その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜
61 そのうち
そのうち、と言うリドックの言葉が現実になったのはそれから1週間後のことだった。
その日は、観劇の日に夫と食事をした新気鋭のレストランへの提携交渉の日だった。
ロブダート家が提携して後ろ盾をしている店は王都には随分多いものの、私が引き継いでからは一店舗も増えていない。いわばこれが初陣なのである。
そのため朝から随分と張り切っていて、珍しく朝食を共にできた夫からは「力を入れず、自然体でやっておいで」と諭すように言われてしまった。
以前食事をした席でこの約束を取り付けると共に簡単な概略を話してあったせいか、打ち合わせはスムーズに終える事ができた。
あとは、しばらく店側が検討して返答をまつだけだが、反応は上々だと手答えは感じていた。
「次は聖マリーナ教会です。時間も予定通りとなっておりますのでこのまま向かいますが?」
「いいわ。そうして!」
私のスケジュール管理と業務のアシスタントの役目を担っているエイミーの言葉に頷いた。
店を出て通りに出たところで、馬車の姿を探して視線を巡らせて、反射的に足が止まった。
ネイビーブルーに黒い縁取りの馬車が、近づいて来ていた。扉についた紋章は見覚えのある獅子の紋。
元婚約者の……スペンス公爵家の馬車で、グランドリーがよく使用していた物だ。
目の前に滑り込んできた馬車の姿に、思わず胸が跳ね上がり、鼓動が速くなる。
嫌な汗が毛穴から噴き出し、じっとりと額や背中を濡らすのがわかった。
「っ、奥様!」
後ろに控えてついて来ていたマルガーナも息を飲み、護衛達が私の前に立つ。
そんな私達を尻目に、車止めに滑り込んできたその馬車は、目の前で停止して、扉が開いた。
「おや?ティアナ嬢じゃないか! こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
「っ……リ、ドック」
降りて来たのは、グランドリーではなく、リドックだった。
彼は、馬車から軽い身のこなしで降りてくると、こちらに向かって歩いて来て、私の顔をじっと見つめると、困ったように眉を下げた。
「これは……随分と驚かせてしまったみたいで、申し訳ない。顔色が悪いね、兄はいないから、安心して。」
御者に手で合図をして馬車を移動するよう命じた彼が、気遣うように顔を覗き込んでくるので、ゆっくりと息を吐いて、彼を見上げる。
「いえ……ごめんなさい。こちらこそ、失礼な振る舞いを……」
そんな私を痛ましげに見た彼は、気にしなくていいと首を振る。
「無理もないよ。まさに貴方に怖い思いをさせたのが、あの馬車だしね……本当に、兄は愚かな事をしたものだ」
「いえ、それはもう……」
前回再会したときに十分謝ってもらっているのだ、いつまでも引きずって彼に申し訳ない思いをさせるのは良くない。
「それより……何故こんなところに?」
平日の午前中のまだ早い時間だ。この辺りは貴族御用達のショップやレストランが立ち並ぶエリアだが。まだどこの店も開店前なのだ。
私の問いに、彼は「あぁ」となんでもないように頷いて私の後ろの建物を指す。
「こちらの店に用事がありましてね!」
そう彼が指したのは、今しがた私達が出てきたお店で、こちらも当然、開店前だ。
「まだ時間外なのに?」
首を傾けて問えば、彼はフッと笑みを浮かべる。いつもの苦手な皮肉な笑みだ。
「だけど、貴方も時間外のお店から出てきた。つまり同じ目的ってことだよ!」
事もなげに言われて、息を飲む。
「同じ目的? スペンス家……あなたが?」
私の目的は、新気鋭のレストランとの業務提携だったのだが、おおよそ政治家の家系である彼とは無縁なものだと思うのだが……
私の問いに、彼も「まぁそう言う反応になるよね」と笑う。
