エリート弁護士は生真面目秘書を溺愛して離さない
 由依はぶんぶんと首を振る。「そうか、本当になんでもないのか?」と含むところのありそうな鞘白に促され、おっかなびっくり車に乗りこんだ。柔らかなシートに体が沈み、ふわふわした心地になる。シートベルトを締める間も鼓動が妙に騒いで仕方がなかった。

「すみません、先生。車を出していただいて……」

 ざわめく心臓を押し殺し助手席で神妙に頭を下げれば、シフトレバーに手を置いた鞘白が微妙な顔つきで片眉を上げる。

「今日は休日だろう。先生と呼ぶのはやめてくれ」
「えっ……先生を、先生ではなく? では鞘白さんと……」

 ダラダラ冷や汗を流し始めた由依に、鞘白がぐいと身を乗り出す。美しい顔が近寄せられ、耳元に艶めく声が吹き込まれた。

「とぼけるなよ。名前を忘れたなら教えてやろうか?」
「ひゃあっ」

 くすぐったくてあげた声が思いのほか甲高くて、由依はカッと赤くなった。くすりと笑う吐息が耳朶に触れ、いたたまれなくなって身を縮める。

「俺の名前は思い出せたか?」
「さっ、最初から存じ上げております。……壱成、さん」

 さすがに呼び捨てにするわけにもいかず、なんとか妥協点を探して告げると鞘白の大きな手がするりと由依の頬を撫でた。

「いい子だ。別に呼び捨てでも構わないし、敬語もなしにしてくれて構わないが」
「それは難しいです……」
< 34 / 56 >

この作品をシェア

pagetop