その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜
125もう一つの確執
「きちんと詫びろって……やったのはあんたの妻だろうに」
スペンス卿の姿が見えなくなるのと同じくして、同じようにその背中を見送っていたリドックがボソリと呟いた言葉は私や夫の耳にもしっかりと聞こえた。
つられるようにそちらを見れば、少し苛立ちを含みながらも、やれやれと言った様子のリドックとしっかり目があった。
リドックは肩を竦めて、困ったように微笑んでいて……思えば彼のこんな顔を見たのは学生の時ぶりのように感じた。
毒気も含みも……もちろん嘲る様子もなく、本当に素直な彼の仕草に思えた。
「申し訳ない。ご存知とは思うが、どうしてもあの人達はきちんと謝罪をするという事ができないらしい。こんな騒動を起こしておいて訴えられてもおかしくないのに、そちらの好意に甘えて……」
そう言ってリドックが手を差し出したので、夫が周囲をいま一度確認して、どさくさに紛れて隠し持っていた短刀を手渡す。
「これはあの女の生家の印章が入っているから、証拠として提出してもらえば、十分使えるが、いいのか?」
受け取りながら短刀の柄を翻し、飾りを確認したリドックが問うてくるが、夫はそのつもりはないと首を振る。
「随分と病んでいたようだ、あの目はまともではない。訴えたところで彼女に裁きを受ける精神力があるのかどうかだ……それよりも、今後こんな事が無いようにまともな監視をつけるなりしてもらいたい。それがこちらからの要望で十分対応いただけるならば、この事は不問にするとスペンス卿にお伝え願えるか?」
そう告げた夫の視線は、壁際で今にも倒れそうなほど真っ青になり縮こまっているアランを捕らえていた。
つられるようにそちらに視線を向けたリドックが、「あぁ」と先程とは打って変わって底冷えするような冷ややかな声をあげる。
ビクリとアランの肩が震える。
「もともとあの女が主人でね。どうせ俺の事を監視するためにつけているのだとはわかっていたんだけどね。まさかここまで愚かだとは思わなかったよ」
「ち、違います……私はただ事実だけをご報告して……なのに奥様は、私が欺かれていると……絶対に裏があると……聞く耳をお持ちにならなくて……」
「何年あの女に仕えているんだ? 主人の思考とその後の行動くらい把握出来るだろうに……馬鹿みたいに知り得た情報をただただ手柄のように報告したのだろう?」
呆れたようなリドックの言葉に弾かれたように顔を上げて懸命に弁明するアランだが、それすらリドックは鼻で笑って一蹴する。
何も言えず言葉を失ったアランは俯いてしまった。
「どうせ、あの女に許してもらいたかったのだろう? 俺の母と父を結びつけたのはお前だと聞いている。まさか父が使用人に入れ上げるなんて思ってなかったのだろう。思いがけず子供までできて、そこに嫁いできた女主人にせめてもの償いで尽くして来て……結局最後は主人を取り返しのつかないところまで落とす事になった」
尚も言い募るリドックの言葉に、アランの身体がブルブルと震えている。
随分と彼等の間の確執も大きそうだ。
「大人しく無難に仕えてくれていれば、任を解く事もなくあの女と共に領地に帰すつもりだったが、こんな事となっては、いくら長年仕えていた古参の者でも、父上は黙ってはいないだろうな」
リドックの言葉に、アランが「そんな!」と声を上げるが、リドックはそれを切り捨てるように、首を横に振る。
「お前には色々と思う所がある事は、幼い俺に散々な仕打ちをしてきたお前なら分かるだろう?」
「っ……あの頃は……あの時の事はずっと申し訳なく……しかし私もグランドリー坊っちゃまと奥様のご命令で仕方なく」
「ハハッ! その割に楽しそうにしていたじゃないか! 生意気なベスの息子を痛ぶる事をお前だって楽しんでいたくせに!」
「っ……それは……」
「母の事が嫌いだったのだろう? 同じ時期に屋敷に入り、すぐに溶け込んでどんどん仕事を任されて馴染む母に、お前が随分嫉妬していた事は、他の古参の者達に聞けばわかる事だ。当時遊び人だった父を焚きつけて母に手を出すよう唆してその状況に誘い出したのはお前である事だって、とっくの昔に知っているさ」
「っ……」
アランはリドックの言葉に息を呑み、今まで以上に目を白黒させて、狼狽える。
私の記憶の中の彼は、いつもグランドリーの後ろをついて歩き、彼に振り回されて狼狽えている苦労の絶えない人だった。
気が弱いのは一目瞭然で、頭の回転もさほど早いとは思えなかったので、そんな謀を過去にしていたというのが俄に信じられない。
「予想外に父が母にのめり込んで、捨てられるどころか逆に大切に扱われ、使用人から愛人となった母に仕えなければならなくなった上、その後嫁いできたあの女には恨まれて……必死に自分の立場だけを保ってきたが、それも全て消し飛んだな」
「っ……どうか……お許しを」
「許せると思うか? 自分が加担して俺にした仕打ちを思い出してみろ……お前なら簡単に許せるか?」
アランを見下ろすリドックの瞳は慈悲などない、と言うように冷ややかだ。
「目障りだ。俺はこれからロブダート夫妻と話がある。さっさと消えろ」
切り捨てるようにそう告げると、リドックは自身の後ろに立つ護衛役の使用人に目配せをする。
真っ青な顔のアランは、抵抗もせず屈強な身体の男性に引きずられるようにして排除されてしまった。
「さて、まずはお詫びをきちんとしないとね。見苦しい内輪揉めに突き合わせてしまって申し訳ない」
