天使がくれた恋するスティック
第6章
第1話
あの時どうして彼が怒ったのか、未だによく分からない。
それまで頻繁に送られてきていたSNSのメッセージが、パタリと止んだ。
送られて来ないから返事も出来ない。
私から彼には送れない。
機嫌を損ねたらしい彼が近づいてこなくなったのは、逆にこれでよかったのかもしれない。
関わりがなければ害もない。
私がこれ以上、彼に嫌われることもない。
元に戻った。
それだけ。
坂下くんのことをどうしていいのか分からないから、どうしようもない。
恋だって、始めなければ始まらない。
始まらないのなら、なかったと同じことになる。
なかったことにするのなら、始めなくてもいいんだ。
結局物事を動かすいうことは、何かを始めるということだ。
始めたいと思うのなら、自分から動いて始めればいいのだし、始まらせたくなければ、黙ってじっと事態が過ぎ去るのを待てばいい。
逃げるのも、自分を守るためには時には必要なこともある。
それを決めるのは自分自身であって、他人が決めることじゃない。
私が見つけた自転車の鍵で館山さんは学校に通い、坂下くんは変わらず彼女と同じグループで仲良く過ごしている。
清掃活動から数日が経ち、私と彼の関係は今まで通り、「同じ教室にいる人」になった。
お互いに空気のような存在だ。
いや、空気はないと困るから、自分の存在が空気というのも違うな。
空気以下ってなんだろう。
害もなければ気にもとまらないようなやつ。
床に落ちたホコリとか髪の毛?
机の脚の先についた保護カバーとか?
「持田さんってさ、坂下のこと好きなの」
「は?」
いつも通りの掃除の時間が、担当場所がローテーションに従い変わって、顔を合わすメンバーも必然的に変わった。
ガヤガヤと賑やかな教室で突然遠山くんにそんなことを聞かれ、動かしていた箒の手が止まる。
彼は雑巾を片手に窓ガラスを拭くフリをしていた。
「なんで? 何を見てそう思った?」
逆に聞いてみたい。
どうして彼はそんな風に思ったんだろう。
「最近、急に仲良くなったよね。え、もしかして付き合い始めたとか? あ、だったらごめん」
「そんなことないから。全然違うし」
「え、そうなの? じゃあもしかしてなんだけどさ……」
遠山くんの目が、じっと空を見上げている。
だけどその視線は、本当に空を見ているのではなく、次に話すべき言葉を探していた。
「違っても怒んないでくれる? じゃあ持田さんから、告ったとか?」
「なんで? ねぇなんでそんなことになる?」
私がそんな勇気と行動力のある人間に見えた?
「そりゃさ、たとえ付き合えないにしても、好きだって言ってくれた相手のことは、嫌いになれないでしょ。実際優しくもするだろうし。心の中では邪魔だと思っててもさ」
あぁ。なるほど。
だからなのか。
急に向こうから話しかけてきたり、やたら近づいてこようとする今までにない彼の行動が、私の中で腑に落ちた。
「あぁ。なるほどね。それなら分かるかもしれない」
天使と出会って、スティックが刺さった。
だから私は、彼のことが好きになった。
そのことを彼自信も知っている。
「え? 持田さんフラれた?」
「いや、そういうワケでもないんだけど……」
そもそも告白なんてしてないし。
ん? ちょっと待って。
てことは、私が彼を好きになったのは、私自身の意志じゃないってこと?
「それはどういうコト?」
「は? 俺に聞かれても。どういうコトなんだろ?」
二人で一緒に首をかしげる。
あれちょっと待って。
私、本当の意味で、彼のことが好き?
あのスティックが刺さらなければ、私はどうしてたんだろう。
もしかして、「好き」にはなってなかった?
「仲良くなったのは、偶然そうなってしまったってだけ?」
「あー……」
遠山くんが一生懸命考えてくれている。
どうしよう。
本当のことなんて言えないし、言ったところで理解されるとも思えない。
そもそも、本当のことってなに?
私は坂下くんのこと、本当にちゃんと好きなの?
