天使がくれた恋するスティック
第5章
第1話
地域清掃活動の日がやって来た。
絢奈とかクラスの他の子はみんなダルいとか休みたいとか言ってるけど、私にとって、この日がこんなにも楽しみだったことはない。
買ったばかりの新しい軍手は、ちゃんと忘れずに持って来た。
あれから坂下くんとは、教室で一言もしゃべれていない。
その代わり、スマホでのメッセージのやりとりは続けている。
『おはよう』
『もう学校着いた?』
『掃除大変だね。なんかやっぱりちょっとやだ』
『雨じゃなくてよかった』
『延期になるだけだもんね』
『昼休みなにしてたの?』
『絢奈とオンラインゲーム』
『今度それ俺にも教えて』
校庭で何となく集まって、「道路に広がるなよ」とか小学生みたいなことを先生に注意されながら、歩いて10分程度の距離にある河川敷に移動する。
私が普段使う駅とは反対方向の道だ。
ごちゃごちゃした街から一本裏道に入ると、小さな戸建ての家が並ぶのどかな住宅街が広がっている。
古ぼけた小さな橋の手前で、ベンチやすべり台、バネの付いたパンダの乗り物のある、辛うじて公園っぽいところへ下りた。
「あー。本日の清掃活動は、我が校と地域の皆さまとの交流を深めるだけでなく……」
濃紺のだっさいジャージ集団の中に、坂下くんの姿を探す。
彼とお揃いの軍手だなんていう浮かれた状況が所詮幻想だと分かってはいたけど、本当にお揃いの軍手が多かった。
みんなあのコンビニで買ってたんだ。
よくよく考えてみれば、このジャージもお揃いだよね。
同じ学校なんだし、お揃いは全く不自然じゃない。
もちろん絢奈ともお揃い。
「あ、美羽音も西門のコンビニで買ったの? 私も今朝ないの気づいて買ってきたんだー」
「おー。思い出してよかったね」
きっとクラスの半分、学年の3分の2は同じ軍手だ。
坂下くんの隣にいつも当然ように並ぶ館山さんとも、みんなお揃い。
1年は学校から一番遠い陸上競技場で、私たち2年は河川敷。
学年が上がるごとに学校から近い場所になるという謎システムのせいか、3年生は学校周辺の清掃と毎年決まっている。
「では各自、始めてください」
学年主任の挨拶が終わって、それぞれが思い思いの場所に散らばっていく。
1、2、3組がその場でゴミ拾いと草刈りを始める中、私たち4、5、6組は橋を渡って対岸へ移動した。
長い冬が終わり、ようやく芽吹き始めた今が伸び初めの草の芽を、次々と引き抜いてゆく。
ゴミは見つかるものの、それほど量は多くない。
潰れたペットボトルとへこんだ空き缶。
誰かが落とした帽子に手袋。
すっかり茶色くなったカチコチの野球ボールに、小さな子供用の靴下などなど……。
そんななか、クラスのアイドル館山さんが、ふと私と同じ軍手でつぶやいた。
「実は私、一昨日この辺りで自転車の鍵を落としたんだよね」
「え、そうなの?」
「館山さんって、家この辺なんだ」
「どんな鍵?」
とたんにクラスの男子たちがざわめき始める。
「キーホルダーをつけてたの。自転車の鍵だから、赤い自転車のキーホルダー」
かわいい女の子は、言うことも全部かわいい。
「じゃあ見つけたら、教えるね」
「うん。ありがとう」
彼女がにっこり微笑むと、そこだけ春の陽気が何割増しかになってる気がする。
坂下くんは気にならないのかな。
いつも仲良しの美人さんが、他の男子と仲良くなるの。
自分のすぐ真横にいるのに、坂下くんじゃない他の男の子が、彼女に話しかけてる。
あぁでもきっと、草むしりしながら同じジャージを着て、普通に話しながら無くした鍵をカッコよく見つけヒロインを喜ばすのは、彼の役目だ。
それを私が邪魔しちゃいけない。
思い出の軍手を汚さないようにしようと思っていたのに、気づけばむしり取った草の汁や跳ねた泥があちこちに染みこんでいた。
しまった。
やっちゃった。
こんなになってしまったら、彼との思い出まで汚したみたいな気がする。
それを彼に報告したくて、さりげなく彼を探した。
いつもの無表情で無心に草むしりをしている彼の軍手は、とっくの昔に泥だらけになっていた。
真面目に草むしりやってるんだ。
汚れとか気にするものでもないしね。ゴミもちゃんと拾って。
偉いね。
最初っから使い捨てするつもりで買った、安っすいコンビニ軍手だもんね。
いらないよね。
置いとく必要もないし。
その他大勢の生徒たちと違って、彼にはやらされてる感がないのがいいよね。
きっと私は洗ったりも捨てたりも出来ないけど、彼はあっさり捨てちゃうんだろうな。
今日が終わったら。
この思い出も一緒にね。
本当はずっと彼を見ていたいけど、あんまり見ているのもよくないよね。
不自然だしヘンに思われちゃう。
私の軍手は、同じ軍手でも他の人とは違うものだったのに。
なんで軍手?
