その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

108 決定事項

♢♢

貴族が利用する劇場の正面にあるこの店は、当然貴族御用達の店舗で、悔しくも数週間前にリドックが業務提携を持ち掛けて成功したと聞いたばかりの場所だ。

アフタヌーンティが華やかで、令嬢達の中でもかなり人気の高い店で、私自身も以前友人たちと何度か来たことがある。

夕刻に差し掛かる時間帯であるため、店内の客の姿はまばらだ。


「なんだか騒然としていたけれど、何が起こったの? 本当に夫は無事なのよね?」

リドックに促がされ、劇場を後にして、劇場の馬車の昇降場が望めるティーショップの2階へ案内され、窓際から一番離れたボックスの席に座らされた私は、ここまで我慢してきた疑問を投げかける。

正直この店を提案した際には、2階の窓辺の席に座る事を見越していたのに、たまたまその付近に客がいたため、まんまとリドックの誘導で奥の席に座ってしまった事に少しばかり焦りはしたけれど、それよりもここに来るまでの道中に見て来たことの方が私の心をざわつかせた。

ロビーに向かう最中、治安部隊が右往左往して、劇場のスタッフらしい者達が忙しそうに走り回っていた。
その上、そろそろ幕間も折り返しに差し掛かる頃合いであるはずなのに、席を離れて会場外に出ている人の数が多いように感じた。
全体的に浮足立ったその様子に、リドックの後ろをついて歩きながら、不安を感じずにはいられなかった。

私の言葉にリドックは、「あぁ……」とこともなげに肩を竦めるだけで、やって来たギャルソンに「いつものね。彼女には季節のデザートのプレートとティーセットで」とこちらの事などお構いなしで注文を伝える。

「お茶だけで結構です。このあと夫と食事なので!」

慌てて訂正を入れると、ギャルソンが困ったようにリドックを見る。プレートのデザートを楽しむほどの時間ここに居るつもりはないという私なりの意思表示だ。
彼は困ったように、微笑んでギャルソンに「彼女の好きなように」と告げた。

「ちょっとした貴族の跡取り問題のいざこざが起きたんだよ。一人娘で婿を取る予定の令嬢とその婚約者のデートに、彼女の親類の男が納得いかないと刃物を持って襲い掛かったみたいだ」

ギャルソンがいなくなると、リドックはまるで子供の喧嘩の説明でもするように大した事は無いと話し出す。
「刃物⁉︎」
「あぁ、でも相手が悪くてね。その婚約者ってのが騎士職の男だったものだから、片手でねじ伏せられて、それで終わり!」

驚いた私が腰を浮かせかけるのを制止して「めでたしめでたし」とでもいうように手を叩くリドックは、随分その様子を楽しんでいる様子で、胸の奥からむくむくと嫌悪感が湧いて来る。

「多分ロブダート卿はその騎士と面識があるんじゃないかな? 彼らの手助けに入って、護衛の人員を割いたのだろうね。だから俺は君とこうしていられる」

そうどこか得意げに微笑むリドックを見ながら、私はぼんやりと昔どこかで見たような光景だと既視感を感じる。
そう、幼い頃飼っていた猫が、鳥やネズミを捕ってきては、ドアマットの上に置いて誇らしげにしていたあの様子……
もしかして、彼はこのためにその事件すらも……

気が付くと同時に、ぞくりと背筋が冷えていくのを感じた。
偶然機会が舞い込んだわけではない、彼が作為的にこの状況を作り上げた。

まさか、流石にそんな事……
しかし、学生時代の私たちの約束の時もそうだったように、私が私の裁量で彼を見てしまうのは危険なように思えた。

彼は善良な人であったはず……そんな私のイメージは取り払って考えるべきではないだろうか。

そうであるならば、それに乗ってのこのこ付いて来てしまった私の選択は悪手だ…。

きゅうっと両手を握る。
せめて、彼のペースに巻き込まれることなく、できるだけ早く話を終える事……ここまで来てしまったからには、その先に打てる手はそれしかなかった。

「そう…機会をいただけて嬉しいわ。あなたと、きちんと話をしたいとは思っていたから」

背筋を伸ばしてリドックを真っすぐ見れば、彼は嬉し気に目を細めて頷く。

「それは良かった。君の本心を話してくれ。何の心配もいらない、この先は俺が君を守るよ。きちんと身を寄せる場所も用意してある」

「身を、寄せる⁉︎」
唐突に彼が言った言葉の意味が分からず首を傾ける。
そんな私に彼は「そうだよ?」と頷く。

「だってロブダート家に戻ったら、きっとまた君は君の意思を捻じ曲げられて下手したら軟禁でもされかねないだろう? 安心していい! スペンス家ではなく、俺が個人で契約しているアパートメントだから生活に困ることも、あの女と顔を合わせることもないよ」


あの女……彼が指すのは彼の継母に当たるグランドリーの母親のことだ。リドックの失脚の原因となった私を恐らくとてつもなく恨んでいることだろう。間違いなく何かしらの攻撃を受けることは予想していたものの、夫が盾になっているせいか、はたまたあの事件の解決の際にそうした事を見越した予防策が取られているためか、音沙汰がないのが不気味ではあった。

「心配しなくていいよ、あの女も愚兄が失脚してから気が触れてしまってね。何をするかわからないからって今は監視をつけて家に籠らせているよ。王都に置いておくのは怖いから、ひと月後には領地の修道院に入れる予定になっているから、君の前に顔を見せることはあり得ない。本邸に移るのはそれが済んで少し落ち着いたらにしたらいい」


全て随分前から計画していたというように、スラスラと話していくリドックの言葉。
まるで、決定事項のようなその話し方には、私が彼の手を取らないなんて事は彼の頭の片隅に1ミリもない様子だ。

ここまで、思い込みが激しい人だっただろうか。
私の知っている彼は、皮肉っぽいところもあったけれど、もっと柔軟で気遣いの出来る人だった筈だ。

国を離れた月日がそうしてしまったのだろうか? それともこれも私が気づかなかっただけで彼のもともと持っていた性格だったのだろうか。

いずれにしても、このまま話を聞いているだけでは、リドックがどんどんと話を進めていってしまうだろう。

背筋を伸ばして、膝の上で手を握りしめる。
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