エリート弁護士は生真面目秘書を溺愛して離さない
「逆です。少し思い出があって。ほら、以前に私の両親が離婚したとき、鞘白法律事務所にお世話になった話はしましたよね? そのとき慰めてくれた方が、このフルーツジュースを買ってくれて。懐かしいなって」

 ひんやりしたボトルをこめかみに当て、由依は細く息を吐いた。吐き気が引いていく気がする。あのとき由依の願いを否定しないで、救いをくれた人がいた。忘れたことはない。

 結局両親は離婚して、仲直りの大団円は訪れなかったけれども、あの人の言葉はきちんと畳んで胸にしまってある。心が挫けそうになったときに大事に開いて、それでも、と前を向く灯火なのだ。

 壱成は自分の分の缶コーヒーを手の中で弄び、黙然と話を聞いていた。静かな横顔だった。何か言いたげに口を開き、言葉を飲み込むように喉を震わせ、それからぽつりと呟く。

「由依が絶叫系に弱いのは知らなかった。無理しなくてよかったんだぞ」
「でも、せっかく連れてきてもらったんです。それなのに私の都合で乗らないなんて、申し訳ないじゃないですか」

 由依にとってお出かけとはそういうものだった。稔も母親も、少しでも由依が疲れたり嫌がるそぶりをみせたりすると途端に不機嫌になったものだ。だからかけてもらった労力に報いるために全力で楽しい空気を演出する。それが礼儀だ。

 常識を説くようにさらりと答えた由依に、壱成が顔をしかめた。
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