あなたを忘れて生きていた
「んっ……!」

 頭をそっと片手で押えるフィリア。

「どうした」

「いえ、少し……頭が……」

「痛むのか。休ませてもらったらどうだ」

「いえ、その……思い出そうとすると……痛むのです……あと……炎を見ると……」

 アデルバートは眉間にしわを寄せた。それから、彼は「そうか」とだけ告げたかと思えば、フィリアの前で膝をそっと折った。

「君がわたしのことを覚えていなくても、わたしは君の婚約者で、君はわたしの婚約者だ。君が1人になることを防げず、そして、追いかけることすら出来なかったが、こうやって出会えた。だから、わたしは君がこのまま思い出せなくても、君と結婚をしたい」

「そんな……」

 どうしてそこまで自分に拘るのだろうか。自分のことを忘れてしまったような女に、こんなにプレゼントまで贈って。フィリアはどうしてよいかわからずに立ち尽くす。

「!」

 すると、彼はフィリアの手を取ってその甲にキスをした。驚いてフィリアはその手を慌てて引く。

「わ、わたし……」

「思い出さなくてもいい。でも、覚えていて欲しい。わたしは、君を本当に探したんだ。ずっと、ずっと、探していた。もう君を1人にしたくない。君がわたしを思い出さなくても、わたしの隣で君に生きて欲しい」

 穏やかな声。彼はただじっとフィリアを見上げる。彼女は「困ります」と掠れた声を出した。それへ、彼は小さく笑って「困らせてでも、君が欲しい」と応え、それから懐中時計を見る。

「ああ、もう時間がない。フィリア、また来る。君さえ首を縦に振ってくれれば、すぐにアンブロス子爵に君を譲ってもらうように……言葉は少々悪いが、その、解雇してもらって、カトゥール伯爵家に来て貰う手配が出来る。だが……まだ、君はそこまでは望んでくれないんだろうな」

「それは……」

 フィリアは言葉に詰まって、首を横に振った。一体彼は何を言っているんだろう、自分をカトゥール伯爵家に? 使用人として? それとも……。

「このプレゼントだけは、受け取ってくれ。本当はリングを用意したかったんだが、それは君の心が決まってからにしようと思ってな」

 そう言って、彼は無理矢理フィリアの手の中にネックレスを押し込むと、さっさと背を向けて帰って行ってしまった。
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