「お恥ずかしながら、僕は留学先で経営を学んでいてね。侯爵家の次男なんて不安定なものだからこそ、事業をやっていかないとと思っていたんだ。そして、あちらで事業の準備をしていたら急に呼び戻されてしまった。父は俺に兄のように政治家を目指して欲しいみたいだけど、ほら、あの件で我が家は政治家として立てて行くには今あまり評判が良くない。以前からそんな不安定なものだけを家業にしている我が家のやり方には疑問を持っていた、他人事だったからとやかく言わなかったけれど、跡取りとなったからには話が違う。あと数年……下手したら次の任期の終了と共に父は隠居するだろう、それまでになんとか事業を軌道に乗せてうまく動かしたくてね。いくつか声をかけているんだ。なんせ侯爵家は資本が豊富だ。」
スラスラとまるで演説でもするように説明する彼の表情は自信に満ちてる。正直、あなたこそ政治家に向いているのではないか? と思う。しかし一度はスペンス家に片足を踏み込んでいる私ならば、スペンス家の事情はわかるだろう? と問うようなその言葉に、私は圧倒されながらも、どこか納得させられてしまう。
「と、言う事でここでもライバルですね」
「そんな! ライバルなんて!」
不敵に微笑みかけられて、私は慌てて首を振る。ここでも、などと……彼をライバル視したことなどないのに……それなのに、そんな私の反応に彼はハハッと笑う。
「学院では貴方に成績で勝てた事はなったから、ここで挽回できたら嬉しいよ。同じ侯爵家、資本も潤沢、ロブダート家の方が経験やツテは多いけれど、あなたはまだ就いたばかりだ、すぐ追いつきますよ」
挑発するように、そう言った彼に後方に控える初老の男性……以前はグランドリーについていた護衛兼、執事のデュランダルが近づいてきて。
「坊っちゃま。約束のお時間が」
と声をかけてくる。
一瞬視線が合ったデュランダルは、気まずげに視線を泳がせて軽く会釈をすると下がっていく。
「時間みたいだね。ではまた!」
軽く肩を竦めたリドックは、とても満足そうに笑って私達の脇を歩いて行く。
その姿を私達は呆然と見送った。
その日は、観劇の日に夫と食事をした新気鋭のレストランへの提携交渉の日だった。
ロブダート家が提携して後ろ盾をしている店は王都には随分多いものの、私が引き継いでからは一店舗も増えていない。いわばこれが初陣なのである。
そのため朝から随分と張り切っていて、珍しく朝食を共にできた夫からは「力を入れず、自然体でやっておいで」と諭すように言われてしまった。
以前食事をした席でこの約束を取り付けると共に簡単な概略を話してあったせいか、打ち合わせはスムーズに終える事ができた。
あとは、しばらく店側が検討して返答をまつだけだが、反応は上々だと手答えは感じていた。
「次は聖マリーナ教会です。時間も予定通りとなっておりますのでこのまま向かいますが?」
「いいわ。そうして!」
私のスケジュール管理と業務のアシスタントの役目を担っているエイミーの言葉に頷いた。
店を出て通りに出たところで、馬車の姿を探して視線を巡らせて、反射的に足が止まった。
ネイビーブルーに黒い縁取りの馬車が、近づいて来ていた。扉についた紋章は見覚えのある獅子の紋。
元婚約者の……スペンス公爵家の馬車で、グランドリーがよく使用していた物だ。
目の前に滑り込んできた馬車の姿に、思わず胸が跳ね上がり、鼓動が速くなる。
嫌な汗が毛穴から噴き出し、じっとりと額や背中を濡らすのがわかった。
「っ、奥様!」
後ろに控えてついて来ていたマルガーナも息を飲み、護衛達が私の前に立つ。
そんな私達を尻目に、車止めに滑り込んできたその馬車は、目の前で停止して、扉が開いた。
「おや?ティアナ嬢じゃないか! こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
「っ……リ、ドック」
降りて来たのは、グランドリーではなく、リドックだった。