突然頭の中が、高速回転で混乱し始めた。
その動揺を誤魔化すように、持っていた箒でガチャガチャと床をこする。
遠山くんはそんな私を何かと勘違いして、慌てて気を遣ってくれた。
「いや! 詳しいことまで聞き出したいわけじゃないから。別に誰が誰とどういうきっかけで仲良くなったって、全然別に構わないわけだし」
「もちろんそれはそうだけど……」
「だろ? だったらさ、俺とも仲良くなっていい?」
「え?」
雑巾を片手にブンブン振り回しながらニッと笑った彼は、これから私をゲーセンかカラオケにでも誘うかのようなノリだ。
「まぁ……。別にいいよ」
「やった」
そう言った瞬間、彼が一歩近づく。
それまで私と遠山くんの間にあった距離が、ぐんと縮まった。
肩と肩が触れ合いそうな距離だ。
「じゃあさ、ID交換しよ。スタンプとか普通に送るから」
「いいよ」
ポケットに持っていたスマホを差し出す。
その場で彼も取りだして、私たちはフレンド登録を済ませた。
「せっかくだからさ、今日このあとどっか行く? カラオケとか。他に用事あるなら別の日でもいいけど。いきなりだし」
「うん。一緒にカラオケ行くのはいいんだけどさ……」
「あ、他に誰誘う? 一人は中島さんでしょ。俺も誰が一人誘うか?」
遠山くんとあれこれ話しているうち、ふと視線を感じて顔をあげる。
気づけば目の前に館山さんがいた。
「あ、あの! 掃除中は、しっかりお掃除した方がいいと思うの! 今は、そういう時間だし!」
彼女なりに、注意する言葉は選んでいるのだろう。
声はしっかりしているものの、小さな顔を赤くして、おずおずと態度は遠慮がちだ。
「ごめん。そうだよね。ちゃんと掃除するね」
ニコッと微笑んで、素直に止まっていた箒を動かす。
「ち、違うの。あの、本当はそうじゃなくて……」
掃き集めたゴミをちりとりですくおうと、しゃがみ込んだ私のタイミングが悪かった。
彼女に言われ窓を拭こうと背を向けていた遠山くんとの間で、私と館山さんの腰と腰がぶつかった。
「痛った!」
「あ……。持田さん、ごめんなさい」
突然のハプニングに、彼女の顔が今にも泣き出しそうに歪む。
「きゃー! ごめんなさい館山さん! 泣かないで。大丈夫? 大丈夫だった?」
私なんかよりずっと細くて華奢で弱い彼女に、あろうことかぶつかってしまった。
館山さんも必死になって謝ってくれてるけど、私は衝撃で彼女の骨が砕けてないかの方が心配だ。
「私は平気。館山さんこそ大丈夫?」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
館山さんが本当に泣きそうな顔になっている。
こんなかわいい子に心配されて、たとえ死んでも大丈夫にならないわけがない。
「あ、そうだ。あのね、いま遠山くんと、カラオケ行きたいって話しててさ。もしよかったら、館山さんもどう? 放課後古山さんたちと、カラオケ行ったりする?」
そう言った私に、彼女は心の芯から驚いたような顔をすると、無垢すぎるほど真顔でキョトンと首をかしげた。
「学校帰りに寄り道するのはちょっと。それに私は自転車通学だし」
あぁ……、なんてイイ子。
真面目で優等生って、本気なんだ。
こっちこそヘンなこと言ってゴメン。
ちらりと遠山くんを見ると、彼はこっちの話を聞いているのかいないのか、ちょっとイラッとした様子で不自然なくらい一生懸命窓を拭いていた。
それまで頻繁に送られてきていたSNSのメッセージが、パタリと止んだ。
送られて来ないから返事も出来ない。
私から彼には送れない。
機嫌を損ねたらしい彼が近づいてこなくなったのは、逆にこれでよかったのかもしれない。
関わりがなければ害もない。
私がこれ以上、彼に嫌われることもない。
元に戻った。
それだけ。
坂下くんのことをどうしていいのか分からないから、どうしようもない。
恋だって、始めなければ始まらない。
始まらないのなら、なかったと同じことになる。
なかったことにするのなら、始めなくてもいいんだ。
結局物事を動かすいうことは、何かを始めるということだ。
始めたいと思うのなら、自分から動いて始めればいいのだし、始まらせたくなければ、黙ってじっと事態が過ぎ去るのを待てばいい。
逃げるのも、自分を守るためには時には必要なこともある。
それを決めるのは自分自身であって、他人が決めることじゃない。
私が見つけた自転車の鍵で館山さんは学校に通い、坂下くんは変わらず彼女と同じグループで仲良く過ごしている。
清掃活動から数日が経ち、私と彼の関係は今まで通り、「同じ教室にいる人」になった。
お互いに空気のような存在だ。
いや、空気はないと困るから、自分の存在が空気というのも違うな。
空気以下ってなんだろう。
害もなければ気にもとまらないようなやつ。
床に落ちたホコリとか髪の毛?
机の脚の先についた保護カバーとか?
「持田さんってさ、坂下のこと好きなの」
「は?」
いつも通りの掃除の時間が、担当場所がローテーションに従い変わって、顔を合わすメンバーも必然的に変わった。
ガヤガヤと賑やかな教室で突然遠山くんにそんなことを聞かれ、動かしていた箒の手が止まる。
彼は雑巾を片手に窓ガラスを拭くフリをしていた。
「なんで? 何を見てそう思った?」
逆に聞いてみたい。
どうして彼はそんな風に思ったんだろう。
「最近、急に仲良くなったよね。え、もしかして付き合い始めたとか? あ、だったらごめん」
「そんなことないから。全然違うし」
「え、そうなの? じゃあもしかしてなんだけどさ……」
遠山くんの目が、じっと空を見上げている。
だけどその視線は、本当に空を見ているのではなく、次に話すべき言葉を探していた。
「違っても怒んないでくれる? じゃあ持田さんから、告ったとか?」
「なんで? ねぇなんでそんなことになる?」
私がそんな勇気と行動力のある人間に見えた?
