あなたが居なくなった後 ~シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました~

第十九話・痴話げんか

 夜に息子をお風呂に入れた後、哺乳瓶で白湯を飲ませている時、ダイニングテーブルの上に置いていたスマホが静かに着信を告げる。ヴーヴーというバイブレーションだけだから聞き逃してしまうことも多いが、眠っている時に通知などが来て、ようやく眠りかけた子が起こされるという悲劇よりマシだ。鳴るのもメッセージが大半で、急ぎの通話は滅多にないから、産後はずっとマナーモードにしっぱなしだった。

 連続して鳴り響くバイブの音に、陽太を抱きかかえたまま立ち上がる。液晶に表示されているのは、独身時代に勤めていた会社の同僚の名前――福本葵だ。同期入社だった葵とは退職した後もちょくちょく連絡を取り合う仲。

「もしもし?」
「あ、優香? 今、最寄り駅まで来てるんだけど、お家ってここからどう行けばいいんだっけ? 前にお邪魔したことあったから行けると思ったんだけど、何か駅前の雰囲気が微妙に変わってて分かんなくなっちゃってさ」
「えっ、今から? 今日って何か約束してたっけ?」

 電話に出た優香は一瞬だけ自分の記憶を疑った。友人としていた約束をど忘れしていたのかと焦ってしまったが、乳飲み子がいるのにどう考えてもこんな時間帯に予定を入れている訳がない。

「ううん、ごめん。急で申し訳ないんだけど、今日泊めて貰えないかな。訳は着いたら話すから。――で、駅からはどう行けばいいの?」 

 思いついたら即行動に移すタイプの友人は、電話口から道案内を求めてくる。以前に来た時は昼間だったから、今は目印にしていたものが見当たらないのだと。
 少しだけ遠回りにはなるが一番説明しやすい道順で伝えると、「ほんと、ごめんね」と言ってから葵が電話を切る。迷わなければ15分もかからないはずなので、優香はいつでも子供を寝かしつけられるよう、その間に和室へと子供布団を敷き始める。

「ほんと、ごめん! 他に泊めて貰えそうなアテが思いつかなくって……」
「で、何があったの?」

 スーツケースを引きながらやって来た葵をリビングへ通して、優香が小声で聞き返す。待っている間に眠ってしまった陽太は襖を半分だけ閉めた和室で、スヤスヤと小さな寝息を立てている。

「えっと、彼氏と喧嘩して、家出して来たっていうか……」
「あー……」
「1LDKだとさ、家に居ても気まずいし。向こうが夜勤に出てった隙に荷物まとめてみたんだけど、意外と行くアテが無くって」

 ネカフェとかビジネスホテルも考えたんだけど、そこまで財布に余裕無くってと恥ずかしそうに笑う。一人暮らしの他の友達のところも考えたみたいだけれど、仕事が忙しいとか、布団が無いと断られてしまったらしい。
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