あなたを忘れて生きていた
「よいしょ……」

 フィリアは台車から木の枝を下ろして、炎の中に投げ入れようとした。だが、そこで動きは止まってしまう。
 ゆらゆらと大きく揺れる赤い炎。そして、体を炙る熱。彼女は、釘付けになって動けなくなる。ぱちぱちと爆ぜる音。それから、誰かが。

 誰かが、すすり泣く声や、叫び声。
 誰もそこにいないのに、その声が聞こえる。一体、誰の声だろうか。

(すすり泣いているのは、おばさんたち……そして……)

 誰の声でもない。誰も叫んでいない。炎に向かって叫んでいるのは、自分の脳内にいる自分だ。

 フィリアはびくりと体を強張らせる。切れ切れに声が漏れ、それはどんどん大きくなっていく。

「あ……あ、あ、ああ……あ、あ、あ、あ……」

 高く燃え上がる炎。肌を焼く熱気に晒されながら、フィリアは膝をついた。地面に座り込み、スカートが、足が、靴が汚れるが、そんなことにはお構いなしだ。

 フィリアはしばらく呆然と炎を見ていたが、やがて、再び立ち上がると、炎に向かってふらりと手を伸ばした。いけない。進んでは駄目だ。そう思って後退をする。けれど、すぐにまた炎に向かって歩いてしまう。

 駄目だ。炎に飲み込まれてしまう。いけない。いや、でも。ぐらぐらと体は前後に揺れながら、再び彼女は叫び出す。

「あ、あ、ああ、嫌……嫌、嫌、嫌……いや……いやだぁぁぁぁぁ! お父さんっ、お母さんっ、いや、いや、いやああああ!」

 叫び続けながら何かを探すかのように、熱気に晒された彼女はそのまま炎に飛び込もうとする。その時。

「フィリア!」

 誰かが、フィリアの体を後ろから抱きかかえた。炎から彼女を離すように、ずるずると後ろに彼女を引きずっていく。その手を振り払おうともがくフィリア。

「いやああああ! いや、いや! お父さんっ……やだぁぁぁぁ!!」

「フィリア、落ち着け!」

「燃やさないで、燃やさないで、みんなを燃やさないでっ……返してよぉぉぉぉ!」

「フィリア!」

 彼女を炎から引きはがした人物は、彼女の体の向きを無理矢理変えた。だが、フィリアは暴れる。その人物は、彼女の二の腕を両腕でがっしりと押え、彼女に叫んだ。

「しっかりしろ! あれは違う。君の村の人々は、もう、とっくに埋葬されている!」

「あっ、ああ、あっ、あ……!」

「もう終わったんだ。とっくに終わっているんだ、フィリア!」

「いやだ、いやだ、いやだ……!」

 フィリアは両眼からぼろぼろと涙を零しながら、頭を横に何度も何度も振って暴れた。その体を「彼」は強く抱きしめ、彼女の動きを封じる。

 彼女を引きはがしたのは、なんとアデルバートだった。大きな彼の体に押さえつけられ、フィリアは「いや!」と何度も何度も身を捩ったが、彼も全力で彼女を押さえつけながら叫ぶ。

「終わってるんだ! もう、6年も前に」

「うう、う、ううう……」

「フィリア、助けに行けなくて……ごめん……!」

 ようやく、彼の腕の中のフィリアは少し大人しくなる。だが、次に彼の服の胸元をぎゅっと握りしめ、体を震わせて呻いた。

「うう、う、う、た、すけて……助けて……」

「フィリア」

「助けて……アルベルト……アルベルト……」

「……!」

 彼女のその言葉に、アデルバートはぎゅっと彼女の体を抱きしめた。胸元にすっぽり収まる彼女の体は震え、ただただ泣きじゃくるだけだった。そんな彼女にアデルバートは「大丈夫だ。もう大丈夫だ」と繰り返し、ぽんぽんと背を優しく叩き続けたのだった。
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