鉢かぶり姫〜異形姫は平安貴公子に永遠の契りで溺愛される

恋の行方

 そろそろ夜も更ける頃、湯殿に宰相君が現れた。
 彼は姫に会うなり、
「夜になるのが、こんなに待ち遠しかったことはありません」
 そう言って、彼女を愛しげに見る。

「あなたの臥所(ふしど)はどこですか?」
「湯殿のすぐ隣でございますが」

「誰か他の下人も、同じ所で寝ているのですか?」
「いいえ、誰も。湯殿は、皆様が暮らしていらっしゃる所からは離れておりますし、お屋敷にお勤めの方々も、湯殿近くには住まわれておりません」

 宰相君は内心、(それは都合がいいな!)と喜んだが、顔には出さず姫に囁いた。
「今からそこに案内(あない)して下さいませんか?」

「今からでございますか?」
「今すぐあなたを抱きたい」

 宰相君の直截(ストレート)な言葉を聞いて、姫の全身はわなわなと震える。

「どうなされた?(おこり)が起きたかのように震えて。どこか具合が悪いのですか?」
「いいえ!」
「まさか、寒いわけではないですよね」
「はい!」

(なぜ私は、こんなに震えているのだろう?
 宰相君さまから、こんなに求められている嬉しさや喜びといった感情が、体内から外にあふれ出てきたのかもしれない。それが私の体を慄か(おののか)せているのだ。きっとそう)

 ふたりは、湯殿の脇にある粗末な建物に入った。姫の臥所(部屋)である。
 几帳などもない、下々(しもじも)と同じような暮らしをするのは姫は初めてであったが、早朝から夜中まで働いているのだから、この部屋で過ごす時間は少ない。粗末な部屋も気にならなかった。

 宰相君は、ぐるりとあたりを見回して、
(これでは一日の疲れも取れぬな)
 姫を可哀想に思って、胸が痛くなる。

(早くこの方を妻として引き取りたい)
 しかし、昨日の今日である。

 結局、姫には歌を贈っていないし、姫も拒みはしないが、内心はどうなのかよくわからない。

(もう少し、この方の気持ちがほぐれるまで熱心に通って、私の真心を伝え続けるしかないな)

 宰相君は、無言で姫をそっと寝床に押し倒す。
「宰相さま!」
 不意をつかれて、喘ぐような悲鳴を上げた姫の目の前を、どこからか水を求めて来たらしい蛍が横切る。

 微かに明滅する小さな灯りを見た宰相君が、
「私たちのことが気になって、蛍が覗きに来たようだ」
 戯言(ざれごと)を言って微笑(わら)う。

 実際は、ふたりの恋の行方が気になっていたのは、蛍などではない、屋敷の人たちであった。



【註】
 瘧)熱病
 臥所)寝る場所
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