「そりゃさ、たとえ付き合えないにしても、好きだって言ってくれた相手のことは、嫌いになれないでしょ。実際優しくもするだろうし。心の中では邪魔だと思っててもさ」
あぁ。なるほど。
だからなのか。
急に向こうから話しかけてきたり、やたら近づいてこようとする今までにない彼の行動が、私の中で腑に落ちた。
「あぁ。なるほどね。それなら分かるかもしれない」
天使と出会って、スティックが刺さった。
だから私は、彼のことが好きになった。
そのことを彼自信も知っている。
「え? 持田さんフラれた?」
「いや、そういうワケでもないんだけど……」
そもそも告白なんてしてないし。
ん? ちょっと待って。
てことは、私が彼を好きになったのは、私自身の意志じゃないってこと?
「それはどういうコト?」
「は? 俺に聞かれても。どういうコトなんだろ?」
二人で一緒に首をかしげる。
あれちょっと待って。
私、本当の意味で、彼のことが好き?
あのスティックが刺さらなければ、私はどうしてたんだろう。
もしかして、「好き」にはなってなかった?
「仲良くなったのは、偶然そうなってしまったってだけ?」
「あー……」
遠山くんが一生懸命考えてくれている。
どうしよう。
本当のことなんて言えないし、言ったところで理解されるとも思えない。
そもそも、本当のことってなに?
私は坂下くんのこと、本当にちゃんと好きなの?
突然頭の中が、高速回転で混乱し始めた。
その動揺を誤魔化すように、持っていた箒でガチャガチャと床をこする。
遠山くんはそんな私を何かと勘違いして、慌てて気を遣ってくれた。
「いや! 詳しいことまで聞き出したいわけじゃないから。別に誰が誰とどういうきっかけで仲良くなったって、全然別に構わないわけだし」
「もちろんそれはそうだけど……」
「だろ? だったらさ、俺とも仲良くなっていい?」
「え?」
雑巾を片手にブンブン振り回しながらニッと笑った彼は、これから私をゲーセンかカラオケにでも誘うかのようなノリだ。
「まぁ……。別にいいよ」
「やった」
そう言った瞬間、彼が一歩近づく。
それまで私と遠山くんの間にあった距離が、ぐんと縮まった。
肩と肩が触れ合いそうな距離だ。
「じゃあさ、ID交換しよ。スタンプとか普通に送るから」
「いいよ」
ポケットに持っていたスマホを差し出す。
その場で彼も取りだして、私たちはフレンド登録を済ませた。
「せっかくだからさ、今日このあとどっか行く? カラオケとか。他に用事あるなら別の日でもいいけど。いきなりだし」
「うん。一緒にカラオケ行くのはいいんだけどさ……」
「あ、他に誰誘う? 一人は中島さんでしょ。俺も誰が一人誘うか?」
遠山くんとあれこれ話しているうち、ふと視線を感じて顔をあげる。
気づけば目の前に館山さんがいた。
「あ、あの! 掃除中は、しっかりお掃除した方がいいと思うの! 今は、そういう時間だし!」
彼女なりに、注意する言葉は選んでいるのだろう。
声はしっかりしているものの、小さな顔を赤くして、おずおずと態度は遠慮がちだ。
「ごめん。そうだよね。ちゃんと掃除するね」
ニコッと微笑んで、素直に止まっていた箒を動かす。
「ち、違うの。あの、本当はそうじゃなくて……」
掃き集めたゴミをちりとりですくおうと、しゃがみ込んだ私のタイミングが悪かった。
彼女に言われ窓を拭こうと背を向けていた遠山くんとの間で、私と館山さんの腰と腰がぶつかった。
「痛った!」
「あ……。持田さん、ごめんなさい」
突然のハプニングに、彼女の顔が今にも泣き出しそうに歪む。
「きゃー! ごめんなさい館山さん! 泣かないで。大丈夫? 大丈夫だった?」
私なんかよりずっと細くて華奢で弱い彼女に、あろうことかぶつかってしまった。
館山さんも必死になって謝ってくれてるけど、私は衝撃で彼女の骨が砕けてないかの方が心配だ。
「私は平気。館山さんこそ大丈夫?」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
館山さんが本当に泣きそうな顔になっている。
こんなかわいい子に心配されて、たとえ死んでも大丈夫にならないわけがない。
「あ、そうだ。あのね、いま遠山くんと、カラオケ行きたいって話しててさ。もしよかったら、館山さんもどう? 放課後古山さんたちと、カラオケ行ったりする?」
そう言った私に、彼女は心の芯から驚いたような顔をすると、無垢すぎるほど真顔でキョトンと首をかしげた。
「学校帰りに寄り道するのはちょっと。それに私は自転車通学だし」
あぁ……、なんてイイ子。
真面目で優等生って、本気なんだ。
こっちこそヘンなこと言ってゴメン。
ちらりと遠山くんを見ると、彼はこっちの話を聞いているのかいないのか、ちょっとイラッとした様子で不自然なくらい一生懸命窓を拭いていた。