天使がくれた恋するスティック
第8章
第1話
坂下くんは元々遠い存在の人で、そもそもお近づきになったことの方がおかしかったんだ。
だからその距離が戻ったのは、ある意味当然とも言えること。
教室はいつも通りの平和さで、私としてはそうやって自分を切り替えていきたいのに、渡り廊下奥の茂みに今も残り続けるスティックが、夢じゃないよと言っている。
刺さった人の気持ちは勝手に動かすくせに、現実の距離までは縮めてくれない。
結局一方通行にしかならないんだったら、そんなのわざわざ魔法にする意味ある?
掃除終わりと帰りのホームルーム前の隙間時間。
ゴミ収集所に捨てに行った帰り道に、渡り廊下にしゃがみ込んで宙に浮かぶスティックを見上げる。
快斗がやって来た。
「お前、ホントにこの場所好きだよな。なに見て黄昏れてんの? 空?」
彼は少し離れた位置にしゃがみ込むと、私と同じ空を見上げる。
私はしっかり見えているものでも、他の人には見えているとは限らない。
「……。もしかして、坂下とケンカした?」
なんでそんなことが気になるのとか、ほっといてくれとか言ってもいいけど、彼とこれ以上先にも進みたくないから、聞かない。
あぁ。
坂下くんも、こういう気持ちだったんだ。
「してないよ。別に普通」
「普通だったら、そんなに落ち込まないだろ」
真っ黒で伸び放題の髪は相変わらずバサバサで、それでもゆっくりと丁寧に言葉を選びながら話してくれているのは、ちゃんと伝わってる。
「なんかさ、困ってることとか、気になることがあるなら話してよ。別に直接じゃなくてもいいし。タイムラインとかDMでも。そんな深刻なことじゃなくても、『お腹空いたー』とかでもいいし」
彼はしゃがみ込んだ膝を抱え、その腕に半分顔を埋めたまま視線だけをこちらに向けて微笑んだ。
「つーか、俺も雑談送ってい?」
快斗はごそごそと自分の携帯を取り出す。
真っ黒な本体に、流行のアニメタイトルから「呪」という一文字を取った篆書体のステッカーを貼っている。
男子がみんな見てるやつだ。
「そのアニメ好きなの?」
「え? うん」
「私も見てる」
「マジか」
「別に今までも普通に送って来てたでしょ」
快斗と友達になってから、何度か一緒に遊んだ。
カラオケも行ったしゲーセンにも行った。
私のサブバックには、その時とった「もふかわ」というハムスターなのか熊なのかよく分からない真っ白なキャラクターを主人公とする、人気シリーズのキャラの一人がぶら下がっている。
ラッコをモチーフとした「先生」と呼ばれるキャラのぬいぐるみキーホルダーだ。
しかも快斗とお揃いで。
偶然二つとれたから。
「それでももっと、送ってきていいよって話」
彼はムッとした目で、こっちをにらむ。
「俺がアイコン変えたの知ってる?」
「いつ」
「いまさっき」
なにそれ。
そんなの詐欺だし。
彼が差し出すスマホ画面をチラリとのぞき見る。
新しいアイコンも、そのアニメのキャラだった。
「この人が好きなんだ。悪役じゃん」
「闇落ちしたのが逆にいいんだって」
快斗となら、なにも考えなくてもアニメとかゲームの話題でしゃべれるのに、どうしてあの人とは上手くしゃべれないんだろう。
彼はそんな話をしながらも、次々にスタンプを送ってくる。
面白いやつとかかわいいのとか。
それを見ながら笑ってる私も、大概どうにかしてると思う。
ホームルームの開始を知らせる予鈴が鳴った。
「ちゃんとさ、俺とももっと話してよ」
私が持っていた大きなゴミ箱を、彼は黙って持ってくれた。
片手をズボンのポケットに突っ込んで、先を歩く彼の後を追いかける。
さっきまで親しげに話してたことなんて何にもなかったフリをして、分かれて教室に入った。
席につくと、すぐに担任の話が始まる。
ざわついた教室で、私の席から左前方に座る快斗の右肩を眺めた。
彼から私に向けられている好意は、本物なんだろう。
スティックなんかなくたって、普通に人は恋が出来る。
私は事故でそうさせられちゃったけど、彼の思いはそうじゃない。
もしあんなことがなかったら、私は坂下くんのことを好きになったりしてた?
多分、そうはならなかった。
憧れはあっても、ファンとか推しではあっても、「好き」にはなってなかったと思う。
右前方に座る坂下くんの、真っ直ぐ伸びた背に視線を移す。
彼のことは、いいなーとは思ってた。
だけどそれは一般的に言う「かっこいい」であって、芸能人とかアイドルへ向けての好意に近かった。
絶対に手が届かないからこそ、他の女の子と一緒になってきゃあきゃあ騒げた。
それが恋の原型のようなものであったとしても、その種子が芽吹くことは決してなかった。
それだけははっきりと分かる。
じゃあもしスティックが刺さってなくて、天使と遭遇しないまま今の状態を迎えていたら、私は快斗と付き合った?
彼の好意はありがたく思うけど、同じ気持ちで応えられる自信はない。
付き合っていくうちに、好きになっていくのかな。
そうなる可能性、またはそうなってくれる可能性込みで、告白したり付き合い始めるってこと?
みんなどうやって、好きな人を作ってんだろ。
「じゃあ解散。また明日―」
先生のその言葉を合図に、縛りを解かれた教室はどっと騒がしくなった。
坂下くんはいつものように優等生軍団である館山さんたちと先生のところへ行って、一緒になんか話してる。
快斗は男友達数人とさっそくゲームを始めていた。
魔法がかかっていてもいなくても、快斗のところへなら今すぐにでも入っていける。
何してんのー、なんのゲームーって。
だけど、坂下くんのところへは?
