此方は十六夜の蝶。
「こちらへ来いと言っているのだ」
「…まずは名前を教えておくんなんし」
「おい、女」
「名前も知らぬ殿方さまと戯れるほど、あちきは安うありんせん」
「…ふん。可愛くないヤツだ」
どれほどの金をつぎ込まれたところで、私の心にはただひとりだけ。
どんな将軍家の旗本だろうが、私には関係がない。
水月、今宵はいつも以上に主さんの名前を呼ぶことになりそうでありんす。
「色は匂へど…散りぬるを───…」
「…いろは歌か」
「…ええ」
無意識にもつぶやいてしまった歌に、男は興味を示してくる。
「世の無常を歌ったものだそうで」
「ああ。仏(ほとけ)の学だと、私も聞いたことがあるな」
知っているなら話は早い。
どんなに綺麗な花だとしてもいずれは枯れるのだから、目の前のうつくしさ─幻想─に酔いしれるのはやめるのです。