大好きなあなたに、笑顔でまたねと言えますように
 どんよりとした曇り空。ベッドから体を起こし窓を開け、空気の入れ替えをする。肌が刺さるような冷たい風が入ってきた。もう冬が近づいてくることに驚く。
 ――時の進みは驚くほど早いな。
 階段を降り、リビングへと足を運んだ。不思議と今までのような吐き気や目眩は無くなっていて心が安らいでいる。心身共に安定してきたのだろう。

 「おはよう、友里香さん」

 「おはよ、愛海ちゃん。もう十月だね」

 「本当に時の流れって早いですよね。びっくりしちゃう」

 この前、麗太くんともう一度水族館へ行けて嬉しかった。
 昨日は日曜日だったから、久しぶりに麗太くんに会える。そう思えば何だって頑張れる気がした。

 「今日はね、また目玉焼きを作ってみたの。でも前とは違う味だよ」

 「前とは違う味?」

 「お父さんにね、七海さんが作ってた目玉焼きのレシピを教えてもらったの。これなら愛海ちゃんのお口にも合うかな、って」

 お母さんが亡くなる前は、お父さんとお母さん二人で料理をしていた。
 楽しそうに料理をしている両親を見て、私まで嬉しくなったのをよく覚えている。
 ――友里香さん、私のためにわざわざお母さんのレシピで作ってくれたんだ。
 友里香さんの思いやりがとても嬉しかった。

 「いただきます」

 目玉焼きを口に運ぶと、懐かしいお母さんの味がした。白身は縁がカリカリに焼けていて、黄身の部分はまろやか。お母さんの目玉焼きそのものの味がする。
 黄身が嫌いだったお母さんを思い出してしまい、涙が出てきてしまう。鼻をすすりながら私は目玉焼きをぱくぱくと口に運ぶ。

 「あっ、ごめんね愛海ちゃん! 今更だけど、七海さんのこと思い出しちゃうよね。ああ私、何で分かんなかったんだろう。ごめんね、残しても大丈夫だから」

 「ううん、違うの、美味しくて。お母さんの味だぁ……っ」

 友里香さんの思いやりがじんわりと伝わってくる。
 懐かしいお母さんの目玉焼きを食べたことよりも、友里香さんに心を開きかけている自分が何よりも嬉しかった。

 「じゃあ行ってきます」

 友里香さんは私が泣き止むまで、ずっと背中を擦ってくれた。
 何だか本当の親子になれているようで嬉しくなる。

 「気をつけてね、行ってらっしゃい」

 ――お母さん、行ってきます。
 写真のなかのお母さんと目の前にいるお母さん、二人に笑顔で見送られながら、私は外へ一歩踏み出した。

 「あっ、水坂さんとこの娘さん。おはよう」

 「あら朝早起きで偉いわねぇ、学校頑張ってね」 

 「おはようございます、行ってきます!」

 近所の女性から声をかけられ、私は挨拶をした。
 以前は少し頭を下げるくらいだったけれど、今はこうやって声を張って返事をすることができる。
 空は曇り空だけど、私の心は晴天だった。


 「おはよーまなみん!」

 「愛海ちゃんおはよう」

 「花菜ちゃん、遥香ちゃんおはよう」

 スクールバッグを机の横に掛けて席へ座る。花菜ちゃんや遥香ちゃんが笑顔で挨拶してくれた。
 やはり注目されるのは苦手だけど、教室での自分の居場所があるから大丈夫だ。

 「まなみん、最近夏谷とはどう?」

 「えっ、麗太くんのこと?」

 「また二人が付き合ってること聞いたときはほんとに嬉しかったけど……また別れちゃったらどうしようって花菜ちゃんと話してて」

 二人の優しさが嬉しくて涙が出そうになってしまった。
 私のことを心配してくれているのが分かるから。

 「最近は普通だよ。おととい、また水族館行ったんだ」

 「えっ、また!?」

 「そうなの。あの日をやり直そうって言ってくれて。やっぱり私、世界中の誰よりも幸せ」

 そう言うと二人は自分のことみたく嬉しそうに微笑んでくれた。

 「あっ、愛海! 長澤さんと高城さんも。おはよ」

 廊下から麗太くんがひょこっと顔を出し、愛海をしてくれた。
 廊下側の席で良かったな、と心から思う。

 「あれ、何だかあたし達だけ距離遠いんだけど?」

 「ふふっ、もうすっかり恋人って感じだよね」

 麗太くんの笑顔を朝から見れて、とてつもなく嬉しい。
 花菜ちゃんや遥香ちゃんにひやかされてるのはまだ少しだけ恥ずかしいけれど。

 「麗太くん、おはよっ」

 「……ん。あ、今日帰り迎え行くから」

 ――やっぱりまだちょっぴり慣れなくて、少し恥ずかしい。

 「あははっ、まなみん、いま顔真っ赤だよ」

 「えっ」

 「恋してる愛海ちゃんかわいい!」

 そう言って二人は勢いよく抱きついてきた。急いで手鏡を取り出し確認すると、確かに私の顔は赤くなっていた。恥ずかしさと嬉しさが顔に出てしまっている。
 せっかくポーカーフェイスを練習しようと思ったのに……きっと麗太くんが傍にいてくれる限り、感情を表に出さないことは永遠にできないだろう。


