天使がくれた恋するスティック
第4章

第1話

 付き合ってるとか付き合ってないとかの境界線って、どこなんだろうとか思う。
そりゃもちろん、ちゃんと告白してからお互いに「付き合おう」ってなって、付き合うのが正解なのは分かってる。
だけど「好きです」って言って、「ありがとう」のその先って?

 昨日の夜、坂下くんからメッセージが送られてきた。
スタンプでも絵文字でもない、『おやすみ』っていう文字だけのメッセージ。
画面上に映し出されるそのたった4文字が、彼らしいとも思う。
デフォルト表示で誰だって同じフォントなのに、彼から送られた文字だけ柔らかく温かく見えるのはなんでだろう。

 登校して教室に入ろうとしたら、廊下の前で偶然彼とすれ違った。
聞き取れるギリギリの声で「おはよう」って言われたから、「おはよう」って返す。
昼休みには、彼はいつものように仲良し優等生軍団と一緒で、私と絢奈はお弁当を食べ終えたら廊下に出る。
なんでわざわざ外に出るようになったかなんて、もう忘れてしまった。
ここだと誰にも邪魔されない二人だけの世界になれるし、「教室」という枠組みから、昼休みの一瞬だけでも抜け出したかったからなのかもしれない。

「ねぇ。本当に美羽音は、坂下くんと付き合ってないの?」
「ないない。なんで私みたいなのが、アレな人たちの中に入れると思う?」
「……。まぁ、美羽音はそういうタイプじゃないけど……」
「でしょ? 無理して背伸びして自分作ってなんて、これ以上無駄なこと他にある?」
「ないよね」
「でしょ? 可能性100%ないことに、挑戦なんて出来ないよ。好きとか嫌いとかっていうレベルじゃなくてさ」
「じゃあ好きでもないってこと?」
「そういうことだね」

 あははと笑って見せる私を、絢奈のわずかに茶色がかった瞳がじっと見つめる。
どこまでも透明に奥底まで見透かそうとする視線に、ズキリと胸が痛んだ。

「美羽音がそう思ってるんなら、私はそれでもいいけどね」
「だって、結局はそういうことになるの、分かってるもん」

 告白する勇気なんてない。
私はあなたのことが好きです。
だから私のことも好きになってくださいなんて、そんなの言える? 
オレ様キャラかよ、お前こそナニ様だって話だ。

 午後からの授業はいつも通り退屈すぎるほど問題なく過ぎ去って、放課後を迎えた。
部活に行く子とかと、だらだらしゃべってるのに紛れて、ふと坂下くんの席を見る。
彼はもうその場所にはいなかった。
まぁそんなもんだよねと、今日も歯医者に行くとかで、私が先に帰した絢奈の代わりに、古文の教科担当として集めた宿題プリントの束を整える。
枚数を確認しながらふと彼の名前を見つけ、手が止まった。
今日は何回目が合ったっけ。
結局朝の「おはよう」しか今日はしゃべれなかった。
こっちから話しかけてもいいのかな。
でも話しかけるって、なにを?

「えっと、どこまでチェックしてたっけ……」

 もう一度プリントの束をめくり直す。
「館山遥」の文字を見て、ビクリと全身が大きく震えた。
絢奈がいなくてよかった。
ヘンなところで動揺してしまったのを見られなくて。
彼女の字は、印字された文字みたいにしっかりした文字だった。
綺麗な字。
字まで綺麗。

 教室を出る。
期待してなかったわけではないけど、やっぱり私と絢奈の定位置に、あの人の姿はなかった。
彼と館山さんは、確か風紀委員だったはず。
二人で一緒に、委員会でもあったのかな。
だとしたらやっぱり、今は一緒にいるんだ。

 職員室の扉を抜け、先生の机にいつものように紙の束を重ねる。
ざわついた放課後の廊下へ戻った。
職員室脇の階段を下り、靴箱までの最短ルートを通る。
北校舎と東校舎を結ぶ渡り廊下を越えれば、靴箱はその先だ。

 その渡り廊下に、坂下くんがいた。
大きな背を丸め、ペットボトルの水を片手に、しゃがみ込んでいた。
終わりのホームルームの時までは長く伸ばしていたシャツの袖を、今は肘までめくり上げている。
その太く伸びた力強い腕に触れられたことがあるのだと思うと、自分が特別な存在になったのかと勘違いしそうになる。
形のいい耳にキリッとした目、しっかりした眉。
うっすらと桃色に色づく唇から漏れる声が、もう一度私の名前を呼んでくれればいいのに。
ぼんやりと上を向いている彼は、他の人からすればただ空を眺めて黄昏れているようにしか見えないかもしれないけど、私は知っている。
彼の視線の先に、宙に浮かぶスティックがあることを。
もしかして、私をここで待っていてくれた? 
そんな淡い期待なんて、持つ方が間違ってるんだよね。

「あれをさ、放置しておくのもどうかと思ってるんだけど」

 黙ったまま隣に立って並んだら、彼はそう言いながらゆっくりと立ち上がった。
そっか。
この話出来る人、他にはいないからだ。
だからここで私を待ってたんだ。

「確かにそうだよね。でもどうやって取る?」

 坂下くんが思いっきりジャンプしても、届かないであろう位置の高さに留まっている。

「あのさ、本当になんともないの?」
「何ともないって、何が?」
「あぁ……」

 急につかれた彼の大きなため息に、反射的に素の自分で答えてしまう。

「なんともないって、自分の方こそどうなの?」
「だってさ、『おやすみ』って打っても返事返してこないから。もしかして迷惑だった?」

え? そんなこと気にしてたの? 
坂下くんが? 
なんで?

「いや……。なんか……その。突然だったから、誰かと間違えて送っちゃったのかなーなんて……」
「そんなの、絶対間違えるわけないから……」

 この人は、私からの返事が欲しかったの? 
そんなのちゃんと言ってくれなきゃ、一生気づいてなかった。
送られてきたことに驚いてうれしくて、何度も指でなぞっては眺めてたのに、返すことまで思いつかなかった。

「ごめん」

 平静を装っているふうに見えて、彼の目はわずかにふてくされていた。
ごめんね。
ごめんなさい。
でもなんでそんなに怒るの? 
そんなちょっぴりむくれた横顔に、つい可愛いと思ってしまう私はやっぱり変?
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