もっとかわいくていいものにしとけばよかった。
アクセサリーとか、赤い自転車のキーホルダーとか。
そうじゃないから、私はこういう私なんだろうな。
そもそも、そんなかわいい買い物に、一緒に誘われたワケじゃない。
男子どもの噂話が聞こえる。
「おい聞いたか。館山さんが自転車の鍵を、ここで無くしたらしいぞ」
「マジか」
「今はスペアキー使ってるらしい。見つけて渡せば、ワンチャンしゃべれるかも」
「おー。じゃあ真面目に探すか」
「あはは。お前下心丸見えだな」
「だっさ!」
そうだよダサいよ。
そんなもんは人に言われなくたって、完璧分かってるよ。
それでも近づきたいから、少しでも話したいから、カッコ悪いって分かってても、ヘンだと思われたって行くんじゃないか。
クラスの男子たちだって、そんなこと言ってるのは、本当は単に清掃作業がダルいだけだって分かってる。
だからなんだっていいんだ。
私にやる気を出させるネタさえあれば。
だけどだからって、かわいい女の子に無駄に興味本位で群がる男どもは許せない。
彼女の安全は、私が守らなければ。
「ねぇ美羽音。館山さんが自転車の鍵探してるらしいよ」
「え? そうなんだ。じゃあ探さなきゃだね」
勝負だ野郎ども。
クラスのヒロインに手を出したければ、私を倒してから行きな!
急にやる気を出した私は、スクッと立ち上がる。
さほど広くはない河川敷に、高校生3クラス分約100人程度が集まっているのだ。
始まって数十分もすれば、もう真面目に清掃活動してる奴らなんてほとんどいない。
「え? どうした美羽音。なにやる気出してんの?」
「だって。自転車の鍵探さなきゃ」
「……。いや、それは分かるけど、ついででよくない? スペアキーはあるみたいだし、とりあえず困ってはないみたいだし」
「館山さんは、探してるんでしょ」
「まぁね……」
絢奈に「あんた誰?」みたいな目で見られたって平気。
暖かな日差しがぽかぽかと降り注ぐ春の河川敷で、自転車に乗ったおじいちゃんがのんびり土手の上を走っている。
近くの小学校から集団下校途中の新一年生たちが、黄色い旗を持った保護者に付き添われて帰宅訓練をしている。
ひらひらと羽化したばかりのモンシロチョウが目の前を横切った。
「私、館山さんを助けに行ってくる!」
私が彼女を守らなくて、一体他に誰が守るんだ。
強大な魔族からお姫さまを救うのは、いつだって彼女に寄り添う勇者の役目。
彼女にふさわしい相手かどうかは、私が見極める。
「じゃ。行ってくる」
「お、おぅ。頑張れ……」
大丈夫だ。勝算はある。
すっかり草むしりに飽き始めた高校生の群れは、すでにてんとう虫を捕まえたり、四つ葉のクローバー探しを始めている。
それ以外の人間は、土手の坂に綺麗に一列に並んで、お昼寝という名の天日干し状態だ。
本気で清掃活動をやってるのが、どれだけいるのだろう。
本来なら私も寝たい。
今すぐ柔らかな草の上に寝転がりたい。
だが今だけはダメだ。
絢奈とかクラスの他の子はみんなダルいとか休みたいとか言ってるけど、私にとって、この日がこんなにも楽しみだったことはない。
買ったばかりの新しい軍手は、ちゃんと忘れずに持って来た。
あれから坂下くんとは、教室で一言もしゃべれていない。
その代わり、スマホでのメッセージのやりとりは続けている。
『おはよう』
『もう学校着いた?』
『掃除大変だね。なんかやっぱりちょっとやだ』
『雨じゃなくてよかった』
『延期になるだけだもんね』
『昼休みなにしてたの?』
『絢奈とオンラインゲーム』
『今度それ俺にも教えて』
校庭で何となく集まって、「道路に広がるなよ」とか小学生みたいなことを先生に注意されながら、歩いて10分程度の距離にある河川敷に移動する。
私が普段使う駅とは反対方向の道だ。