だからその距離が戻ったのは、ある意味当然とも言えること。
教室はいつも通りの平和さで、私としてはそうやって自分を切り替えていきたいのに、渡り廊下奥の茂みに今も残り続けるスティックが、夢じゃないよと言っている。
刺さった人の気持ちは勝手に動かすくせに、現実の距離までは縮めてくれない。
結局一方通行にしかならないんだったら、そんなのわざわざ魔法にする意味ある?
掃除終わりと帰りのホームルーム前の隙間時間。
ゴミ収集所に捨てに行った帰り道に、渡り廊下にしゃがみ込んで宙に浮かぶスティックを見上げる。
快斗がやって来た。
「お前、ホントにこの場所好きだよな。なに見て黄昏れてんの? 空?」
彼は少し離れた位置にしゃがみ込むと、私と同じ空を見上げる。
私はしっかり見えているものでも、他の人には見えているとは限らない。
「……。もしかして、坂下とケンカした?」
なんでそんなことが気になるのとか、ほっといてくれとか言ってもいいけど、彼とこれ以上先にも進みたくないから、聞かない。
あぁ。
坂下くんも、こういう気持ちだったんだ。
「してないよ。別に普通」
「普通だったら、そんなに落ち込まないだろ」
真っ黒で伸び放題の髪は相変わらずバサバサで、それでもゆっくりと丁寧に言葉を選びながら話してくれているのは、ちゃんと伝わってる。
「なんかさ、困ってることとか、気になることがあるなら話してよ。別に直接じゃなくてもいいし。タイムラインとかDMでも。そんな深刻なことじゃなくても、『お腹空いたー』とかでもいいし」
彼はしゃがみ込んだ膝を抱え、その腕に半分顔を埋めたまま視線だけをこちらに向けて微笑んだ。
「つーか、俺も雑談送ってい?」
快斗はごそごそと自分の携帯を取り出す。
真っ黒な本体に、流行のアニメタイトルから「呪」という一文字を取った篆書体のステッカーを貼っている。
男子がみんな見てるやつだ。
「そのアニメ好きなの?」
「え? うん」
「私も見てる」
「マジか」
「別に今までも普通に送って来てたでしょ」
快斗と友達になってから、何度か一緒に遊んだ。
カラオケも行ったしゲーセンにも行った。
私のサブバックには、その時とった「もふかわ」というハムスターなのか熊なのかよく分からない真っ白なキャラクターを主人公とする、人気シリーズのキャラの一人がぶら下がっている。
ラッコをモチーフとした「先生」と呼ばれるキャラのぬいぐるみキーホルダーだ。
しかも快斗とお揃いで。
偶然二つとれたから。
「それでももっと、送ってきていいよって話」
彼はムッとした目で、こっちをにらむ。
「俺がアイコン変えたの知ってる?」
「いつ」
「いまさっき」
なにそれ。
そんなの詐欺だし。
彼が差し出すスマホ画面をチラリとのぞき見る。
新しいアイコンも、そのアニメのキャラだった。
「この人が好きなんだ。悪役じゃん」
「闇落ちしたのが逆にいいんだって」
快斗となら、なにも考えなくてもアニメとかゲームの話題でしゃべれるのに、どうしてあの人とは上手くしゃべれないんだろう。
彼はそんな話をしながらも、次々にスタンプを送ってくる。
面白いやつとかかわいいのとか。
それを見ながら笑ってる私も、大概どうにかしてると思う。
ホームルームの開始を知らせる予鈴が鳴った。
「ちゃんとさ、俺とももっと話してよ」
私が持っていた大きなゴミ箱を、彼は黙って持ってくれた。
片手をズボンのポケットに突っ込んで、先を歩く彼の後を追いかける。
さっきまで親しげに話してたことなんて何にもなかったフリをして、分かれて教室に入った。
席につくと、すぐに担任の話が始まる。
ざわついた教室で、私の席から左前方に座る快斗の右肩を眺めた。
彼から私に向けられている好意は、本物なんだろう。
スティックなんかなくたって、普通に人は恋が出来る。
私は事故でそうさせられちゃったけど、彼の思いはそうじゃない。
もしあんなことがなかったら、私は坂下くんのことを好きになったりしてた?
多分、そうはならなかった。
憧れはあっても、ファンとか推しではあっても、「好き」にはなってなかったと思う。
右前方に座る坂下くんの、真っ直ぐ伸びた背に視線を移す。
彼のことは、いいなーとは思ってた。
だけどそれは一般的に言う「かっこいい」であって、芸能人とかアイドルへ向けての好意に近かった。
絶対に手が届かないからこそ、他の女の子と一緒になってきゃあきゃあ騒げた。
それが恋の原型のようなものであったとしても、その種子が芽吹くことは決してなかった。
それだけははっきりと分かる。
じゃあもしスティックが刺さってなくて、天使と遭遇しないまま今の状態を迎えていたら、私は快斗と付き合った?
彼の好意はありがたく思うけど、同じ気持ちで応えられる自信はない。
付き合っていくうちに、好きになっていくのかな。
そうなる可能性、またはそうなってくれる可能性込みで、告白したり付き合い始めるってこと?
みんなどうやって、好きな人を作ってんだろ。
「じゃあ解散。また明日―」
先生のその言葉を合図に、縛りを解かれた教室はどっと騒がしくなった。
坂下くんはいつものように優等生軍団である館山さんたちと先生のところへ行って、一緒になんか話してる。
快斗は男友達数人とさっそくゲームを始めていた。
魔法がかかっていてもいなくても、快斗のところへなら今すぐにでも入っていける。
何してんのー、なんのゲームーって。
だけど、坂下くんのところへは?