 「愛海ー、帰ろうぜ」

 「あっ、麗太くん、いま行く!」

 約束通り、放課後になると麗太くんが教室へ迎えに来てくれた。

 「まなみんまた明日ね」

 「愛海ちゃん、またね」

 「花菜ちゃん、遥香ちゃんじゃあね」

 花菜ちゃんと遥香ちゃんに別れを告げ、私は麗太くんと共に歩き出した。
 前は少し後ろで歩いていたけれど、今は違う。麗太くんの隣で共に歩くことができている。
 ――間近で見ると更に身長高く見えるなぁ。

 「なにこっち見てんの。恥ずいんだけど」

 「へっ!? な、なんで?」

 「……好きな人に見つめられると、誰だって恥ずかしいだろ」

 耳まで赤くなっている麗太くんを見て、私はまたドキッとしてしまう。
 恥ずかしさを隠すつもりか、麗太くんは前髪を触って整えるフリをしている。こういうところも愛おしい。

 「え、えっと、麗太くんやっぱり身長高いなぁって思って」

 「そうか? 愛海こそスタイルいいと思うけど。けど体は細いからもっと食べろよな、俺が心配する」

 「うん、ありがとう」

 自分のことのように私の心配をしてくれる麗太くんがとても優しくて好きだ。

 「……でも油断するなよ」

 「えっ、油断って?」

 「学年の男たち、愛海のことかわいいとか言ってたから。まぁその度に俺が睨みつけてるけど。愛海、ふらっとどこか行っちゃいそうで怖い」

 それは麗太くんのほうでしょ、と心のなかでツッコミを入れる。
 確かに今の時間はずっと続くとは限らないし、明日が来ることの保証はないから怖い。
 だからこそ、今を全力で生きたい。

 「あっ、ここで麗太くんと出会ったんだよね」

 「ん、そうだったな。ほんとに助けてくれる素敵な人だと思った」

 「……そういえば、あのときちょっとした病気持ちって言ってなかった?」

 そのことをすっかり忘れていて、今まで何も疑問を持たなかった。
 ――まさか大きな病気を抱えているのではないだろうか。今更心配になる。

 「あぁそっか、言ってなかったよな。俺、不安性なんだよ」

 「……不安性?」

 「そう。人混みで吐き気がしたり、何かちょっとしたことで緊張したり、不安になったり。そんな感じ。精神的な病だから安心して」

 ほっ、と心の底から安心した。麗太くんが不安性を患っているなんて思いもしなかったけれど、
 確かに咲奈さんのことやご両親のこともあったからそうなるだろうな、と納得がいく。

 「でも愛海と一緒に行った水族館のときとか、電車のときは大丈夫だったんだ。咲奈と行ったときは吐き気と目眩がひどかったのに」

 「えっ、そうなの?」

 「……ん、だからやっぱりこれは奇跡の出逢いなんだな」

 ビー玉のような透き通った瞳、風に靡くサラサラな髪、太陽のような笑顔。
 出会った日とまるで同じような光景だ。

 「愛海といると心が落ち着くんだと思う。だから明日も明後日も、その次も。ずっと一緒にいてください」

 「……はい。もちろん」

 今から私達が言うことは、今まで私達が拒絶してきた言葉。
 この言葉を言える日が来るなんて、前までの私だったら思いもしなかったけれど。

 「じゃあ愛海――また明日」

 「――麗太くん、また明日ね」

 私達の奇跡の出逢いがあった横断歩道。
 笑顔で “またね” と言えた。
 ――大丈夫。私達はいま、毎日を歩めている。あの日から着実に時間は進んでいるんだ。

 「……お母さん、明日が来ることって当たり前じゃないんだね。私、大切な人と出会って気づけたよ、ありがとう。空から見ててね」

 私はもっともっと前に進める。だって今の水坂愛海なのだから。
 明日も、明後日も、これからも。
 大好きなあなたに、笑顔でまたねと言えますように。
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