ごちゃごちゃした街から一本裏道に入ると、小さな戸建ての家が並ぶのどかな住宅街が広がっている。
古ぼけた小さな橋の手前で、ベンチやすべり台、バネの付いたパンダの乗り物のある、辛うじて公園っぽいところへ下りた。
「あー。本日の清掃活動は、我が校と地域の皆さまとの交流を深めるだけでなく……」
濃紺のだっさいジャージ集団の中に、坂下くんの姿を探す。
彼とお揃いの軍手だなんていう浮かれた状況が所詮幻想だと分かってはいたけど、本当にお揃いの軍手が多かった。
みんなあのコンビニで買ってたんだ。
よくよく考えてみれば、このジャージもお揃いだよね。
同じ学校なんだし、お揃いは全く不自然じゃない。
もちろん絢奈ともお揃い。
「あ、美羽音も西門のコンビニで買ったの? 私も今朝ないの気づいて買ってきたんだー」
「おー。思い出してよかったね」
きっとクラスの半分、学年の3分の2は同じ軍手だ。
坂下くんの隣にいつも当然ように並ぶ館山さんとも、みんなお揃い。
1年は学校から一番遠い陸上競技場で、私たち2年は河川敷。
学年が上がるごとに学校から近い場所になるという謎システムのせいか、3年生は学校周辺の清掃と毎年決まっている。
「では各自、始めてください」
学年主任の挨拶が終わって、それぞれが思い思いの場所に散らばっていく。
1、2、3組がその場でゴミ拾いと草刈りを始める中、私たち4、5、6組は橋を渡って対岸へ移動した。
長い冬が終わり、ようやく芽吹き始めた今が伸び初めの草の芽を、次々と引き抜いてゆく。
ゴミは見つかるものの、それほど量は多くない。
潰れたペットボトルとへこんだ空き缶。
誰かが落とした帽子に手袋。
すっかり茶色くなったカチコチの野球ボールに、小さな子供用の靴下などなど……。
そんななか、クラスのアイドル館山さんが、ふと私と同じ軍手でつぶやいた。
「実は私、一昨日この辺りで自転車の鍵を落としたんだよね」
「え、そうなの?」
「館山さんって、家この辺なんだ」
「どんな鍵?」
とたんにクラスの男子たちがざわめき始める。
「キーホルダーをつけてたの。自転車の鍵だから、赤い自転車のキーホルダー」
かわいい女の子は、言うことも全部かわいい。
「じゃあ見つけたら、教えるね」
「うん。ありがとう」
彼女がにっこり微笑むと、そこだけ春の陽気が何割増しかになってる気がする。
坂下くんは気にならないのかな。
いつも仲良しの美人さんが、他の男子と仲良くなるの。
自分のすぐ真横にいるのに、坂下くんじゃない他の男の子が、彼女に話しかけてる。
あぁでもきっと、草むしりしながら同じジャージを着て、普通に話しながら無くした鍵をカッコよく見つけヒロインを喜ばすのは、彼の役目だ。
それを私が邪魔しちゃいけない。
思い出の軍手を汚さないようにしようと思っていたのに、気づけばむしり取った草の汁や跳ねた泥があちこちに染みこんでいた。
しまった。
やっちゃった。
こんなになってしまったら、彼との思い出まで汚したみたいな気がする。
それを彼に報告したくて、さりげなく彼を探した。
いつもの無表情で無心に草むしりをしている彼の軍手は、とっくの昔に泥だらけになっていた。
真面目に草むしりやってるんだ。
汚れとか気にするものでもないしね。ゴミもちゃんと拾って。
偉いね。
最初っから使い捨てするつもりで買った、安っすいコンビニ軍手だもんね。
いらないよね。
置いとく必要もないし。
その他大勢の生徒たちと違って、彼にはやらされてる感がないのがいいよね。
きっと私は洗ったりも捨てたりも出来ないけど、彼はあっさり捨てちゃうんだろうな。
今日が終わったら。
この思い出も一緒にね。
本当はずっと彼を見ていたいけど、あんまり見ているのもよくないよね。
不自然だしヘンに思われちゃう。
私の軍手は、同じ軍手でも他の人とは違うものだったのに。
なんで軍手?
