あなたが居なくなった後 ~シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました~
「で、俺とヨリ戻したいと?」
「うん、やっぱりヒロがいいって気付いたから、今日はお腹痛いって仕事休んで会いに来たんだよ」

 パーテンションの向こうから聞こえてくる、瑛梨奈の甘えた口調。それに対して、宏樹の拒絶するような冷たい声が響く。

「人ってさ、裏切られたことは一生忘れられないようにできてるんだよ。なのに、自分がやった裏切りはすぐに忘れちゃうんだよな」
「なっ……」
「本気で想ってる相手なら、何をされても許せるんだけど、そうじゃないと無理。瑛梨奈のことは、裏切りに目をつぶってまでして一緒に居たいとは思ってない」
「何よ、それ……?」

 思っていたのと違う返事が返ってきたことで、瑛梨奈がヒステリックな声を出す。

「その本気の相手に手が届かないから、私が代わりになってあげようって言ってるのよ?! そんな理解のある女、他にはいないのが分からないの?」
「手が届くかどうかは、今の俺には問題じゃないし、もう代わりも必要ない」

 宏樹の言葉に、瑛梨奈はハッとソファーから立ち上がる。そして、パーテーションを回って事務スペースの方に入って来ると、優香のことを指差した。

「ねえ、この人なんでしょう? ヒロがずっと好きな兄嫁って。分かってるのよ、あなたの好きなタイプだってことくらい」

 いきなり話に巻き込まれて、優香は食後に淹れた珈琲を噴き出しそうになる。初対面から品定めするような視線を感じてはいたが、まさかここにきて指名されるとは思いもよらなかった。

「えっと、私……」
「そうだよ。彼女は兄貴の奥さんだったけど、今は違う。去年、兄貴が亡くなったから――」
「ちょっと待ってよ。この人、子供いるんでしょう? 子持ちなんてありえなくない?! ねえ、あなたも旦那が居なくなったからって、都合良すぎない? ヒロもお兄さんのお下がりなんかでいいの?」

 パーテーションから出てきた宏樹は、参ったなと頭を掻きながら困惑した顔をしている。逆上して早口でまくし立ててくる瑛梨奈には、もう遠巻きに言っても通じないようだ。

「俺は兄貴の代わりだろうが何だっていい。死んだすぐ後なのに不謹慎だと批難されたって平気だし、ずっと諦めなくて良かったって思ってるくらいだよ」

 兄が天国で歯軋りして悔しがってるかと思うと、多少の罪悪感はある。でも、この先も彼女の傍に居られる優越感の方が大きい。やっと一番欲しいものに遠慮なく手を伸ばせるチャンスがやってきたのだと。
 どんなに優等生を通しても、兄には勝てなかったし、常に諦めていた。でも、これだけは無理。諦めるなんてできない。

「もう、よそ見せずに待つつもりでいるから。優香ちゃん以外と付き合うつもりも、よりを戻すつもりもないんだ」

 瑛梨奈に向かって諭しているフリをしながら、優香への想いを平然と口にする。唖然としたままカップを握りしめて動かない優香とは反対に、瑛梨奈は自分の荷物を抱えて「勝手にすればっ!」とオフィスのドアをバンッと閉めて出て行った。
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