アランの退場を見送りながら、リドックが私と夫を順番に見て、そして先ほどの冷ややかな表情などなかったかのように、優雅に微笑んだ。
スペンス卿の姿が見えなくなるのと同じくして、同じようにその背中を見送っていたリドックがボソリと呟いた言葉は私や夫の耳にもしっかりと聞こえた。
つられるようにそちらを見れば、少し苛立ちを含みながらも、やれやれと言った様子のリドックとしっかり目があった。
リドックは肩を竦めて、困ったように微笑んでいて……思えば彼のこんな顔を見たのは学生の時ぶりのように感じた。
毒気も含みも……もちろん嘲る様子もなく、本当に素直な彼の仕草に思えた。
「申し訳ない。ご存知とは思うが、どうしてもあの人達はきちんと謝罪をするという事ができないらしい。こんな騒動を起こしておいて訴えられてもおかしくないのに、そちらの好意に甘えて……」
そう言ってリドックが手を差し出したので、夫が周囲をいま一度確認して、どさくさに紛れて隠し持っていた短刀を手渡す。
「これはあの女の生家の印章が入っているから、証拠として提出してもらえば、十分使えるが、いいのか?」
受け取りながら短刀の柄を翻し、飾りを確認したリドックが問うてくるが、夫はそのつもりはないと首を振る。
「随分と病んでいたようだ、あの目はまともではない。訴えたところで彼女に裁きを受ける精神力があるのかどうかだ……それよりも、今後こんな事が無いようにまともな監視をつけるなりしてもらいたい。それがこちらからの要望で十分対応いただけるならば、この事は不問にするとスペンス卿にお伝え願えるか?」
そう告げた夫の視線は、壁際で今にも倒れそうなほど真っ青になり縮こまっているアランを捕らえていた。
つられるようにそちらに視線を向けたリドックが、「あぁ」と先程とは打って変わって底冷えするような冷ややかな声をあげる。
ビクリとアランの肩が震える。
「もともとあの女が主人でね。どうせ俺の事を監視するためにつけているのだとはわかっていたんだけどね。まさかここまで愚かだとは思わなかったよ」
「ち、違います……私はただ事実だけをご報告して……なのに奥様は、私が欺かれていると……絶対に裏があると……聞く耳をお持ちにならなくて……」
「何年あの女に仕えているんだ? 主人の思考とその後の行動くらい把握出来るだろうに……馬鹿みたいに知り得た情報をただただ手柄のように報告したのだろう?」
呆れたようなリドックの言葉に弾かれたように顔を上げて懸命に弁明するアランだが、それすらリドックは鼻で笑って一蹴する。
何も言えず言葉を失ったアランは俯いてしまった。
「どうせ、あの女に許してもらいたかったのだろう? 俺の母と父を結びつけたのはお前だと聞いている。まさか父が使用人に入れ上げるなんて思ってなかったのだろう。思いがけず子供までできて、そこに嫁いできた女主人にせめてもの償いで尽くして来て……結局最後は主人を取り返しのつかないところまで落とす事になった」
尚も言い募るリドックの言葉に、アランの身体がブルブルと震えている。
随分と彼等の間の確執も大きそうだ。
「大人しく無難に仕えてくれていれば、任を解く事もなくあの女と共に領地に帰すつもりだったが、こんな事となっては、いくら長年仕えていた古参の者でも、父上は黙ってはいないだろうな」
リドックの言葉に、アランが「そんな!」と声を上げるが、リドックはそれを切り捨てるように、首を横に振る。
「お前には色々と思う所がある事は、幼い俺に散々な仕打ちをしてきたお前なら分かるだろう?」
「っ……あの頃は……あの時の事はずっと申し訳なく……しかし私もグランドリー坊っちゃまと奥様のご命令で仕方なく」
「ハハッ! その割に楽しそうにしていたじゃないか! 生意気なベスの息子を痛ぶる事をお前だって楽しんでいたくせに!」
「っ……それは……」
「母の事が嫌いだったのだろう? 同じ時期に屋敷に入り、すぐに溶け込んでどんどん仕事を任されて馴染む母に、お前が随分嫉妬していた事は、他の古参の者達に聞けばわかる事だ。当時遊び人だった父を焚きつけて母に手を出すよう唆してその状況に誘い出したのはお前である事だって、とっくの昔に知っているさ」
「っ……」
アランはリドックの言葉に息を呑み、今まで以上に目を白黒させて、狼狽える。
私の記憶の中の彼は、いつもグランドリーの後ろをついて歩き、彼に振り回されて狼狽えている苦労の絶えない人だった。
気が弱いのは一目瞭然で、頭の回転もさほど早いとは思えなかったので、そんな謀を過去にしていたというのが俄に信じられない。
「予想外に父が母にのめり込んで、捨てられるどころか逆に大切に扱われ、使用人から愛人となった母に仕えなければならなくなった上、その後嫁いできたあの女には恨まれて……必死に自分の立場だけを保ってきたが、それも全て消し飛んだな」
「っ……どうか……お許しを」
「許せると思うか? 自分が加担して俺にした仕打ちを思い出してみろ……お前なら簡単に許せるか?」
アランを見下ろすリドックの瞳は慈悲などない、と言うように冷ややかだ。
「目障りだ。俺はこれからロブダート夫妻と話がある。さっさと消えろ」
切り捨てるようにそう告げると、リドックは自身の後ろに立つ護衛役の使用人に目配せをする。
真っ青な顔のアランは、抵抗もせず屈強な身体の男性に引きずられるようにして排除されてしまった。
「さて、まずはお詫びをきちんとしないとね。見苦しい内輪揉めに突き合わせてしまって申し訳ない」
アランの退場を見送りながら、リドックが私と夫を順番に見て、そして先ほどの冷ややかな表情などなかったかのように、優雅に微笑んだ。