大好きなあなたに、笑顔でまたねと言えますように
 眩しい日差しで目が覚めて、私はベッドからゆっくり体を起こす。瞼に違和感があって鏡で見てみると、赤く腫れ上がっていた。
 ――別人みたい。
 昨日、麗太くんに別れを告げられた。あれから美桜さんに何度も謝られたけど、そんなのどうでも良かった。
 ただただ麗太くんと別れたことが悲しいだけ。どうやって家に帰ったのかも覚えていない。

 「おはよう、愛海ちゃん。あれ、瞼腫れてるけどどうしたの?」

 「……そうですかね」

 「うん、赤くなってる。ものもらいかなあ」

 麗太くんと別れたからか、せっかく家族に本音を言えるようになってきたのにまた友里香さんにも嘘を吐いてしまった。
 やはり私は成長できていないなぁと思う。

 『今日のお天気は、午後五時頃まで晴天ですが六時頃から大雨警報が出ています。雨傘を準備するのが安全でしょう――』

 ニュースキャスターの声が耳に鳴り響く。
 空は雲一つない青空だが、私の心のなかは曇り空に覆われていた。

 「今日学校お休みして眼科行く?」

 「いえ、大丈夫です。すぐ治ると思うし。今日このまま学校行ってきます」

 「分かった、無理はしないでね。朝ご飯は食べていかないの?」

 友里香さんに問いかけられて私は首を横に振る。本当は学校なんて行きたくなかった。
 だって麗太くんに会ってしまったら、どんな顔をすればいいのか分からないから。外に出ると同時に、猛烈な吐き気と目眩に襲われる。

 この感覚を私は知っている。麗太くんに出会う前の私だ。お母さんが亡くなって、家族や友達に嘘を吐いてばかりの私の気持ち。はあ、はあと息を荒くしながら、なんとか学校まで辿り着いた。

 麗太くんに別れを告げられてから、私は無気力になってしまった。前のような何も出来ない自分が嫌だったのに、また戻ってしまった。麗太くんがいないと自分がこんなにも弱いだなんて……。
 ――……気持ち悪い。

 「まなみん、おはよー!」

 「愛海ちゃんおはよう」

 「……おはよ」

 花菜ちゃんと遥香ちゃんの声を聞いても、吐き気と目眩は一向に無くならない。
 それどころか喉に何かが詰まっているような吐き気がどんどん込み上げてくる。
 けれど心配をかけないように私はまた笑顔を作る。大丈夫だ、今までもこうしてきたのだから。

 「愛海ちゃん大丈夫? 何か顔が青白いけど……」

 「うん、大丈夫。心配かけてごめんね」

 そしてまた偽りの笑顔を作った。
 ――あれ、何で私無理やり笑っているんだろう。何でまた心配かけないように、嫌われないように笑顔を作っているんだろう。
 辛いときは辛いって本音を吐き出すと決めたのに、それができなくなってしまった。

 「あれ、夏谷くんじゃない?」

 「本当だ! まなみん、彼氏いるよ、行かないの?」

 二人にはまだ麗太くんと別れたことを話していないから、いつ打ち明けるか悩んでいるところだった。

 「夏谷、やほ!」

 「……おう」

 麗太くんは私達の横を素早く通り過ぎて行った。麗太くんに向けられた冷たい視線がチクチクと刺さり、胸が苦しくなった。
 ――話すことも、許されないの……?

