鉢かぶり姫〜異形姫は平安貴公子に永遠の契りで溺愛される

駆け落ち前夜

 酒宴を終えた宰相君は、大急ぎで姫の元へ急ぐ。
「宰相さま?」
 真っ暗な屋敷内、後ろから声をかけてきたのは明石であった。

「明石か、今何時(なんどき)か?」
「月の高さから言って、亥の刻はとうに過ぎていると思いますが」

 遅くなった。姫は心細い思いで待っているだろう。
 行きかけて、宰相君はふと思い立ち、明石に礼を述べた。

「明石、お前はいい奴だな」
「は? 急になんでございますか?」
「いや、なんでもない。世話になった」


 宰相君の “別れの言葉(世話になった)” は、明石には聞こえていなかった。

(鉢かぶりどのの所へ行かれるのだな。しかし、明日はどうされるおつもりか)
 何か自分に出来ることはないか、密かに心配している明石である。

 一方、姫は涙にくれながら、ぼんやりと月を眺めていた。
(今宵は、もうお越しになられないのだろうか)
 諦めかけた時、がたがたと臥所(部屋)の戸を叩く音がする。

「遅くなりました」
「宰相さま!」
 立ち上がり、引き戸を開けた姫は、そのまま宰相君の胸に飛び込んだ。

「姫! どうされました?」
「いいえ、なんでもありません」

(嬉しさで思わず抱きついてしまうなんて、恥ずかしい!)
 慌てて離れようとした姫を、宰相君は離すまいと抱きしめる。
 そのまま、粗末な寝具にふたりは倒れ込む。

『今日が最後』と決めている姫は、驚くほど積極的に宰相君の愛を受けることに余念がない。
(どうしたのだろう)
 宰相君は(いぶか)しんだ。それほど、姫は貪欲に彼を求めてくる。

 ふたりの思惑は微妙にすれ違いながらも、同じことを考えていた。
『明日朝には、ふたりで屋敷を出る』
『明日朝には、ここからお(いとま)しよう』

 空が白み始める頃、疲れて眠っている宰相君の寝顔を、じっと姫は見つめる。
(さようなら、宰相さま。こんな私のことを “愛しい、美しい” と言って下さった方。どうぞお幸せに)

 そろそろと姫は立ち上がった。
 そのとき、宰相君の手が伸び、姫の手を掴んだ。
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