その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

最終話 数年後の微笑み

 ♢♢

窓から吹き込んだ風が頬をやさしくくすぐる。

 その僅かな空気の揺れと、ポカポカと暖かい日差し。

 どこか少し離れたところで、キャアキャアと高くて可愛らしい声が弾んでいる。
そんな和やかな雰囲気を背に、私は執務机で作業を中断して、いつもより少し早めに帰宅した夫の言葉に手にしていたカップを落としかけた。

「は? 私が王妃陛下……の?」

 意味が分からないと見返す私に、目の前の夫も困ったように眉を下げて微笑んでいる。

「陛下からの強い希望でね。同年代よりは少し歳上の方がいいのではないかと……君なら社交界でも一目置かれているし実績も十分、年若い王女殿下も学ぶ事が多いだろうと……」


「それは……なんとなく分かるけど、それにしても急ね」

「ようやく、逃げ回っていたこの件と向き合われる気になったようなんだ……」

「ようやくって……王女殿下のお輿入れまであと半月もないのよ? まさか本当に今まで逃げ回っていたの? だって即位してもう4ヶ月よ?」

大丈夫なの? と素直な気持ちを投げかけると目の前の夫が、それはそれは大きなため息を吐いた。


 私達が契約結婚なんて周りくどい結婚をしてから数年が経ち。ついに先日夫が長年仕えてきた王太子殿下が国王として即位された。
もちろん夫はそのまま陛下に仕えて今も出仕をしてているし、私はロブダート家の事業を一手に引き受けて切り盛りしている。
仕える主人の立場は変われど、私達の生活は特に変わる事なく、ただただ穏やかに日々が過ぎていた。

 陛下が即位して5ヶ月目に数年前から決まっていた隣国の王女殿下との婚姻が成立する事は頭の中にあった。とはいえ私の中ではしばらく夫の気苦労が増す事と、婚姻の諸々の行事のお陰で経済が回るので、その機をどのように利用するのか……ということしかなかったのだ。


 それが、王女殿下がご到着されるわずか2週間前に、王女殿下の指導役の任が打診されるなんて思ってもみなかった。

「陛下ってば、本当にご結婚が嫌なのね。そのご様子がお相手方に伝わらないといいのだけど」

 もう随分と前から決まっていた政略結婚だ。そりゃあ政略結婚なんて気の乗るものではないかもしれない。特に陛下はそれによって過去に恋人との別れを経験しているから気持ちはわからないでもない。
しかし、それはお相手も同じこと。確か相手は殿下よりも10も若い王女様だ。
まだ年若いのに故国を離れて……しかもお相手は気後れする程度には年上、辛くて気の乗らないのは彼女の方のように思う。

嫁いでみたら、お相手の国王にぞんざいに扱われる……なんて事はよく聞く話だ。

なぜかそれだけの話で、嫁いでくる王女殿下にひどく同情してしまう。

 わたしのそんな感情は、どうやら夫にもお見通しのようで「すまない」と本当に申し訳無さそうに言われて、椅子から立ち上がる。

 そのまま彼の元に歩くと、意を理解した彼が肩を引き寄せて額に口づけを落とすと連れ立って窓際のソファへ移動する。


 窓から見える中庭では、私達の2歳と3歳になる息子達がメイド達に見守られながら走り回っている。

「それで、陛下が強く希望されるように、私が王女殿下に関わる様に仕向けたのね?」

全てを見透かすわたしの言葉に、夫が「バレたか……」と言うように微笑むので、「もぅ!」と夫の太ももをぺちりと叩く。

「おそらく、どこかで君が王女殿下と関わる事は分かっていたし……王女殿下のお立場にもお心を痛める時が来るだろうと……それならば最初から王女殿下のお側にいた方が事態は最初から悪くはならないかなと思ってね」

困ったように……しかしこればかりは間違った事はしていないという確信を持った夫の様子に、私はまた大きく息を吐く。

それは、私も同感だ。
おそらくこれは夫の独断ではなく、陛下をよく知る数人の側近達の中で計られた事なのだろう。

「随分と信頼してもらえて嬉しいわ……でも私で大丈夫かしら?」

ことは国王陛下と未来の王妃陛下の夫婦関係の事だ。最初の婚約者とトラブルになり婚約解消となった後、契約結婚なんて周りくどい結婚をした挙句長いこと両思いである事にも気づかずに、結婚後にもだもだとしていた私が、うまく立ち回れるかは甚だ疑問だ。

そんな私の言葉に、どうやら夫は私が思い浮かべた事を正確に理解したのだろう。くすりと、おかしそうに笑って「大丈夫だよ」と呟いてわたしの髪を撫でる。

「だからこそ、すれ違いの紐解きをお願いしたいんだ。俺も君も身をもって知っているだろう?」

「なるほど……それで貴方は引き受けてきたのね?」

「適任だろう? 陛下側とも意思疎通が取りやすい、その上社交界でも君は侯爵夫人としてだけでなく実業家としても立場がある。君が近くにいれば、たとえ陛下の寵がない王妃だったとしても正面から貶める者はいないはずだ」

夫の言葉に私は眉を顰める。

「その最後の意見は、貴方じゃなくて陛下の意見ね? はなから王妃陛下に気持ちを向ける気がないのね」

「今は本当に意地になってるからな」

 わたしの苛立ちを含んだ言葉に、夫は参ったように肩をすくめる。

「いいわ! 受けて立ちましょう! 私達ほどまでいかなくとも、お互いの事を思いやれる程度の関係にはなれるようにお手伝いするわ! あと、陛下には少しその幼稚な考え方を反省させるくらいにはして、差し上げないとね!」

半ばやけになって、そう決心すると、繋いでいたわたしの手に彼が口付ける。

「ありがとう。頼もしいよ……本当に頼りにしているんだ」

 彼と結婚して数年。最初こそ全て彼に守られていた私も、子供を産んで事業を軌道に乗せて、これでようやく彼の背中を任せてもらえると思っていたのだ。


 今度は、彼の隣に立って共に歩める事ができたらと、そう思っていた矢先に、またしても彼は私にその場をくれるのだ。

しかし責任はかなり重い。

 下手をすれば、国際問題やお世継ぎ問題に発展しかねないだろう。

 気合いを入れて、口を弾き結べば、それが伝わったらしく、隣で夫が笑い出す。

「本当に、君のそのやる気に満ちた顔は、いつ見ても美しいな。宝石やドレスを送った時よりも輝いてる」

「あら、宝石やドレスもいつも本当に嬉しいわよ? これはもう性分なのよね、きっと。ありがたい事に旦那様が沢山その場を与えてくださるから、退屈しなくて幸せよ?」

夫の手を取り、勝ち気に見上げれば、彼もそんな私を楽しそうに見下ろして、チュッと悪戯めいた口づけを頬に落とす。

二人でクスクス笑って、ソファで戯れあっているといつの間にか、中庭にいたはずの子供達の声が屋敷のエントランスから響いてくる。

「そろそろお茶の時間ね。一緒に飲むでしょう?」

「あぁ、帰りにアッシュの好きなパイを買ってきたんだ……あと君の好きなショコラもね」

「あら、ちょうど甘いものが欲しかったの!」

二人で立ち上がって、笑いあいながら部屋を出る。

もうあの作り物の笑顔のやり方すら忘れてしまった。そんな事をしなくても自然に笑えむことができるようになった。

皆の羨望も、隣に立つパートナーにも胸を張れる。
それは全て自分が作り上げてきた本物だから。

そして、これからも紡いでいくものだから。


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