天使がくれた恋するスティック
第7章
第1話
私と坂下くんは友達になった。
だから教室で挨拶したり、スマホでスタンプ送り合ったりするのは、普通のことだと思う。
そんな行為にいちいち意味を見いだそうってのが、そもそもの間違いだし、考え過ぎだったんだと思う。
化学の実習で名字のあいうえお順に振られた席順は、遠山くんとテーブルは違うけど、同じ通路線上で隣の席になった。
正面の黒板を向くためにきっちり体を前に向けると、狭い通路で肩が触れそうになる。
「そっちの班ってさ、どこまで実験進んでんの? 最初の計算問題って、どうやってやった?」
遠山くんが話しかけて来るのは、私の隣に座る男子なのに、間に割り込むように入ってくる彼にドキリとする。
試験管に慎重に試薬を流し込む。
透明だった液体は、瞬時に鮮やかな青に変わった。
「あ。持田さんのやつ。俺と同じパターンのやつだ」
1番から5番の番号を割り振られた液体が、何の水溶液であるかを判断する実験だ。
6人班の中で同じパターンの人はいないけど、班が違えば6人のうち誰か一人は同じ組み合わせの試薬に当たっている。
「後でさ、レポート書くでしょ。何がどの水溶液だったか、答え合わせしよう」
いいよと返事をしたものの、レポート提出は来週の月曜だ。
今日は木曜日。
宿題として済ませるのなら、誰かと一緒にやる必要はないし、同じ班員同士で結果を照らし合わせれば、正解は簡単に導き出せる。
なんでそんな面倒くさいことするんだろうと、一瞬疑問に思ったまま実習の時間は終わり、次の授業が始まる。
掃除と終わりのホームルームも無事迎え、放課後がやってきた。
遠山くんと約束したことはもちろん覚えている。
だけど別に、彼だって本当は困っていないはずだ。
掃除の時間に何か向こうから話しかけられるかと思っていたけど、それもなかった。
教室の隅で相変わらず雑巾を振り回しながら仲のよい男子と戯れている彼は、まるで小学生男子だ。
私も似たようなもんだけど。
このまま約束を忘れたフリして、教室を出た方が勝ちだと覚悟を決めた私は、素知らぬ顔で教科書を鞄に詰める。
準備は整った。
このまま逃げ切ろうと立ち上がった瞬間、彼の真っ黒な目と目が合った。
「レポートするって、約束してたよね」
「したね」
「忘れてた?」
「うん」
「逃がすわけねーだろ」
彼は私の前の席に、後ろを向いたままどかりと腰を下ろすと、そのまま身を乗り出した。
「はい。やるよ。レポート用紙だして。持ってないなら、俺のあげる」
約束したのは私だ。
諦めて慎重に鞄を下ろす。
それにしても、もしかして同じ机でレポート書く気?
「ねぇ、このままじゃ狭くない? そっちの席を動かして……」
「俺はこのままでもいいけど」
「狭いから。そこはちゃんとしようよ」
ふてくされたような顔で、それでも渋々彼は従った。
もうこうなったら、さっさと終わらせて帰るしかない。
「持田さん、レポート用紙いる?」
「自分のあるからいい」
彼は引きちぎった数枚をくれようとしていたけど、それは断る。実習ノートを開いた。
「すげー。なんか色々書いてある」
「遠山のは?」
「俺? 都田と筆談してた」
ノートの余白には、確かに今流行っぽいアニメのキャラとか、「授業ダルい」とか動画サイトの雑談が書き殴られている。
「そんなジロジロ見るなよ」
「見てないよ」
自分から見せてきといて、見るなよとか怒られても。
それこそどうなの?
