完璧御曹司の溺愛



「ご紹介が遅れてしまいました。お初にお目にかかります。私は、瀬戸家に仕えております、市川と申します」


 市川は、理央に向かって深々と頭を下げた。


 品よく整えられた白髪混じりの頭頂部が見えて、理央は戸惑った。


 60歳を越えた頃の男性に、こんなふうに頭を下げられて挨拶をされた事がなかったし、される日が来るとも思っていなかったから。


「は、初めまして。桜井理央と言います」


 理央のぎこちない挨拶にも、市川はニコニコと笑みを浮かべている。


「旦那様と若様は、理央お嬢様と奥様が新しい家族となられる事を大変心待ちにしておられます。この先は私が、お二方の暮らしを精一杯サポートさせて頂きますので、至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくお願い致します」


 り、理央お嬢様…


 聞き慣れない響きを、頭の中で繰り返しながら、理央は頭を下げた。


「い、いえ、こちらの方こそ、ふつつか者ですがよろしくお願いします」


「市川、その若様っていうの、いい加減やめて欲しいんだけど?」と、悠斗は口を開いた。


「俺が、堅苦しいのは嫌いって市川も知ってるよね?」


「格式に捕らわれるのを嫌う若様のお気持ちは分かっておりますが、私は今の旦那様が若様だった頃からそうお呼びして参りました。長年、敬意を込め慣れ親しんだ呼び名を今になって変えるなど私には出来かねます。老い先短いジイの頼みだと思って目を瞑っては頂けませんでしょうか?」と、市川は目を細めて悠斗を見上げる。


 その瞳が心なしか、涙で潤んで見えるのは気のせいだろうか。


「はぁ、分かったよ…。市川の言う事はある意味、親父よりも絶対だからな…」と、悠斗は諦めたように息を吐いた。


 もしかして悠斗は、市川さんのこの目に弱いのかな…と、理央は心の中でクスリと笑った。


「市川は、もう亡くなっている俺の祖父、親父の父さんの時から仕えている古株だから、実は誰も逆らえないんだよ」と、悠斗は耳打ちしてくれる。


「それに、年のせいか最近妙に涙脆いし。だから、あんまり言うと後味が悪くて…」


 市川は、渋々納得する悠斗を見つめて朗らかに笑うと、自分の懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。


「若様。そろそろお暇致しましょう。あまり遅くなると、奥様と理央お嬢様に失礼ですよ」


  
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