彼は、馬車から軽い身のこなしで降りてくると、こちらに向かって歩いて来て、私の顔をじっと見つめると、困ったように眉を下げた。
「これは……随分と驚かせてしまったみたいで、申し訳ない。顔色が悪いね、兄はいないから、安心して。」
御者に手で合図をして馬車を移動するよう命じた彼が、気遣うように顔を覗き込んでくるので、ゆっくりと息を吐いて、彼を見上げる。
「いえ……ごめんなさい。こちらこそ、失礼な振る舞いを……」
そんな私を痛ましげに見た彼は、気にしなくていいと首を振る。
「無理もないよ。まさに貴方に怖い思いをさせたのが、あの馬車だしね……本当に、兄は愚かな事をしたものだ」
「いえ、それはもう……」
前回再会したときに十分謝ってもらっているのだ、いつまでも引きずって彼に申し訳ない思いをさせるのは良くない。
「それより……何故こんなところに?」
平日の午前中のまだ早い時間だ。この辺りは貴族御用達のショップやレストランが立ち並ぶエリアだが。まだどこの店も開店前なのだ。
私の問いに、彼は「あぁ」となんでもないように頷いて私の後ろの建物を指す。
「こちらの店に用事がありましてね!」
そう彼が指したのは、今しがた私達が出てきたお店で、こちらも当然、開店前だ。
「まだ時間外なのに?」
首を傾けて問えば、彼はフッと笑みを浮かべる。いつもの苦手な皮肉な笑みだ。
「だけど、貴方も時間外のお店から出てきた。つまり同じ目的ってことだよ!」
事もなげに言われて、息を飲む。
「同じ目的? スペンス家……あなたが?」
私の目的は、新気鋭のレストランとの業務提携だったのだが、おおよそ政治家の家系である彼とは無縁なものだと思うのだが……
私の問いに、彼も「まぁそう言う反応になるよね」と笑う。
「お恥ずかしながら、僕は留学先で経営を学んでいてね。侯爵家の次男なんて不安定なものだからこそ、事業をやっていかないとと思っていたんだ。そして、あちらで事業の準備をしていたら急に呼び戻されてしまった。父は俺に兄のように政治家を目指して欲しいみたいだけど、ほら、あの件で我が家は政治家として立てて行くには今あまり評判が良くない。以前からそんな不安定なものだけを家業にしている我が家のやり方には疑問を持っていた、他人事だったからとやかく言わなかったけれど、跡取りとなったからには話が違う。あと数年……下手したら次の任期の終了と共に父は隠居するだろう、それまでになんとか事業を軌道に乗せてうまく動かしたくてね。いくつか声をかけているんだ。なんせ侯爵家は資本が豊富だ。」
スラスラとまるで演説でもするように説明する彼の表情は自信に満ちてる。正直、あなたこそ政治家に向いているのではないか? と思う。しかし一度はスペンス家に片足を踏み込んでいる私ならば、スペンス家の事情はわかるだろう? と問うようなその言葉に、私は圧倒されながらも、どこか納得させられてしまう。
「と、言う事でここでもライバルですね」
「そんな! ライバルなんて!」
不敵に微笑みかけられて、私は慌てて首を振る。ここでも、などと……彼をライバル視したことなどないのに……それなのに、そんな私の反応に彼はハハッと笑う。
「学院では貴方に成績で勝てた事はなったから、ここで挽回できたら嬉しいよ。同じ侯爵家、資本も潤沢、ロブダート家の方が経験やツテは多いけれど、あなたはまだ就いたばかりだ、すぐ追いつきますよ」
挑発するように、そう言った彼に後方に控える初老の男性……以前はグランドリーについていた護衛兼、執事のデュランダルが近づいてきて。
「坊っちゃま。約束のお時間が」
と声をかけてくる。
一瞬視線が合ったデュランダルは、気まずげに視線を泳がせて軽く会釈をすると下がっていく。
「時間みたいだね。ではまた!」
軽く肩を竦めたリドックは、とても満足そうに笑って私達の脇を歩いて行く。
その姿を私達は呆然と見送った。