とにかくこれを終わらせないと、彼から解放されないことは分かった。
それほど難しいレポートじゃない。
宿題ついでにこの状況をさっさと終わらせられるのなら、一石二鳥だ。
「最初って、なに書くんだったっけ」
罫線の引かれたB5のレポート用紙に、いきなり実験のタイトルと名前を書き出し、彼は一番に表紙を完成させた。
「【目的】だよね」
「ここの部分をそのまま写せばいいってこと?」
「まぁ、そういうこと」
彼の書く文字は、思ったより綺麗だった。
古文のプリント集めで見たことはあるはずなのに、記憶には残ってなかったみたい。
絢奈の書くまるまるした文字とも、坂下くんの書く少し斜めになった文字とも違う、細くて繊細な文字だった。
「前に坂下とは、友達だって言ってたよね」
彼の文字がそんな風に見えるのは、きっと使っているシャーペンの芯が細いせいだ。
カリカリと紙を削るような音を立て、文字を書き写してゆく。
「言ったよ」
「俺とも友達だよね」
「そうだね」
「じゃあ俺も美羽音って呼んでいい?」
文字を書く手が止まる。
思わず顔を上げたら、彼はうつむいたまま【目的】を書いていた。
いちおう真面目にはやっている。
「それを言いに来たの?」
「は? まさか。実習レポートしに来たんですけど。で、目的の次はなんだっけ」
「実験方法だよね。器具とかやり方とか」
「このノートの前に書いてあるやつか。絵とかも入れる?」
「ビーカーとか? いいんじゃない?」
「俺のこともさ、下の名前で呼んでいいよ。あ、下の名前分かる?」
彼の頭の中ではすでにレイアウトが決まっているのか、文章を書くスペースを残し、レポート用紙の右側にイラストを描き始める。
何もないところにすっと楕円形を描くと、その先をきゅっと尖らせ、大小のビーカーを3つ重ねて並べた。
「絵、上手いんだね」
「快斗。快斗だから。呼んでみて」
奥歯をかみしめる。
ねぇ、人の話聞いてる?
私は彼の望み通り、ありったけの声を張り上げて叫んでやった。
「快斗は絵が上手だね!」
「美羽音のにも描いてやろうか!」
「別にいらない!」
「じゃあいいよ!」
突然の怒鳴り合いみたいな会話に、教室に残っていたみんながびっくりしてる。
うわ。恥ずかしい。
どうしてこういう時に限って、絢奈はどっか行っちゃってるんだろう。
坂下くんがいなくてよかった。
けど館山さんには、思いっきり見られてるな。
だから教室で挨拶したり、スマホでスタンプ送り合ったりするのは、普通のことだと思う。
そんな行為にいちいち意味を見いだそうってのが、そもそもの間違いだし、考え過ぎだったんだと思う。
化学の実習で名字のあいうえお順に振られた席順は、遠山くんとテーブルは違うけど、同じ通路線上で隣の席になった。
正面の黒板を向くためにきっちり体を前に向けると、狭い通路で肩が触れそうになる。
「そっちの班ってさ、どこまで実験進んでんの? 最初の計算問題って、どうやってやった?」
遠山くんが話しかけて来るのは、私の隣に座る男子なのに、間に割り込むように入ってくる彼にドキリとする。
試験管に慎重に試薬を流し込む。
透明だった液体は、瞬時に鮮やかな青に変わった。
「あ。持田さんのやつ。俺と同じパターンのやつだ」
1番から5番の番号を割り振られた液体が、何の水溶液であるかを判断する実験だ。
6人班の中で同じパターンの人はいないけど、班が違えば6人のうち誰か一人は同じ組み合わせの試薬に当たっている。
「後でさ、レポート書くでしょ。何がどの水溶液だったか、答え合わせしよう」
いいよと返事をしたものの、レポート提出は来週の月曜だ。
今日は木曜日。
宿題として済ませるのなら、誰かと一緒にやる必要はないし、同じ班員同士で結果を照らし合わせれば、正解は簡単に導き出せる。
なんでそんな面倒くさいことするんだろうと、一瞬疑問に思ったまま実習の時間は終わり、次の授業が始まる。
掃除と終わりのホームルームも無事迎え、放課後がやってきた。
遠山くんと約束したことはもちろん覚えている。
だけど別に、彼だって本当は困っていないはずだ。
掃除の時間に何か向こうから話しかけられるかと思っていたけど、それもなかった。
教室の隅で相変わらず雑巾を振り回しながら仲のよい男子と戯れている彼は、まるで小学生男子だ。
私も似たようなもんだけど。
このまま約束を忘れたフリして、教室を出た方が勝ちだと覚悟を決めた私は、素知らぬ顔で教科書を鞄に詰める。
準備は整った。
このまま逃げ切ろうと立ち上がった瞬間、彼の真っ黒な目と目が合った。
「レポートするって、約束してたよね」
「したね」
「忘れてた?」
「うん」
「逃がすわけねーだろ」
彼は私の前の席に、後ろを向いたままどかりと腰を下ろすと、そのまま身を乗り出した。
「はい。やるよ。レポート用紙だして。持ってないなら、俺のあげる」
約束したのは私だ。
諦めて慎重に鞄を下ろす。
それにしても、もしかして同じ机でレポート書く気?
