その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

112 喧嘩

「だから、対面をさせたくないと言ったんだ」


ひんやりとした言葉が、やけに鋭く私たちの間に落ちた。

それと同時に、シャラリと冷たい金属音が響いて、私の目の前……リドックの喉元に銀色の、鋭利な刃物が突きつけられた。



「っ……」

思わず息を呑んで動きを止めたリドックと、反射的にその声の主を振り返る私。


そしてそんな私の肩を素早くリドックから奪い取って、自身の胸に引き寄せる、私の夫。

リドックから引き剥がされて、彼に刃物を向けているのが夫ではなくて、違う男性である事を知る。見覚えのあるその顔は……おそらく学院の同級生にいた顔だ。

「近くにいてくれてよかった」

耳元で囁くように言われたその声に「ゆっくり呼吸を整えて、もう大丈夫だから」と優しく宥められて、そこでようやく私は自分の呼吸が随分と早くなり、手足が震えている事を理解した。


ゆるゆると力を抜いて、彼の胸にしがみつくと励ますように彼の大きな手が私の背中を撫でてくれる。


「っ、ディノ! どう言うつもりだ!!」

そんな中、リドックの苛立ちをあらわにした怒号にもう一度ビクリと肩を揺らすと、ギュッと夫が私の頭を抱きこむように抱きしめた。


「それを聞きたいのは俺の方だ、リドック!協力する事に了承したが、アンジェリカを巻き込むなら話は別だ! それに俺は犯罪には加担する気はない!」


姿は見えないけれど、くぐもって聞こえた声は……おそらくディノという、以前顔も思い出せなかった学院時代の同級生で、夫の同僚だろう。


「っ、お前! わかっているのか! 俺の邪魔をすると言う事は!」

「別にいいさ! お前について行くという事が、どういう事かよくわかったからな! 所詮お前にとって友達なんてただの駒なんだろう? 流石にこんな事に利用されて、大切な人を傷つけられて、黙って従う程、俺は馬鹿じゃない」

「っ、何の話だ! 俺は知らない!」

「そんなわけないだろう? ローズとずっと関係を持っている事くらい、俺だって知っている」

「っ…」

「ローズを使ってニコラスをけしかけたんだろう? 俺とアンジェリカの結婚の話が進んでいる事を伝えさせて、ニコラスの怒りを煽ったのだろ」

リドックからの返答はなく、代わりにディノのため息が響く。

「友達だと思っていたのは俺だけだったらしいな。俺はお前の願い通り、お前が国を出てからも逐一スペンス家とティアナ嬢の事を伝えたり、ロブダート卿とすれ違うような情報をわざと伝えたり細工したり、城内で耳にした情報を伝えたりした! 全てお前の願い通りだった筈だ!」

「はっ! そのおかげで、確かに予定外に兄貴は失脚したが、この男にティアナを取られる事になった! 結果としては最悪だ。それに、お前だって純粋に友達として俺を思っていたわけじゃあ無いだろう? お前の婿入り先の男爵家なんて爵位があるくらいで大した事業はない。俺が戻ってきたあかつきには、将来的にスペンス家の事業をいくつか貰い受けることが目的だったくせに!」


「っ、それは確かにあった! 学生時代からお前はそういう話をチラつかせて、俺たちを利用していたのも、分かってはいた……だからジェイクだって……」


「ジェイク?」と、胸越しに夫がつぶやくのが聞こえる。

「結局、俺頼みだっただろう? お前もジェイクだって、運良く王宮勤めになったはいいが、その先を自分で切り開く力はない。だから都合のいい俺に擦り寄って、俺の人形になることしか出来なかった! 本当の悪はだれだ? 大した逆境の中に生きているわけでもないのに、自分で切り開く事も出来ないお坊ちゃん達が都合が悪くなったら俺に文句を言うのか?」

トーンダウンしたディノに今度はリドックがたたみかける。

そんな中、苛立ったように大きく息を吐いたのは、私を抱きしめたままの夫だった。


「お友達同士の喧嘩は後で2人でやってくれないか?」


一瞬にしてその場が凍りついたように静かになる。

それほどに彼の声に静かな怒りが込められていた。
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