もっとかわいくていいものにしとけばよかった。
アクセサリーとか、赤い自転車のキーホルダーとか。
そうじゃないから、私はこういう私なんだろうな。
そもそも、そんなかわいい買い物に、一緒に誘われたワケじゃない。
男子どもの噂話が聞こえる。
「おい聞いたか。館山さんが自転車の鍵を、ここで無くしたらしいぞ」
「マジか」
「今はスペアキー使ってるらしい。見つけて渡せば、ワンチャンしゃべれるかも」
「おー。じゃあ真面目に探すか」
「あはは。お前下心丸見えだな」
「だっさ!」
そうだよダサいよ。
そんなもんは人に言われなくたって、完璧分かってるよ。
それでも近づきたいから、少しでも話したいから、カッコ悪いって分かってても、ヘンだと思われたって行くんじゃないか。
クラスの男子たちだって、そんなこと言ってるのは、本当は単に清掃作業がダルいだけだって分かってる。
だからなんだっていいんだ。
私にやる気を出させるネタさえあれば。
だけどだからって、かわいい女の子に無駄に興味本位で群がる男どもは許せない。
彼女の安全は、私が守らなければ。
「ねぇ美羽音。館山さんが自転車の鍵探してるらしいよ」
「え? そうなんだ。じゃあ探さなきゃだね」
勝負だ野郎ども。
クラスのヒロインに手を出したければ、私を倒してから行きな!
急にやる気を出した私は、スクッと立ち上がる。
さほど広くはない河川敷に、高校生3クラス分約100人程度が集まっているのだ。
始まって数十分もすれば、もう真面目に清掃活動してる奴らなんてほとんどいない。
「え? どうした美羽音。なにやる気出してんの?」
「だって。自転車の鍵探さなきゃ」
「……。いや、それは分かるけど、ついででよくない? スペアキーはあるみたいだし、とりあえず困ってはないみたいだし」
「館山さんは、探してるんでしょ」
「まぁね……」
絢奈に「あんた誰?」みたいな目で見られたって平気。
暖かな日差しがぽかぽかと降り注ぐ春の河川敷で、自転車に乗ったおじいちゃんがのんびり土手の上を走っている。
近くの小学校から集団下校途中の新一年生たちが、黄色い旗を持った保護者に付き添われて帰宅訓練をしている。
ひらひらと羽化したばかりのモンシロチョウが目の前を横切った。
「私、館山さんを助けに行ってくる!」
私が彼女を守らなくて、一体他に誰が守るんだ。
強大な魔族からお姫さまを救うのは、いつだって彼女に寄り添う勇者の役目。
彼女にふさわしい相手かどうかは、私が見極める。
「じゃ。行ってくる」
「お、おぅ。頑張れ……」
大丈夫だ。勝算はある。
すっかり草むしりに飽き始めた高校生の群れは、すでにてんとう虫を捕まえたり、四つ葉のクローバー探しを始めている。
それ以外の人間は、土手の坂に綺麗に一列に並んで、お昼寝という名の天日干し状態だ。
本気で清掃活動をやってるのが、どれだけいるのだろう。
本来なら私も寝たい。
今すぐ柔らかな草の上に寝転がりたい。
だが今だけはダメだ。