あなたが居なくなった後 ~シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました~
 どれだけ待っても夫の帰っては来ない家で、乳児と二人きりで過ごす毎日。大輝が加入していた生命保険と労災保険とで、当面の生活費の心配はなかった。購入して一年しか経っていない自宅もローンの支払いが無くなり、母子が露頭に迷うことはない。

「相続税関連の書類はここにまとめてあるから。あとは署名と捺印さえしてくれれば、すぐ出しに行くから」
「ごめんね、ありがとう。出すのって税務署だっけ? それくらいなら自分で……」
「いいって。どうせ仕事のついでだよ」

 仕事帰りに立ち寄ってくれた義弟から書類の入ったファイルを受け取り、優香は力無く笑う。結局、役所などへの申請も全て宏樹に頼りきりになってしまった。
 誰が見ても疲れた顔をしている優香に、宏樹は心配そうに確認する。

「落ち着くまで実家に帰るとか、できないのかな?」
「……私の実家?」
「そ。一日中、子供と二人で閉じ籠ってるよりは、気も紛れるかもしれないし」

 宏樹の提案に、優香は「実家かぁ……」と呟く。実家に身を寄せるという考えは全く浮かばないでいた。産後もしばらくは家に通ってくれた母の傍なら、優香も少しくらい身体を休めることができるだろう。

「冗談じゃないわっ!! 子連れで居候だなんて、図々しいと思わないの?!」

 実家でもある塚田家のリビングで、優香に向かって義理の姉、梨乃が吠えたてる。あまりの剣幕に優香はソファーに座ったまま萎縮する。隣の和室ではいきなりの大きな声に、祖母に抱かれた陽太がぐずり出し始めた。

「ほ、ほらっ、赤ん坊はすぐ泣くから嫌なのよ! あの泣き声を毎日聞かされる身にもなってよ」

 平日だったこともあり、父は仕事に出ていて不在だ。母だけがいると思って家に顔を出すと、近所にアパートを借りて住んでいる義姉まで居て、優香は確認してから来なかったことを心底後悔していた。
 実兄の妻は気が強くて物言いがキツイ。それは二人が交際中から感じていたことだが、最近は特にパワーアップしているように思う。

「近い内に家を建て替えようって話になってるのよ。で、次は二世帯住宅にして、昭仁達も一緒に住むことになっててね……」

 慣れた手つきで孫をあやしながら、母が優香へとこっそり説明してくる。

「でも、優香さんが子供連れて戻ってくるなんて、そんなの聞いてないわ」
「梨乃さん、でも優香も落ち着くまでって言ってるから……ほら、離乳食が終わった後は随分楽になるんだから、せめてそのくらいはねぇ」

 孫可愛さに甘いことを言い出す姑に、梨乃がキッと睨みながら言い返す。

「離乳食なんて随分と先じゃないですかっ?! それまで建て替えを延期するとでも? その間もうちにアパートの家賃を払い続けろと?」

 激昂した嫁に言い負かされて、母親がフルフルと首を横に振る。普段はサバサバした気の良い子だと思っていたが、こと子供の話になると人が変わったようになるのを忘れていた。結婚して何年経っても妊娠しないと梨乃が婦人科に通い続けているのは息子経由で知っている。嫁の性格がさらにキツくなったのは、優香の妊娠が判明してからだ。
 その梨乃に、優香が子供を連れて戻ってくるのを受け入れろというのは非情な話だ。

 頭に血が昇りそうな勢いで反論を続ける梨乃だったが、ふと黙り込む。そして、良いことを思い付いたとばかりに意地悪な表情で義理の妹を見て言う。

「そうだ。うちが負担する分のローンを優香さんが肩代わりしてくれるっていうなら、同居して貰ってもいいわ」
「……え?」
「今のお家、建ててまだ浅いでしょ? 子供と二人で住むには広すぎるでしょうし、売り払ってしまえばいいのよ。で、そのお金でうちの分を払ってくれたらいいわ」

 なにも保険金をよこせって言ってる訳じゃないんだから平気でしょ、と平然と言ってのける。兄嫁の言葉に驚いて、優香は母の方を慌てて振り返った。だが、和室に敷いた客布団に孫を寝かしつけるのに集中しているのか、母は横になって陽太のお腹を静かに擦っていた。おそらく、聞こえないふりを通すのが賢明だと判断したのだろう。
< 4 / 71 >

この作品をシェア

pagetop