付きで追い払われた。
何軒も何軒もレティシアはドアを叩いて、説得しようとしたがダメだった。
どこも貧しい家ばかり。それは今までの領主がきちんと治めていないせいだ。そのせいで、どの家もレティシアが名前を告げると眉をひそめた。
だがレティシアに、前領主の無能さを直接責める人はいない。きっと、レティシアが着飾ってドレスを着ていたならば、一人くらいは子供のレティシアにも、文句を言っていただろう。
だが、貴族のレティシアが自分たちと同じように薄汚れた服を着て、訪ねてきたのだ。門前払いはしたが、誰一人として、レティシアに酷(ひど)い言葉を投げつける者はいなかった。
もちろん、一緒に水路を探してくれる者もいなかったのだが……。
「俺たちはそんな暇はねえんだよ!!」
バタン。
また目の前で、ドアが閉められたところだ。
「もう、諦めろ」
マイクが水筒の水をレティシアに差し出して、ポツリと言う。
決して強く言ったわけではない。むしろ、レティシアを気遣うように言ったのだ。
「うん。そうですね。誰もあるかどうか分からない物を探す時間など、無いですよね」
俯くレティシア。
「そろそろ、日が暮れるぞ。諦めろ」
マイクは俯いたレティシアが、泣いているのではと、慰めるように頭を撫でる。
だが、レティシアはマイクの言葉を『今(・)日(・)は(・)諦めろ』と解釈した。
そして、立ち直りが人より数倍早かった。
「そうですよね。まだ始まったばかりです」
満面の笑みで立ち上がると、「今日はありがとうございましたぁぁ」と元気良く去っていった。
ちょっと、拍子抜けしたマイクだったが、久しぶりに楽しい時間だったとレティシアを見送る。
レティシアは屋敷に帰り着くと、ソファーに座り動かない。いや、動けなくなったというのが正しいだろう。
一日中歩き回って、へとへとだ。
しかも、今から自分で料理を作るなど、できそうにない。今日も少し硬くなったパンをかじり、汲み置きした水で流し込んだ。
「はー……、料理人もいなくなったのは辛いわ。せめてハムくらい挟めば良かったかしら……でも面倒臭い」
レティシアはソファーに寝そべりながら、棒のようになった足を揉んだ。
広い屋敷にただ一人。今日のようにうまくいかなった日は、慣れたはずの一人住まいなのにしまい込んだ寂しさが顔を覗かせる。こんな時はどうするのか? 決まっている、簡単なことだ。仕事をする、これ一択である。
そうと決まればテーブルの上に領地の地図を広げ、明日から重点的に探す場所に目星をつけるのだ。
最初は山からの川を辿ってみる。それがダメなら次の手だ。地図を改めて見ると原野になっている場所が広すぎて、一気に不安になる。
この時ふと、前世で見た地下鉱脈や水路をダウジングで探すというテレビ番組を思い出した。L字型のロッドと呼ばれる棒を持って地下にあるものを探すのだ。
これは今現在水路を探している自分にぴったりな方法ではないかと喜んだ。レティシアはすぐに屋敷の中を探し回ってダウジングに使えそうな針金を見つけ、ダウジングの知識はほとんどなかったが適当に、自分の手に合わせてL字型に折ってロッドを作る。
うん、いける!! 既に水路を見つけたような高揚感に手が震えた。これを持ってロッドがふわーと左右に開く。その下にはお宝ざくざく……ではなく水路が期待できるはず。
やはり、仕事をして良かった。いつの間にか寂しさは退場し、期待が表舞台に登場だわと、社畜根性満載の脳みそが大満足している。それとともに瞼が重くなってきたのだった。
あのあと疲れ切っていたレティシアはすぐに寝息を立ててぐっすり眠ることができた。
そして、今朝は目覚めもばっちりで、軽い朝食をすませると、庭園の隅っこにある物置小屋から大きなシャベルを引っ張りだして、パンと飲み物を持って元気に出掛ける。
今日は川が地下に流れ込んでいる所から掘り返していけば、川の行方を辿れるのではと思ったのだ。だが、木々に遮(さえぎ)られすぐに見失う。
しかも、シャベル一つでなんて、地面を掘れないどころか突き刺さりもしない。山の地面の硬さを舐めていた。
やっぱり、マイクが言っていた『ため池』を探そうか?
山の地面の硬さと、木の根っこに邪魔されて、早くも心が折れたレティシアは、マイクの家の前を通って、昨日教えてもらった場所を目指す。
ちょうど、その姿をマイクは窓から見ていたが、声をかけることなく見送った。
「見つかるかどうか分からないんだ、すぐに諦めるだろう」
レティシアの姿が見えなくなってから、マイクは自分の畑に向かった。
マイクの家も、その他の家も、共同の井戸から水を汲んでは畑に撒(ま)いている。この重労働を何代も続けてきたのだ。
地面を掘っても水が出ないというのは、分かっている。それは、マイク自身も水源を探したが、どこにもなかったからだ。
マイクは今日も諦めたように、共同の井戸に向かう。