あなたを忘れて生きていた

3.惑うフィリア

 フィリアの元に「カトゥール伯爵令息がお呼びです」と呼び出しがかかり、おずおずと足を運ぶ。行けば、先ほどのティールームで彼は待っており、カタリナが「わたしは隣の部屋で待っているわ。終わったら呼んでちょうだい」と言ってその場を去った。
 
「失礼します」

 部屋の中には、カトゥール伯爵子息とフィリアの2人きり。困惑して立ったままでいるフィリアに、彼は立ち上がって向かって来た。

「フィリア。そこに座り給え」

「わたしは使用人ですので、お嬢様やお客様がお座りになる場所には……」

「いいから」

 そう言って強引にアデルバートは椅子――先ほどまでカタリナが座っていた場所だ――に腰かけさせ、自分はその向かいに座った。

「君に会いたかった。ずっと君を探していたんだ」

「そう、なんですか」

「……昔は、そんな言葉遣いではなかった」

 そうは言っても、と困惑するフィリア。自分からすれば、彼は今日初めてあった男性だったし、そもそも「昔」に自分がどんな言葉遣いをしていたかなんて、思い出すことも出来ないのだ。

「昔のことを覚えていないと聞いたが、では、どのあたりから覚えているんだ?」

「……確か……移動をして」

「うん」

「長く、移動をして。アンブロス子爵様の御領地に住んでいた、わたしの……」

 そこでフィリアは口を閉ざす。

「君の?」

「わたしの、親戚……そう。親戚に会いに来たのですが、借金だか何だかのせいで逃げていて。そこで、わたしは頼る相手がいなくなったので、空き家に1人で棲みついて……」

「会いに来た、か……」

 不安そうにアデルバートを見るフィリア。彼は、自分が知らない自分の過去を知っているのだ。そう思うと、なんだか心の奥がぞわぞわとして、喜びよりも恐怖に近い感情が浮かんでくる。

「そうか。では、君は……故郷の村がどこなのかを覚えていないのか」

「故郷の村? それは、どこですか?」

「ユライアという村で、ビッテルの森を越えた場所にある」

「ユライア……」

 その言葉には、なんとなく「聞き覚えがある」とフィリアは思う。だが、それだけだ。そんな彼女の様子をじっと見ていたアデルバートは、苦笑いを浮かべた。

「思い出せないようだな。だが、わたしは君に会えたことだけでも、本当に嬉しいんだ。ずっと君を探していた。まさか、ここまでユライアから離れた場所に君がいるとは思わなくてな……ユライアの村の周辺の集落や大きい町を調べていたが、ちっとも君の足取りはなくて。ユライアに残っている人々に話を聞いても、親戚を頼ったとしか教えてもらえなかった」

「どうしてわたしを探していたんですか?」

 ふわりと湧いた疑問を口にする。すると、彼は真剣な表情で告げた。

「君は、わたしの婚約者だからだよ。本当に……本当に探していたんだ、フィリア」
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