「ねぇ、このままじゃ狭くない? そっちの席を動かして……」
「俺はこのままでもいいけど」
「狭いから。そこはちゃんとしようよ」
ふてくされたような顔で、それでも渋々彼は従った。
もうこうなったら、さっさと終わらせて帰るしかない。
「持田さん、レポート用紙いる?」
「自分のあるからいい」
彼は引きちぎった数枚をくれようとしていたけど、それは断る。実習ノートを開いた。
「すげー。なんか色々書いてある」
「遠山のは?」
「俺? 都田と筆談してた」
ノートの余白には、確かに今流行っぽいアニメのキャラとか、「授業ダルい」とか動画サイトの雑談が書き殴られている。
「そんなジロジロ見るなよ」
「見てないよ」
自分から見せてきといて、見るなよとか怒られても。
それこそどうなの?
とにかくこれを終わらせないと、彼から解放されないことは分かった。
それほど難しいレポートじゃない。
宿題ついでにこの状況をさっさと終わらせられるのなら、一石二鳥だ。
「最初って、なに書くんだったっけ」
罫線の引かれたB5のレポート用紙に、いきなり実験のタイトルと名前を書き出し、彼は一番に表紙を完成させた。
「【目的】だよね」
「ここの部分をそのまま写せばいいってこと?」
「まぁ、そういうこと」
彼の書く文字は、思ったより綺麗だった。
古文のプリント集めで見たことはあるはずなのに、記憶には残ってなかったみたい。
絢奈の書くまるまるした文字とも、坂下くんの書く少し斜めになった文字とも違う、細くて繊細な文字だった。
「前に坂下とは、友達だって言ってたよね」
彼の文字がそんな風に見えるのは、きっと使っているシャーペンの芯が細いせいだ。
カリカリと紙を削るような音を立て、文字を書き写してゆく。
「言ったよ」
「俺とも友達だよね」
「そうだね」
「じゃあ俺も美羽音って呼んでいい?」
文字を書く手が止まる。
思わず顔を上げたら、彼はうつむいたまま【目的】を書いていた。
いちおう真面目にはやっている。
「それを言いに来たの?」
「は? まさか。実習レポートしに来たんですけど。で、目的の次はなんだっけ」
「実験方法だよね。器具とかやり方とか」
「このノートの前に書いてあるやつか。絵とかも入れる?」
「ビーカーとか? いいんじゃない?」
「俺のこともさ、下の名前で呼んでいいよ。あ、下の名前分かる?」
彼の頭の中ではすでにレイアウトが決まっているのか、文章を書くスペースを残し、レポート用紙の右側にイラストを描き始める。
何もないところにすっと楕円形を描くと、その先をきゅっと尖らせ、大小のビーカーを3つ重ねて並べた。
「絵、上手いんだね」
「快斗。快斗だから。呼んでみて」
奥歯をかみしめる。
ねぇ、人の話聞いてる?
私は彼の望み通り、ありったけの声を張り上げて叫んでやった。
「快斗は絵が上手だね!」
「美羽音のにも描いてやろうか!」
「別にいらない!」
「じゃあいいよ!」
突然の怒鳴り合いみたいな会話に、教室に残っていたみんながびっくりしてる。
うわ。恥ずかしい。
どうしてこういう時に限って、絢奈はどっか行っちゃってるんだろう。
坂下くんがいなくてよかった。
けど館山さんには、思いっきり見られてるな。