あなたを忘れて生きていた

9.思い出③

「どうしたの? アルベルト。元気がないように見えるわ」

「フィリア。ううん、僕、元気だよ……」

 そう答えたアルベルト少年は、見るからに肩を落としていた。フィリアは彼の隣に座って「パン食べる?」と尋ねたが、彼は首を横に振った。

 風が吹いた。さわさわと木々や足元の雑草、周囲の茂みが揺れる。空には雲がぽつぽつと浮かび、ゆっくりと風に押されていく様子が見えた。

 やっぱり、アルベルトは元気がない。フィリアはそう思い、どうしてなのかをもう一度聞こうとした。その時、彼の方から話出す。

「お母さまが亡くなったんだ」

「えっ……」

 予想外の言葉に、フィリアは声を上げて固まった。母親が亡くなった。一体どうして、と聞いていいのか、聞かない方がいいのか。元気を出して、なんて言葉をかけていいのか。そのどれもわからずにフィリアが戸惑っていると、彼は言葉を続ける。

「事故だったんだって。川遊びをしている時に、ボートが転覆して……」

「まあ……」

 フィリアは困惑をした。もし、自分が母親を失ったらどうなるだろう。きっとわんわんと泣き喚くに違いない。けれど、ここにいるアルベルトは、もうその「わんわんと泣く」時期は終えたのだと考えた。だが、わんわんと泣いた後に、自分はどうなってしまうのか。考えたけれど、思いつかずに途方に暮れる。

 悲しそうに俯くアルベルトを慰めたいけれど、その気持ちは傲慢だ。彼女は幼かったが、それだけはわかっていた。彼女に出来ることは、ただ、彼の隣にいることだけだった。

 だって、彼は家を出て森にやって来て、ここにいる。ここにいるということは、彼はフィリアを待っていたのだし。だから、フィリアはうまい言葉は思い浮かばなかったけれど、彼の隣に静かに座って、風に吹かれていた。

「先週、お葬式が行われて、僕も出たんだ。その晩、僕は調子を崩してしまって、暫くは別荘に行った方が良いって言われて……でも、多分それは、お父様が僕を見るとお母様を思い出すからじゃないかって、使用人が言っていた」

 そう言って、再び言葉が途切れる。フィリアはだからといってそこから逃げようとは思わない。それを察したのか、アルベルトは慌てて言葉を付け足す。

「ごめん。こんな話しても、フィリアには面白くもないし……何言っていいかわらかないよな」

「そうよ。面白くもないし、何を言っていいかわからないわ。でもね」

「……?」

「わたし、あなたの隣にいたいの。あなたが別荘に帰ってもいいな、って思うまで、ずっと、わたしここに一緒にいるわ」

「フィリア」

「わたし、他に何も出来ないけど、それだけは出来るから。ねえ、一緒に風に吹かれていましょ」

 アルベルトは「ありがとう」と言って、俯いた。フィリアはそっと彼の背に手を伸ばして、とん、とん、とゆっくり軽く叩いた。村で幼児を寝かせる時にそうやって何度も繰り返し叩いていた。それを突然思い出して、なんだかアルベルトにそうしたかったのだ。何故なのかはわからない。

 静かに瞳を閉じるアルベルト。フィリアは一度始めてしまったそれを止めるわけにいかず、もう一度彼が「ありがとう」と言うまで、案外長い時間繰り返した。
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