その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜
25 甘い夕暮れ
午前中は彼の言いつけ通り、ベッドでゆっくりと過ごすことにして、正午に間に合うように身支度を整えると、戻ってきた夫と遅めの昼食を摂った。
彼は大袈裟なほどに、私の身体を気を遣ってくれて、顔を合わせてからは、私がどこかに移動する際には身体を支えるようにして歩いてくれる。
食事を取りながら、午後から少しだけ執務を始めると言うと、すこし渋い顔をしながらも、「君のやりたいようにしたらいい」と言ってくれた。
執務を終えると、メイドが彼からだと言って、王宮近くにある有名なショコラティエのチョコレートを出してくれた。
まだまだ覚える事が多くても頭を痛めている私には、この濃厚な甘さと口溶けの良いチョコレートはありがたい代物で、そんな細やかなところまで気を遣ってもらってなんだか申し訳ないような気さえしてしまう。
「あら? 旦那様は?」
お礼を言いつつ、よければお茶を一緒に飲まないだろうか? と思って侍女に聞いてみれば。
「少し前に王宮へ行かれました。すぐにお戻りになるとのことなので、夕食はご一緒したいと言われておりましたけれど」
「そう、分かったわ!」
お礼は夕食の時にでも言えばいいだろう。それにしても契約結婚とはいえ至れり尽くせりである。
今まで自分の知る家族以外の男性が元婚約者のグランドリーだけだった私にしてみると、これほど大切に扱ってもらえて、甘やかしてもらえるなんて考えられない。
部屋に戻って執務の邪魔にならないようにまとめていた髪を解く。
なんだか、肌艶も血色も随分と良くなった自分が鏡に写っていて、いったいこれはなんの効果なのだろうと首を傾ける。
侍女に髪を軽く結い直してもらおうかとも考えたものの、思い直してソファに腰掛けテーブルの上に放置していた本を手に取る。
まだ夕食にも彼の帰宅にも随分と時間はありそうだから、のんびりと読書でもしよう。そう思ってページを開いているうちに、気がつくと私はうとうとと眠りに落ちていた。
どれくらい眠っていたのか……窓から夕日が差し込んできて、それがやけに眩しくて目を開けて……そして驚く。
寝入る前の私は、ソファの背もたれに身体を預けていたはずだ。それなのに今私は、いつの間にか戻ってきている夫の肩に頭を預けて、寄り添うように眠っていたのだ。
頭を預けた状態で、視線を動かせば、王宮の文官の制服を纏った彼の胸が規則正しいリズムで上下している。
どうやら彼も寝入ってしまっているようで……膝の上に置かれている手には私の手が握られていて、とても暖かい。
「んっ……」
私の少しの動きを感じたのか、彼が身じろぎして、ゆっくりと漆黒の瞳が開いていく。
ぼんやりと私を視認しながらパチパチと瞬きを繰り返した彼の寝ぼけた様子が、なんだか可愛いとすら思えてしまって、つい口元が緩んでしまう。
「おはようございます。肩をお借りしてたみたいで」
戯けてそう言えば。彼は少し気怠げにしながらも口角を上げて
「あぁ……君が気持ちよさそうだったからつい一緒になって眠ってしまったな。昨夜は2人とも眠るのが遅かったしな?」
そう言って握ったままだった私の手を持ち上げると、甲に口付ける。
そんなことを言われてしまった私は途端に、顔が熱くなって息を飲むしか出来ない。
どうしても脳裏には昨晩のアレが思い浮かぶわけで……どんな顔をしたらいいのだ、と俯く。
ククッと彼が喉を鳴らして、笑う。
「そんな顔をされたら誘われてると思ってしまうよ」
そう言って、私の肩に手をかけた彼は、昨晩纏っていたような妖艶な笑みを覗かせると、ゆっくりと私の身体をソファのクッションの中に沈めていく。
胸の音が煩いくるらいに騒ぎ出す。
私を見つめる彼の瞳がすうっと細められて……
そうしてまた、温かくて柔らかい彼の唇が重ねられた。朝のような奪うような口づけではなくて、味わうような甘くついばむようなそれは、昨晩の行為の際に時折彼がくれたものとよく似ていて。
あぁ、だめ……またなし崩しに彼に押し切られてしまう。
「だめだ」と言うべきだと、胸の奥でもう一人の自分が叫ぶけれど。
それ以上に、もっと欲しいと思ってしまう別の私がいて……彼に応えるようにその広い背に腕を回してしまう。
契約の関係なのに……ダメなのに……この温もりに溺れてしまいそうだ。
「ん……ふっ」
ゆっくりと唇を割って入って来た彼の舌が口蓋を甘く優しく撫でた時だった。
コンコン
その音は普段よりも随分大きく室内に響いた……ような気がする。
「なんだ」
唇を離した彼が、一度大きく息を吐いて戸口に向かって声をかける。普段ならば廊下を歩く足音で人が来る事は分かるのだけれど……私はおろか彼も気づかなかったらしい。
「お食事のご用意が整いました」
扉の向こう側から聞こえてきたのは、私に付いている年長のメイドのもので、普段朗らかな彼女の珍しく抑揚のない声は……私達がどういう状況にあるのかおおよそ予測がついているという事なのだろう。
一気に顔が熱くなる。
結婚して初夜を迎えてまだ一日。しかもまだ空も明るい夕方だ。
「分かった!すぐに行く」
口元を押さえて真っ赤になっている私とは正反対に、彼はいつも通り冷静沈着なこの家の主の声音で扉に向かって声をかける。
すぐにメイドの足音が扉から遠ざかっていく気配を感じる。
「やれやれ、残念だな」
不意にそちらに気を取られていると、至極残念そうな声が降ってくる。同時にサラリと髪を梳かれて、彼の頭部が私の肩口に降りて来る。
「また後でゆっくり」
耳元で吐息交じりの甘やかな声でささやかれて、思わずびくりと肩を震わせる。
そんな私の反応に彼はくすりと笑って、私の手を引いて立たせると、支えるように腰を抱いた。
「さぁ、食事に行こうか!」
と楽しそうに言うのだ。