その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

103 不気味な甘い色

「手洗いに行ってくるよ」

つないでいた手を離した彼が立ち上がるのを見送って、私はほうっと息を付く。

とても大好きな演目で、いつも虜になって見入ってしまうのに、全く集中できない。
折角彼が時間を割いてくれているのに、申し訳ないと思いながらも、頭の中では午前のマルガーナとのやり取りがぐるぐると回っている。

あれから自分なりに考えて見れば、確かに最近、身体がだるく熱く感じる事が多い。かといってそれが必ず妊娠に結び付くかと言えば、私の場合仕事を詰め込み過ぎた単なる疲れの可能性もある。

もし妊娠していたら、今やっている勉強や事業の采配はどうなるのだろうか?
ただでさえリドックに取られてしまった顧客もいて、私の手元に託された頃より少しばかり業績を落としてしまっている。
ここから巻き返しを図らねばと、エイミーとも様々な対応策を練っている最中なのだ。

妊娠という事になれば、きっとこの仕事は、彼がまた引き受ける事になるだろう。
ただでさえ王宮のお仕事が忙しい中に、家のことまでとなったら、彼の休む間も無くなってしまう。

彼が私と契約結婚までした意味がなくなるだけでなく、結局は彼の足を引っ張る事になるのではないか……

こんなはずではなかったと、失望されてしまうかもしれない。

もっと私よりも優秀な人に声をかけて居たらよかったと、後悔されたら……

そこまで考えた時、不意に個室の扉が開いて、彼が戻って来た気配を感じた。

お手洗いにしては早い、なにかあったのだろうかと思って彼の方を見上げると……

「ティアナ! ようやく会えた!」

「っ……リドック⁉︎」

入ってきたのは、夫ではなく、現在悩みの種になっている人物。目深にかぶった黒いハットからちらりとのぞかせたその瞳は、恋人を愛しむかのように甘い色を浮かべている。
こんな視線を、未だかつて彼から受けた記憶はなかった。

ぞくりと、背筋が寒くなる。

そして次の瞬間

ガチャリと耳に入って来た、無機質な金属の音……

出入口についている錠を嚙ませたらしい。

「これで邪魔者は来ないよ? ようやくゆっくりと君の本心が聞けるな」

するりと、しなやかな動作で、私の隣……先ほどまで夫が座っていた席に座った彼が、嬉しそうに微笑んだ。



なぜ、ここに今彼がいるのだろうか?
外に護衛だっていたはずだ……

そんな私の思いが顔に出ていたのだろうか、彼は「あぁ」と肩を竦めて、いたずらめいた笑みを浮かべた。

「ロビーの方で何やら騒ぎがあったみたいでね。警護の者たちはそちらの方に走って行ったよ」

「さ、わぎ?」

胸がざわざわと騒ぎ出す。
護衛達が動き出した……それは、つまり彼の身に危険が及んだと言う事で……


「おっと、俺が何かしたわけじゃないよ! ここに来るまでにその光景を見ただけだよ! それで君と話すチャンスかなって思っただけ!」

一気に警戒の色を濃くした私の反応に、リドックは慌てて両手を肩の位置で振って見せる。
その芝居かかった様子が、一層私の不安を掻き立てた。
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