 「夏谷くん照れてるのかな、愛海ちゃんがいたから」

 「でも彼女にも挨拶しないでさ、酷いとおもわない? まなみん」

 「……あはは、しょうがないよ」

 私にできることは苦笑いして「仕方がない」と言うこと、ただそれだけ。
 今までどんなときも笑顔でいたのだから、きっとこれからも大丈夫。そう自分に言い聞かせた。


 六限目終わりのチャイムがなり、私は急いで帰宅の準備をし、教室を出た。
 花菜ちゃんや遥香ちゃんに「用事があるから先に帰るね」と嘘を吐いてしまったことに、今更ながら罪悪感を持つ。
 早く帰りたかったとはいえ、あんな家にいるのも嫌だった。友里香さんや沙耶香ちゃん、お父さんにもまた迷惑をかける訳にはいかない。
 私は近くの公園へと向かった。

 「……雨?」

 スマートフォンで時間を確認するともうすぐ六時。
 そういえば今朝ニュースで雨が降ると言っていたな、と思い出す。折りたたみ傘を持ってこなかったことを後悔した。

 「どうしよう」

 どんどん雨風が強くなっていき、次第に空も暗くなっていった。急いでスクールバッグを片手で持ち、帰り道を駆けて行く。
 ――どうして私ばかり、こんなに辛いの。

 そう思った途端、涙が一粒零れ落ちる。いま、私は雨風のなかで待っている子犬のようだ。「助けて」と言えないまま、ずっと誰かの差し伸べてくれる手を待っているだけ。
 この雨風に打たれて消えてしまいたい。心からそう思った。


 「愛海ちゃん!?」

 「愛海お姉ちゃん、どうしたの?」

 家に帰ると、やはり友里香さんと沙耶香ちゃんが待っていた。
 ずぶ濡れの私を見て驚いていたが、すぐにタオルと替えの洋服を持ってきてくれた。
 ――こんな格好のまま帰りたくなかった。

 「愛海ちゃん、何かあったの? 帰りも遅かったけど」

 「ううん、何もないです。傘持って行くの忘れちゃって。嫌だなぁ、私って本当馬鹿ですよね」

 そう言ってまた苦笑いをする。いまの私にとって心配されるのは苦痛でしかなかった。
 一人にさせてほしい。この気持ちを分かってくれるはずがないから。

 「愛海お姉ちゃん、いつもと違う。最近のお姉ちゃんはもっと楽しそうだった」

 「そうよね。愛海ちゃん、何かあったんだよね? 話してほしいな、少しは分かってあげられると思うから」

 いつもと違う。
 少しは分かってあげられる。
 二人の言葉を聞いた途端、私のなかの何かが切れる音がした。私は持っていたスクールバッグを床に勢いよく投げつける。

 「私のこと分かったみたいな言い方しないでよ……! 私の気持ちは私にしか分からない。どうして、どうしてそんなことが言えるの? 何で私なんかにそんなに優しくしてくれるの? やめてよ……っ」

 八つ当たりしてはだめだと分かっていても、止められなかった。
 友里香さんと沙耶香ちゃんの悲しそうな顔を見て私ははっ、とする。

 「ごめ……ん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 床に投げつけたスクールバッグを手にとって、わざとらしく足音を鳴らして階段を駆け上がる。
 私はいつもこうだ、二人は私のためを思って言ってくれているのに傷つけてしまった。いまはただ、私に対しての優しさがとてつもなく辛い。

 「……っ、お母さぁぁん! 私、お母さんがいてくれなきゃ何もできないんだね……っ」

 小さい子のように泣きじゃくりながら、届かないお母さんへ問いかける。
 私、もっとお母さんに甘えたかったんだ。私が幼い頃に病気になったお母さんともっと話したかったんだ。
 ――ねぇお母さん、お母さんならこんなときどうする?

 そんな気持ちを心のなかで言っても、もうお母さんの返事はない。いま私が聞こえているのは「愛海ちゃんごめんね、開けて!!」という友里香さんの叫び声や、台風かと思うくらいの物凄い雨風と、ただただ泣いている私の声だけ。

 もう大切な人を失いたくなかったのに、また私から離れていってしまった。お父さんやお母さんはもちろん、友里香さんと沙耶香ちゃん、花菜ちゃんや遥香ちゃん――麗太くんまで不幸にさせてしまった。傷つけてしまった。
 強い雨に打たれている草木を見つめながら、私は本物の死神みたいだなぁと微かに思った。
< 11 / 16 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop