天使がくれた恋するスティック
第10章
第1話
大人気のキャラクターであるラッコ先生は、無事快斗の元へ戻った。
私はそれを見るたびに、ほっとしている。
彼としゃべることはほとんどなくなったし、毎晩のように送られてきていたスタンプも来なくなってしまったけど、彼の鞄に揺られる二つのラッコ先生を見るたびに、その可愛くも勇ましい姿に応援されている気がした。
これでよかった。
普通に戻った。
今まで通り。
友達と楽しそうに騒ぎながら放課後の教室を出て行く彼を、視界の隅で見送った。
私も家に帰ろう。
「絢奈ー。帰りにススバ寄って帰ろー。今月の新作フラペチーノがさー……」
絢奈はどこにいるんだろう。
教室には見当たらない。
ふと廊下に顔を出すと、入り口を出てすぐの廊下の、いつもの位置に絢奈が立っていた。
「あれ。ここにいたんだ」
隣に並ぶと、ぼんやりとうつむく彼女をのぞき込む。
「どうしたの?」
「ねぇ、聞いていい?」
絢奈のサラサラとした髪が、肩からこぼれ落ちた。
「なんでラッコ先生、快斗に返したの」
「好きな人が出来たから」
そういうと彼女は、凄くびっくりした顔を私に向けた。
「え? そうなの?」
「うん。そういえば、絢奈にはずっと言ってなかったよね」
彼女のまん丸くなった茶色い目が、ゆっくりと元の大きさに戻ってゆく。
「そっか。坂下くんだ」
「あはは。やっぱりバレてたんだ」
「まぁね。いつ言ってくれるのかなって、ずっと思ってたよ」
二人で並んで見下ろす窓からは、渡り廊下を挟んだ向こうの校舎が見える。
その窓にも、私たちと同じように誰かが並んでいた。
「快斗にお願いしてみたら?」
「なにを?」
「ラッコ先生欲しいって」
「私が?」
「うん」
少しすねたように真っ赤になった絢奈は、いつもより綺麗でかわいいと思った。
「二つあるから、もらえるんじゃない?」
「……。なんかそれは、ちょっと悔しいからいい」
口を尖らせた彼女は、ブツブツ独り言を言っている。
最初の一歩を踏み出す勇気があるかないかで、きっと世界は変わる。
「つーかさぁ。こないだから気になってたんだけど。アレ、なんかおかしくない? あのカラス、多分この学校にいついてるボスだよね。なんで宙に浮いてんの? 新手の飛び方?」
「え? どういうこと?」
絢奈には見えないはずのスティックが、突然見えるようになった?
慌てて窓から身を乗り出す。
カラスのボスは、真っ黒な巨体をまだ残されていたスティックの上に乗せ、鋭いくちばしで食いちぎろうとしているのか、執拗にそれに攻撃を繰り返していた。
「あのカラスの動き、やっぱおかしいよね?」
「ゴメン。私、先に帰る!」
このままだと、カラスに落とされる!
地面に落ちたあのスティックが、誰かに刺さったりしたら大変!
人には簡単に手の届かない位置にあったからって、放置しておいたのもよくなかった。
何とかしなくちゃ!
階段を一気に駆け下りる。
北校舎と東校舎を結ぶ渡り廊下の、隙間のような場所にたどり着くと、私は持っていた鞄をそのまま地面に放り投げた。
「あれ。持田さん、どうしたの?」
うわっ。
館山さんと坂下くんだ。
よりにもよって、何でこんな時に?
「鞄、落っことしたよ!」
彼女が地面に放り投げたサブバックを拾おうとうつむいた。
その隙に、私は坂下くんに視線で合図を送る。
彼もスティックにいたずらしているカラスに気づいたようだ。
「あ、ありがとう。二人はもう帰るとこ?」
「うん。さっき職員室に寄って、体育祭の内容を聞いてきたの。競技の参加者を決めないといけないからって。まずは実行委員をクラスで選ばないといけないんだけど……」
館山さんのおしゃべりは続いている。
ここは私が何とかするから、彼女を連れて先に帰ってって、合図を送りたいけど、どう送っていいのかが分からない。
こういう時って、どんなジェスチャーすればいい?
「なぁ。向こうでなんか騒いでない?」
不意に坂下くんがそう言った。
確かにここからは見えない校舎の向こうから、バタバタというボスの羽音が聞こえてくる。
「向こうに何かいるのかな?」
館山さんがそこに興味持ったら、意味ないじゃない!
