あなたが居なくなった後 ~シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました~
 フロア中に響きそうなくらい大きな音を立てて閉まったドアを、宏樹が苦笑を漏らしながら鍵する。防犯の度に毎度ロックするようにはしていたが、今はそのガチャリと鍵が閉まる音に優香は動揺してしまう。
 オフィスで宏樹と二人きりなのはいつものことで慣れているはずだ。でも、明らかに口説き文句と取れる台詞を聞かされた後では、普段通りにしろというのは無理な話だ。

 勢いでいろんなことをぶちまけてしまったと、宏樹も困惑した顔で頭を掻いていた。商談スペースに残された二客分のティーカップを引き上げてきて、優香は簡易キッチンで自分の珈琲カップと一緒に洗い始める。

「なんか、ごめん。変なとこ見せちゃって」

 洗剤を流し終えた食器を布巾で拭いている優香へ、宏樹が申し訳なさそうに声を掛ける。
 どさくさに紛れて必要以上にぶちまけて去って行った元カノとは、お互いの利害が一致したから付き合っていた、いわゆる都合のいい大人の関係のはずだった。瑛梨奈にとって宏樹は周囲にマウントを取る為の見栄えのいい彼氏で、宏樹にとって瑛梨奈は後腐れなく関係を持てる女――要はセフレでしかなかった。だから、瑛梨奈が他の男に乗り換えることにしたのなら、あっさりと身を引いた。無理して引き留めたいと思うような相手でもなかったから。

 どんなに一途に想っていようが、宏樹だってまだ二十代の男だ。聖人君子でも修行僧でもない。据え膳食わぬはとつまみ食いくらいしたくなる。それがたまたま瑛梨奈だったばかりに、こんな騒動にまで発展してしまったのだが……。

「謝られても、私は別に……」

 優香の立場からは何と言えばいいのかが分からない。宏樹が誰とどんな恋愛をしてようが、自分には全く関係ないことなのだから。
 拭き終わったカップを棚に戻し終わると、優香は何事も無かったかのように平然と振り返った。――つもり、だった。

「……優香ちゃん、顔真っ赤だよ?」
「えっ?!」

 ぱっと両手を広げて、慌てて顔を隠す。何も気にしてない、平然とした態度を取っているつもりだったのに、と宏樹から身体を背け、もう一度キッチンの方に向きを戻す。動揺丸出しの反応をしてしまい、恥ずかしくてもう二度と宏樹と顔を合わせられない。
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