鉢かぶり姫〜異形姫は平安貴公子に永遠の契りで溺愛される

姫は父君を拒絶した

「お父さま、継母上(ははうえ)継妹(いもうと)を捨てて出て来られたと仰いましたか?!」
 
「そうだ。讒言(ざんげん)で私を惑わせ、そなたを追い出すような真似をした北の方のことを、どうしても許せなくなったのでな。妹姫には申し訳なかったが、あの子もいずれは母親のようになるかと思うと」

 けろりと答える備中守に、先程まで父に再会出来た喜びで泣き笑いしていた姫の顔は、一瞬にして凍りついたようだった。

(姫の母上である最初の妻は、美貌もさりながら、なんと言っても人柄が素晴らしかった。姫もそれを受け継いで、優しく高潔な子であった。それなのに、なぜ姫が私たちを呪っているなどと思い込んでしまったのか)

 備中守が唇を噛み締め、後悔の念に苛まれていると、姫の凛とした声が聞こえてきた。
 
「お父さま、お懐かしいお父さま。もう一度お会いできて、私は嬉しゅうございます。ですが、今日を限りにお会いすることはないでしょう」

「ええっ!」
 思いがけない姫の言葉に、備中守は飛び上がらんばかりに驚いた。

 もちろん、姫に再会出来たからといって、姫の御座所(ござしょ)に転がり込んだりするつもりはなかった。だが、せめて近くに住んで、たまに会うことが出来たら良いと思ったのだが、それは甘えた願望であったか?

「どうぞ、今すぐ交野にお帰り下さいませ。お父さまの御座所は交野の屋敷、ご家族は継母上と継妹なのですから」
 きっぱりと言うと、姫はぷいと横を向いて立ち上がった。

 娘の突然の変化に、備中守は戸惑い狼狽え(うろたえ)つつ尋ねた。
「私に交野に帰れと?」

 姫は振り返り頷くと、観音様がおわす御堂のほうへ去って行ってしまった。
 しばし、姫の後ろ姿を見送っていた備中守は、がっくりとしたように俯いて、呆然となった。

 日も暮れて、初瀬の里に宵闇がそろそろと忍び寄る時刻になっても、備中守はずっと同じ姿勢で、観音様のおわす御堂の前で座ったままだった。

(今日ここで姫と再会出来たのは、観音様のお導きであり、信じられない幸福である。それだけで十分ではないか……)

 ようやく、自分の気持ちに折り合いをつけた備中守が立ち去ろうとした時、
「もし、備中守さま」
 と、声を掛けて来た人がいた。



【註】
 御座所)身分の高い人の住居や滞在先
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