No YOU No Life
目が覚めたら病院のベッドの上だった。
足は。
動かせない。
がちがちに固定されていた。
「先生呼んでくるね」
偶然その場にいた看護師さんがにこりと微笑み、病室の外に出ていく。
先生の話によると、前十字靭帯断裂と半月板損傷とやらをしているらしい。
靭帯は自然治癒するものではなく、手術が必要との事だった。そして手術の後リハビリをして、元のようにスポーツが出来るようになるには約1年かかるらしい。
検索窓にそのやたら長ったらしい怪我の名前を打ち込むと、バスケ選手やバレー選手がよく経験していることが分かった。
さらにスクロールしていく。
手術で再建しても元の靭帯のような強さには戻らないこと、1度損傷するとまた再発しやすいこと、そして。
20-40%の選手はもう以前のようにはプレーできないこと。
頭が真っ白になった。
今までバスケしかやってこなかった。
中学でも高校でもバスケの強豪チームに入り、大学にはスポーツ推薦で進んで、プロになることしか考えていなかった。
バスケは人生そのものだった。
一分一秒でも長く練習して、上手くならなければならないのに。
しかも中学生から所属できる憧れのバスケチームの入団テストがあと3ヶ月に迫っていた。
はやくても運動できるようになるには7ヶ月かかると言われた。
「もう、無理じゃん」
死にたくなった。
バスケのない人生は生きている意味が無いと思った。
「入団テスト受けれないのは残念だけど、しっかり治してまた頑張ればいいじゃない」
面会に来た母親にそう言われた。
ちがう。そうじゃない。
しっかり治して頑張れば?
この時間にも死にものぐるいで練習してる奴がいて、俺はただベッドの上で何も出来ずにいる。それがたまらなく怖い。
もちろん、今ではわかる。
でも、ただ当時はこの練習ができない時間のせいで、これまで積上げてきた高くて強固な壁がガラガラと一気に崩壊していくような。そんな感覚があった。
俺はバスケを見なくなった。
バスケという単語でさえも耳に入らないように避けるようになった。
手術は無事成功した。
でも、だから何?としか思えなかった。
リハビリも痛みに耐えて動かなければいけない理由が分からず、頭が痛いとかお腹が痛いとか適当な言い訳をして休みがちになった。
病室には他にも1人患者がいた。
ちょうど自分の祖父と同じくらいの年齢で、どうも腰を痛めて入院しているらしかった。
「セセラギさーん体調いかがですかー?」
「腰は痛いけど気分はいいよー。今風邪が流行ってるみたいだからマナさんも気をつけてねー」
こんな調子で看護師と話しているのが聞こえてくる。
蛇足かもしれないが、話しかけられたくなくてカーテンをいつも締め切っていた。
視界にはどこを見ても薄桃色のカーテンのみ。
その区切られた空間の中で今日も明日も生きる意味もなくただ息をしている。
いつこの地獄は終わるのだろうか。
きっと一生終わらないのだろう。
足は。
動かせない。
がちがちに固定されていた。
「先生呼んでくるね」
偶然その場にいた看護師さんがにこりと微笑み、病室の外に出ていく。
先生の話によると、前十字靭帯断裂と半月板損傷とやらをしているらしい。
靭帯は自然治癒するものではなく、手術が必要との事だった。そして手術の後リハビリをして、元のようにスポーツが出来るようになるには約1年かかるらしい。
検索窓にそのやたら長ったらしい怪我の名前を打ち込むと、バスケ選手やバレー選手がよく経験していることが分かった。
さらにスクロールしていく。
手術で再建しても元の靭帯のような強さには戻らないこと、1度損傷するとまた再発しやすいこと、そして。
20-40%の選手はもう以前のようにはプレーできないこと。
頭が真っ白になった。
今までバスケしかやってこなかった。
中学でも高校でもバスケの強豪チームに入り、大学にはスポーツ推薦で進んで、プロになることしか考えていなかった。
バスケは人生そのものだった。
一分一秒でも長く練習して、上手くならなければならないのに。
しかも中学生から所属できる憧れのバスケチームの入団テストがあと3ヶ月に迫っていた。
はやくても運動できるようになるには7ヶ月かかると言われた。
「もう、無理じゃん」
死にたくなった。
バスケのない人生は生きている意味が無いと思った。
「入団テスト受けれないのは残念だけど、しっかり治してまた頑張ればいいじゃない」
面会に来た母親にそう言われた。
ちがう。そうじゃない。
しっかり治して頑張れば?
この時間にも死にものぐるいで練習してる奴がいて、俺はただベッドの上で何も出来ずにいる。それがたまらなく怖い。
もちろん、今ではわかる。
でも、ただ当時はこの練習ができない時間のせいで、これまで積上げてきた高くて強固な壁がガラガラと一気に崩壊していくような。そんな感覚があった。
俺はバスケを見なくなった。
バスケという単語でさえも耳に入らないように避けるようになった。
手術は無事成功した。
でも、だから何?としか思えなかった。
リハビリも痛みに耐えて動かなければいけない理由が分からず、頭が痛いとかお腹が痛いとか適当な言い訳をして休みがちになった。
病室には他にも1人患者がいた。
ちょうど自分の祖父と同じくらいの年齢で、どうも腰を痛めて入院しているらしかった。
「セセラギさーん体調いかがですかー?」
「腰は痛いけど気分はいいよー。今風邪が流行ってるみたいだからマナさんも気をつけてねー」
こんな調子で看護師と話しているのが聞こえてくる。
蛇足かもしれないが、話しかけられたくなくてカーテンをいつも締め切っていた。
視界にはどこを見ても薄桃色のカーテンのみ。
その区切られた空間の中で今日も明日も生きる意味もなくただ息をしている。
いつこの地獄は終わるのだろうか。
きっと一生終わらないのだろう。