渡り廊下を離れ、奥へ行こうとする彼女の前に、私は立ち塞がった。
「あ、危ないから、早く帰った方がいいよ。ね、坂下くん!」
「別に危なくはないだろ」
「そうだよ、持田さん。むしろ危険なら、先生を呼んで来た方がいいんじゃない?」
「あ、じゃあ私がここで見張っておくから、館山さんと坂下くんは、先生を連れて来てくれる?」
彼女はポカンと「この人、なにおかしなこと言ってんだろ?」って顔をした後で、彼を見上げた。
「危険そうなら、一旦俺が確認してこようか?」
「坂下くんがいいなら、それでもいいけど……」
「じゃあ私と館山さんが、職員室行ってきていい?」
とにかく彼女をここから引き離さないと。
そう焦る私の気持ちを知ってか知らずか、彼はワザとのんびり動いているようにしか見えない。
「まぁ別にどっちでもいいけど。じゃあ……、見てくるね」
ギャー! という、カラスの雄叫びが聞こえた。
鋭い羽音が見えない視界の奥で、バサバサと響く。
「あ。やっぱり気になるから、私も行く」
坂下くんの背に続いて、彼女がぴょんと建物の陰に飛び込んだ。
私はそれを見るたびに、ほっとしている。
彼としゃべることはほとんどなくなったし、毎晩のように送られてきていたスタンプも来なくなってしまったけど、彼の鞄に揺られる二つのラッコ先生を見るたびに、その可愛くも勇ましい姿に応援されている気がした。
これでよかった。
普通に戻った。
今まで通り。
友達と楽しそうに騒ぎながら放課後の教室を出て行く彼を、視界の隅で見送った。
私も家に帰ろう。
「絢奈ー。帰りにススバ寄って帰ろー。今月の新作フラペチーノがさー……」
絢奈はどこにいるんだろう。
教室には見当たらない。
ふと廊下に顔を出すと、入り口を出てすぐの廊下の、いつもの位置に絢奈が立っていた。
「あれ。ここにいたんだ」
隣に並ぶと、ぼんやりとうつむく彼女をのぞき込む。
「どうしたの?」
「ねぇ、聞いていい?」
絢奈のサラサラとした髪が、肩からこぼれ落ちた。
「なんでラッコ先生、快斗に返したの」
「好きな人が出来たから」
そういうと彼女は、凄くびっくりした顔を私に向けた。
「え? そうなの?」
「うん。そういえば、絢奈にはずっと言ってなかったよね」
彼女のまん丸くなった茶色い目が、ゆっくりと元の大きさに戻ってゆく。
「そっか。坂下くんだ」
「あはは。やっぱりバレてたんだ」
「まぁね。いつ言ってくれるのかなって、ずっと思ってたよ」
二人で並んで見下ろす窓からは、渡り廊下を挟んだ向こうの校舎が見える。
その窓にも、私たちと同じように誰かが並んでいた。
「快斗にお願いしてみたら?」
「なにを?」
「ラッコ先生欲しいって」
「私が?」
「うん」
少しすねたように真っ赤になった絢奈は、いつもより綺麗でかわいいと思った。
「二つあるから、もらえるんじゃない?」
「……。なんかそれは、ちょっと悔しいからいい」
口を尖らせた彼女は、ブツブツ独り言を言っている。
最初の一歩を踏み出す勇気があるかないかで、きっと世界は変わる。
「つーかさぁ。こないだから気になってたんだけど。アレ、なんかおかしくない? あのカラス、多分この学校にいついてるボスだよね。なんで宙に浮いてんの? 新手の飛び方?」
「え? どういうこと?」
絢奈には見えないはずのスティックが、突然見えるようになった?
慌てて窓から身を乗り出す。
カラスのボスは、真っ黒な巨体をまだ残されていたスティックの上に乗せ、鋭いくちばしで食いちぎろうとしているのか、執拗にそれに攻撃を繰り返していた。
「あのカラスの動き、やっぱおかしいよね?」
「ゴメン。私、先に帰る!」
このままだと、カラスに落とされる!
地面に落ちたあのスティックが、誰かに刺さったりしたら大変!
人には簡単に手の届かない位置にあったからって、放置しておいたのもよくなかった。
何とかしなくちゃ!
階段を一気に駆け下りる。
北校舎と東校舎を結ぶ渡り廊下の、隙間のような場所にたどり着くと、私は持っていた鞄をそのまま地面に放り投げた。
「あれ。持田さん、どうしたの?」
うわっ。
館山さんと坂下くんだ。
よりにもよって、何でこんな時に?
「鞄、落っことしたよ!」
彼女が地面に放り投げたサブバックを拾おうとうつむいた。
その隙に、私は坂下くんに視線で合図を送る。
彼もスティックにいたずらしているカラスに気づいたようだ。
「あ、ありがとう。二人はもう帰るとこ?」
「うん。さっき職員室に寄って、体育祭の内容を聞いてきたの。競技の参加者を決めないといけないからって。まずは実行委員をクラスで選ばないといけないんだけど……」
館山さんのおしゃべりは続いている。
ここは私が何とかするから、彼女を連れて先に帰ってって、合図を送りたいけど、どう送っていいのかが分からない。
こういう時って、どんなジェスチャーすればいい?
「なぁ。向こうでなんか騒いでない?」
不意に坂下くんがそう言った。
確かにここからは見えない校舎の向こうから、バタバタというボスの羽音が聞こえてくる。
「向こうに何かいるのかな?」
館山さんがそこに興味持ったら、意味ないじゃない!
渡り廊下を離れ、奥へ行こうとする彼女の前に、私は立ち塞がった。
「あ、危ないから、早く帰った方がいいよ。ね、坂下くん!」
「別に危なくはないだろ」
「そうだよ、持田さん。むしろ危険なら、先生を呼んで来た方がいいんじゃない?」
「あ、じゃあ私がここで見張っておくから、館山さんと坂下くんは、先生を連れて来てくれる?」
彼女はポカンと「この人、なにおかしなこと言ってんだろ?」って顔をした後で、彼を見上げた。
「危険そうなら、一旦俺が確認してこようか?」
「坂下くんがいいなら、それでもいいけど……」
「じゃあ私と館山さんが、職員室行ってきていい?」
とにかく彼女をここから引き離さないと。
そう焦る私の気持ちを知ってか知らずか、彼はワザとのんびり動いているようにしか見えない。
「まぁ別にどっちでもいいけど。じゃあ……、見てくるね」
ギャー! という、カラスの雄叫びが聞こえた。
鋭い羽音が見えない視界の奥で、バサバサと響く。
「あ。やっぱり気になるから、私も行く」
坂下くんの背に続いて、彼女がぴょんと建物の陰に飛び込んだ。