扉を壊して、閉じ込めて
「氷雨様」

 静かに襖を閉めた氷雨は、すり足で寄ってきては素早く膝をついた臣下を一瞥し、「何だ」と低く応じた。

「水鏡が像を結びました。恐らく氷雨様が捜しておられたものかと存じます」
「そうか」

 報告を受けた氷雨は使用人が差し出した羽織を肩に掛けると、アリスの警護を申し付けるや否や大股に歩みを進める。
 目指すは屋敷の最奥。朱色の列柱が連なる大広間に安置された、古びた水鏡だ。
 それは一見して水を溜めた壺でしかないが、氷雨が長年掛けて探し求め、半年ほど前ようやく手に入れた神器である。ここに血を垂らすことで、所有者の望むものを写し出し、呼び寄せる(・・・・・)ことができると言われていた。
 氷雨は淡く光る水鏡を覗き込み、はっと鼻を鳴らす。


「これが……あの子を連れ去った扉か」


 水鏡に写ったのは、両開きの扉だった。
 ここら一帯では見ない形だが、それだけだ。扉自体は何の変哲もない造りで、例えこれが庭先にぽつんと現れたとしても、幼い子供であれば疑いもせず触れてしまうだろう。
 疑う心を不思議と失わせる佇まいは、ここ十数年ずっと氷雨が感じていた苛立ちを急激に膨れ上がらせた。

「水鏡よ。この忌々しい扉を僕の元へ寄越せ」

 指の腹を短刀で切りつけ、滴る血を水鏡へ飲ませる。
 すると鏡面が波打ち、氷雨の視界がぐにゃりと大きく歪んだ。
 大広間の景色はどこかへと消え、いつの間にか彼の周囲には蔦が生い茂っていた。物言わぬ植物を踏みつけながら、彼は迷いのない足取りで奥へ奥へと進み──扉の前に立つ。


「あの子は……小春(こはる)は生まれたときから僕のものだ。わざわざ異界から巫女を呼ばねば成り立たぬ弱き世界など」


 滅んでしまえ。

 氷雨が煮えたぎる怒りを声に乗せ、腰に佩いた剣を抜き放つ。目にも止まらぬ速さで一閃すると、扉はまるで紙のごとく真っ二つに裂かれた。
 直後、その切り口から怨嗟にも似た悲鳴と怒号が溢れ出したが、氷雨はそれらをも切り伏せる。

「アリス」
「アリス」
「光を、我らの元へ」

 最後の声が紡がれる前に、扉は粉々に崩れ落ち、霧散した。
 氷雨は祝詞の刻まれた剣を下ろし、深い溜息と共に顔を覆う。

「……あの子の記憶を奪っておいて、何が迷い子(アリス)だ」

 そう呟き、踵を返した氷雨はハッと動きを止める。
 枯れた蔦の向こうで、彼女が呆然と立ち尽くしていた。

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