扉を壊して、閉じ込めて
 氷雨は、この世界にやって来たアリスを拾ってくれた男だ。
 扉をくぐるなり全身の力が抜け、屋敷の庭で倒れ伏していた彼女を、氷雨は訝しむこともせずに優しく抱き上げてくれた。
 降りしきる雨によって体力を奪われたアリスは、保護された屋敷の一室──つまりこの寝室なのだが──暫し深い眠りに落ちた。
 扉をくぐった後に体調を崩すことは間々あったが、今回はやけに尾を引いた。熱は下がらず、目眩も治まらなければ頭痛も止まない。
 こうして起き上がれるようになったのは、つい三日前のことだった。

「何をそんなに急いでいるのかな」

 後ろから回された腕が、ぐうっと腹を引き寄せる。足と尻をずるずると引きずって、そのまま氷雨の胸に背中を預ける姿勢へ。
 仕上げに頭の上に顎を乗せられてしまえば、もうアリスに逃げる術は無い。投げ出された手のひらをやわやわと握られながら、アリスは身動ぎした。

「ここにいておくれ。アリス」
「……できません」
「今までの世界でも、そうやってにべもなく断ってきたのかい」

 こくりと頷けば、ずしりと頭が重たくなる。機嫌が良いのか、頭のてっぺんに頬擦りをされた。

「それが良いよ。少しでも迷えば、どこかに捕らわれていたはずさ」
「今みたいにですか」
「くく、そうだね。ごらんよ」

 つと、尖った爪が庭を指さす。

「ここは年中、雨ばかりなんだよ。それも土砂降りのね」
「……? 私が来てから、ずっと晴れていたと思います」
「そうだよ。君が来てからはね」

 ちちち、と飛び立つ小鳥を目で追えば、庭を指さしていた手がおもむろにアリスの顎を撫でた。
 飼い猫をあやすような触り方に、アリスがもぞもぞと足先を縮めたときだった。

「君は世界に光を呼ぶから。例えどんなに荒れた大地でも、花を芽吹かせる春風そのものだよ」

 どこからともなく落ちてきた薄桃色の花びらが、アリスの頬に着地する。
 それをそうっと摘んだ氷雨の横顔は、あまり楽しげではなかった。

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