その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

123 夫人


♢♢
「良いですか、ティアナさん。貴方のすべき事はグランドリーを立てる事です。あの子はやればできる子なんですから、妻である貴方がしっかりとサポートしてあの子の能力を伸ばすのです。学院で素晴らしい成績を収めている貴方なら、そのくらい簡単でしょう?」

棘を含んだ未来の義母の言葉に、腹に力を込める。
「承知しておりますわ。シャルロット夫人」

婚姻するまでは、自分を義母とは呼ばせないとうのも彼女のこだわりの一つだ。

理想通りの私の返答に、彼女は満足げに口元を吊り上げて紅茶を一口飲む。

「結構です。あぁ、そういえばもうすぐ学院の試験期間になるのね。今回も、良い成績を期待してますよ。間違っても、アレには負けないように……」

「っ……はい」

アレが何を指しているか……頻繁にスペンス家に出入りするようになって……彼女と接するようになって、否応にも理解することとなった。

彼女にとって、継子のリドックは嫌悪とコンプレックスの対象なのだ。

学院で特別優秀でもなかった実子のグランドリーに対して、いつもリドックは次席に名前を置いている事は彼女の中で大きな苛立ちとなっている。

そして私とグランドリーが婚約した今、私がリドックよりも成績の良い事で溜飲を下げているのだ。

しかし社交界の中では、夫となる息子より、妻となる私が優秀だと言われる事も、内心では面白くなくて……事ある毎に呼び出されては、「妻というものは夫を立てるものだ」と、指導を受ける事が多かった。


彼女にとって、グランドリーと自分の名誉が一番だった。

だから、グランドリーが国外に出されたと聞いた時から、どこかで不思議だったのだ。

あの方が、これほど静かにしているのだろうか? と。




ブツブツと、小さい声で何かを唱えながら、こちらを凝視してふらふらと向かってくるシャルロット夫人は、最後に私が見た時の姿とは打って変わって、随分と痩せていた。


もともと、細身ではあったものの、胸やお尻など肉のつくべき所にはきちんとついており、若い頃はそのプロポーションが彼女の自慢ではあったはずなのに。今はその全てがこそげ落ち、サイズが合っていないドレスが異様だった。

落ち窪んだ目と、その手に握られている刃物が、私しか狙っていないとわかり、反射的に一歩後ろに下がる。

シャルロット夫人の異様な様子に気づいた夫が、庇うように私を背に回す。


「逃げるな! 忌々しい! あの下賎な生まれの男と結託していたのだろう! だからグランドリーを! 私の可愛い息子を貶めて……」


彼の背で、シャルロット夫人がどのような顔をしているか分からない。けれどその場を切り裂くような甲高い喚き声は、人から発されるものとは思えないほどに禍々しい音を紡いでいた。
そんな中で、なんとか彼女の言っている言葉は理解できた。

やはり彼女が黙っている事などあり得なかったのだ。

溺愛していた息子を取り上げられ、虫のように忌み嫌っていた継子が後継者となり同じ屋敷の中で生活をしている。
そして、その継子により近々領地に追いやられるとなれば、彼女の高いプライドが許せるはずもない。

「最初から、その優秀さを鼻にかけた態度が忌々しくて嫌いだったのよ! だけどグランドリーが気に入っていたから! それをこんな形で……恩知らずもいい所だわ!」

コツーン コツーンと磨き抜かれた回廊の床を彼女が靴底を鳴らして近づいてくるのは分かった。

知らず、夫の袖を後ろに引くが、彼は私を背に隠したまま、夫人に対峙している。


「っ……奥様っ‼︎」

回廊に、驚愕の色を含んだ男性の声が響く。
それが、私には誰のものかすぐにわかった。
スペンス家の執事で、以前はグランドリーに、そして今はどうやらリドックの世話を任されているアランだ。

「おやめください。そのような事をこのような場所で! ますますスペンス侯爵家の地位が……」

「うるさい、アラン! そんなもの、この小娘とあの男が継ぐスペンス家など、地に落ちればいい! 離しなさい! まずはその腹にいる忌々しい血の子どもから始末してやるわ!」

「ですから! リドック坊っちゃまのお子ではございませんと、何度も……すでにティアナ様は他の方の妻になっているではございませんか!」

「っそんなもの! なんとでも誤魔化しは効くだろ! これも奴らの策なのだ! なぜ分からない! 忌々しい、少しばかり頭がいいからと、小賢しい手を使いおって! お前も私も、騙されているんだ」

なんだかよく分からない押し問答が始まった。

そんな中……今度は後方からバタバタと人が走ってくる音がしてくる。

「シャルロット‼︎ なぜここに!」

「お前達! 夫人の手から今すぐ刃物を取り上げてとり抑えろ! 多少手荒なことになっても許す」


真っ青になった、スペンス卿と、リドックが数人のお付きの者を連れてこちらに走ってくる所だった。

「っ! 奥様! おやめください‼︎」

「うるさい! 邪魔をするな! 全て、あの女の子どもの思い通りになどしてたまるか!」


カツカツカツと先程より随分としっかりした足音がこちらに近づいてくるのを感じると共に、私の腕を掴む彼の手に力が入る。

「ティアナ‼︎」

「やめなさい! シャルロット!」


リドックとスペンス卿の悲痛な叫び声が回廊に響いた。
< 123 / 129 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop