あなたが居なくなった後 ~シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました~
「いえ、子供もまだ小さいですし、私はそういうのはちょっと……」
「ああ、そうですよね。すみません、出しゃばったこと言っちゃって」

 平日の昼にここに居るということは、彼は今日の仕事には出ていないということだ。憔悴しきった感じから、おそらくは大輝が亡くなってからずっと欠勤が続いているのかもしれない。出勤してきたとしても、まともな仕事にはならないだろう。
 まだ20代前半の藤本には、ショックが大き過ぎて消化しきれない出来事だったはずだ。

「夫はただ、運が無かっただけだって思うことにしたんです。誰かを責めることで、大輝が返ってくるなら喜んでそうしますけど。これからこの子と二人でどう生きていこうかってことで頭は一杯で、今はそれどころじゃないっていうか――」
「分かりました。奥さんがそうおっしゃるんでしたら……」

 彼にとっては勤めている会社と戦うことが大輝への弔いのつもりなのかもしれないが、優香には夫が残してくれた小さな息子との生活を守り抜くことの方が大事だ。守るべきものがある自分はとても救われている。

 でも、怒りをどこかへぶつけようとする元気があるのなら、きっと藤本も大丈夫。しばらく経った後、時が彼のことを癒してくれる日は必ず訪れるはずだ。

「石橋さんにはよくしていただいたんで、本当に悔しくって……随分前からこの仕事は向いてないって感じて辞めるつもりでいたんですけど、今そんなことしたら先輩から怒られてしまいますよね」
「だと思います」

 短く相槌を打ち返して、優香は静かに男の様子を見守っていた。夫に会いに来る人はみんな、自分の中にある何かしらのけじめを付ける為に訪れてくる。後回しにしていたお礼や懺悔など、客によって理由は様々だが、亡き夫の死がそのキッカケを与えているのは確か。

 そしてみんな、大輝が生きていたらこう言っただろう、こうしただろうと言う。まるでまだ大輝がそこに居るかのように、彼の言葉を代弁する。その中には優香の知らない夫の姿もあって、少し不思議な感覚だった。すでに亡くなってて居ないはずの夫なのに、これまで知らなかった新しい一面を発見するのだ。もう十分に彼のことを知っているつもりだったのに、まだまだ知らないことが沢山あったのだから驚きだ。
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