あなたが居なくなった後
最終話
オフィスを立ち上げた時からの顧客に、新しい依頼人を紹介してもらったと、宏樹が客の持ちビルの一棟へ視察に向かったのは15時少し前。保育園へのお迎えの時刻も近付き、優香はキリの良いところで作業を中断して、キッチンに残っている洗い物を片付けていた。事務スペースでは吉沢が左手で領収書の束を、右手でテンキ―を勢いよく叩いている。
その時、オフィスの固定電話が前触れもなく鳴り始めた。
「はい。石橋会計事務所です」
デスクで作業中の吉沢が、目の前の受話器を上げて対応する。アルバイトの経験があるだけあり、初日から躊躇いなく電話に出てくれるのは助かっていた。研修に来ているはずが、逆に優香の方が教えて貰うことも多いくらいだ。
その吉沢が、柄にも無く電話口に向かって慌て始める。
「……えっ?! あ、あ、ちょっと待っていただけますか。優香さんっ、所長が救急車で運ばれたって……」
「え?」
洗い終えたカップを棚に並べていると、吉沢が焦った声で優香へと伝える。受話器を握りしめたまま、保留にするのも忘れているから、電話の向こうの救急車両のサイレンが微かに漏れて聞こえてきていた。
「ど、どこの病院か確認しますっ。――あ、どこの病院で……はい、はい。分かりました。ご家族の方にですか? ……多分、大丈夫です。それはこちらから連絡を……はい、失礼します」
布巾を握りしめたまま、吉沢のデスクへ駆け寄った優香は、彼が応対しながらメモ書きしていくのを黙って見ていた。通話を切った後、吉沢が動揺した声で優香へと報告する。
「お客さんのビルを出てすぐのところで、歩道を暴走していたバイクと接触したらしいです。救急車が到着した時はまだ意識はあったみたいなんですけど……あ、これ、運ばれた病院らしいです」
走り書きでもかろうじて読めるメモ。そこに書かれた病院名を頭に入れると、自分のデスクからバッグとスマホを取ってオフィスの入り口へと向かう。この時間帯なら駅まで行けばタクシーが捕まえられるはず。後で思い返してみると、この時は意外と冷静に行動できていたことに驚いてしまう。同じようなことを以前にも経験したことがあるからだろうか。
「また何か連絡あるかもしれないから、吉沢君はここに居てくれる? 私も病院についたら連絡します」
「あの、所長のご家族への連絡は……?」
「お義母さんには、向かいながら電話するから大丈夫」
こんな時でも普段と変わらない速度のエレベーターに苛立ちを覚える。ボタンを力強く何度押そうとも、無機質な機械が急いでくれる訳でもない。
帰宅ラッシュにはまだ早いから、駅前のタクシー乗り場に行列は無かった。暇そうに運転席を降りて伸びをしていたドライバーへ、動揺を抑えながらなんとか行き先を告げた。
その時、オフィスの固定電話が前触れもなく鳴り始めた。
「はい。石橋会計事務所です」
デスクで作業中の吉沢が、目の前の受話器を上げて対応する。アルバイトの経験があるだけあり、初日から躊躇いなく電話に出てくれるのは助かっていた。研修に来ているはずが、逆に優香の方が教えて貰うことも多いくらいだ。
その吉沢が、柄にも無く電話口に向かって慌て始める。
「……えっ?! あ、あ、ちょっと待っていただけますか。優香さんっ、所長が救急車で運ばれたって……」
「え?」
洗い終えたカップを棚に並べていると、吉沢が焦った声で優香へと伝える。受話器を握りしめたまま、保留にするのも忘れているから、電話の向こうの救急車両のサイレンが微かに漏れて聞こえてきていた。
「ど、どこの病院か確認しますっ。――あ、どこの病院で……はい、はい。分かりました。ご家族の方にですか? ……多分、大丈夫です。それはこちらから連絡を……はい、失礼します」
布巾を握りしめたまま、吉沢のデスクへ駆け寄った優香は、彼が応対しながらメモ書きしていくのを黙って見ていた。通話を切った後、吉沢が動揺した声で優香へと報告する。
「お客さんのビルを出てすぐのところで、歩道を暴走していたバイクと接触したらしいです。救急車が到着した時はまだ意識はあったみたいなんですけど……あ、これ、運ばれた病院らしいです」
走り書きでもかろうじて読めるメモ。そこに書かれた病院名を頭に入れると、自分のデスクからバッグとスマホを取ってオフィスの入り口へと向かう。この時間帯なら駅まで行けばタクシーが捕まえられるはず。後で思い返してみると、この時は意外と冷静に行動できていたことに驚いてしまう。同じようなことを以前にも経験したことがあるからだろうか。
「また何か連絡あるかもしれないから、吉沢君はここに居てくれる? 私も病院についたら連絡します」
「あの、所長のご家族への連絡は……?」
「お義母さんには、向かいながら電話するから大丈夫」
こんな時でも普段と変わらない速度のエレベーターに苛立ちを覚える。ボタンを力強く何度押そうとも、無機質な機械が急いでくれる訳でもない。
帰宅ラッシュにはまだ早いから、駅前のタクシー乗り場に行列は無かった。暇そうに運転席を降りて伸びをしていたドライバーへ、動揺を抑えながらなんとか行き先を告げた。