その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜
4章
56 開演の鐘
領地から戻ってからのひと月は、慌ただしく時が流れた。
忙しい中に休みを取った夫は当然ながらその皺寄せで、休みもなく毎日王宮に出仕していくし、私自身も、領地から持ち帰った資料に目を通しながら、日常の帳簿のチェックや視察などで多忙を極めていた。
朝は彼の方が早く起き出して、朝食もおざなりに慌ただしく出て行ってしまうし、夕は帰宅が遅く夕食を共にできる事は少ない。
共にできる日があっても、事業や家のことで報告したり相談する事が多いため、事務的な会話ばかりになってしまっている。
寝室こそは共にしているものの、彼の帰宅が遅く、私が眠ってから彼が帰宅してベッドに入ってくるという状況だ。
ここ数日、寝顔以外の彼を見ていないかも……。と思っていた矢先、彼から休日の夜に観劇のお誘いをいただいた。
「忙しのに……お仕事の方は大丈夫なの?」
休日でもお仕事だった彼と劇場で合流して、その腕に手を添えて歩きながら伺うように彼を見上げる。
「大丈夫だよ……と言っても、まだしばらくは忙しいのだけどね。そのための活力が欲しいと言うか……ご褒美がないとやってられないというか」
困ったように眉を下げ、そしてゴニョゴニョと歯切れ悪く言って、彼は私の頬にかかった髪を払いつつ頬を撫でた。
まだ劇場のロビーで、周囲には多くの人がいる。
目立ちはしないかと、気になって周囲をチラリと見渡すと、私の心配を察したのか、彼が小さく笑って手を引っ込める。
代わりに少し歩く速さが速くなったように感じた。
案内された席は、高位貴族専用のボックスの観覧席だった。外側から中が見えない仕様になっているそこは、座ってしまえば、完全に二人きりの空間だった。
皮張りの弾力のある椅子に二人並んで座ると、すぐに彼は私の腰を引き寄せて、頭頂部に口付けると「はぁ~ようやくだ」とつぶやいた。
「余暇らしいものも無かったものね?」
「あぁ、本当に……馬車馬のように働かされるとはこの事だよ」
そう言って大きく息を吐いて、また私の髪を払うとその手で頬を撫でて、親指で唇をなぞる。
「久しぶりに起きているティアナの顔をじっくり見た気がする」
「わたしも、さっき同じことを思ったわ」
肩を竦めて微笑むと、彼もくすりとその形のいい唇を引き上げて笑い、ゆっくりと唇を重ねる。
頬を撫でていた彼の大きな手が、後頭部を撫でて引き寄せて、それと同時に唇を割って舌が侵入する。
「んっ!ふっ」
まさかこんなところで⁉︎
戸惑って彼の胸を押す。しかしそれすら彼は予想していたという感じで、ぷちゅっと恥ずかしい音を立ててあっさりと唇を離す。
「どうした?」
悪戯めいた表情でそう笑う彼。
「っ……こんなところで‼︎」
抗議するように睨みあげるけれど、そんな私の顔を見て、彼はまた可笑しそうに唇を引き上げた。
「誰からも見えないさ。そのためにこの席をとったんだから」
「っ……確かに、そうだけどっ!」
いくらなんでも……そう言いたかった私の言葉は、また重ねられた彼の唇によって声にはならなかった。
今度は全くやめるつもりがないと言うように、甘くて痺れるように絡められ、翻弄されて……。
開演の鐘が鳴るまで私達は互いの熱に夢中になった。
++++
「あれ、ティアナ嬢? いや、ロブダート侯爵夫人とお呼びするべきか?」
幕間の間に手洗いを終え、彼の待つ席に戻ろうとエントランスを横切ると、不意に後方から声をかけられて、胸の奥がサァーッと冷えていく。
聞き覚えのある特徴的なハスキーな声、それは私の恐怖心を呼び起こすあの男の声……より僅かに高い。
「っ……リドック・ロドレル⁉︎」