数年振りに再会した幼馴染のお兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなくなった日


「伊織、アホ爽太!ごめんねーこんな遠くまで」
「瀬奈お姉ちゃん!」
「誰がアホじゃ!!忙しいのに来てやったんだぞ」

瀬奈お姉ちゃんの温かい歓迎を受けて、私たちはピカピカの新築のリビングに腰を下ろした。

瀬奈お姉ちゃんは私と違って着飾らない。今日もTシャツとジーパンといったシンプルな服装だけど、顔が美人だからむしろとてもスタイリッシュに見える。可愛い服にこだわり抜いて、自分に合うお化粧品を買い揃えても、すっぴんの瀬奈お姉ちゃんの足元にも及ばない。そんなお姉ちゃんの腕に抱かれた生後3ヶ月の桃ちゃんも、ママに似て目がくりくりと大きく可愛らしい。私もさわ兄も一瞬で虜になった。

さわ兄は桃ちゃんにいないいないばあをするかたわら、リビングを隅から隅まで眺めては、少しでも気になった物を見つけると話のネタにしていじり倒し、瀬奈お姉ちゃんにパンチされていた。それを見て笑う私。旦那さんも登場して、挨拶して、みんなで写真を撮った。

やっぱり、昔からなにひとつ変わらない。居心地の良い関係性。さわ兄のおかげで、ちゃんと笑えた。失恋直後でも、幸せそうな瀬奈お姉ちゃんを心からお祝い出来た。でもさっきのあれは少しだけびっくりした。さわ兄が私の容姿について何か言うなんて事、今まで一度も無かったから。あんな風に真面目に慰めてくれるなら、私もさわ兄の失恋を茶化すんじゃなかった。喜びよりも、申し訳なさが勝つ。私もちゃんと言えばよかった。さわ兄の良さが分からない、彼女の方が気の毒だよ、って。

夕方になり、そろそろ帰ろうかと思ったら瀬奈お姉ちゃんは缶のお酒をテーブルに並べだした。

「良かったら飲んでいきなよ。伊織が大人になってから会うの初めてだし。伊織の就職祝い」
「えっ、今から?桃ちゃんのお世話とか色々あるんじゃない……?」
「いいのいいの!今日は旦那がやるから。ねっ、悠斗!いいよね!?」
「もちろん。せっかくですから、今日はゆっくりしていってください」

優しく微笑む旦那さんに、さわ兄はいぶかしむ。

「瀬奈ほんと人使い荒いよなぁ。どうせ今日は、じゃなくて今日も、だろ」
「お前だけ帰るか?」
「嫌だ。俺も飲む。旦那さんどうもです」

拳を作って凄む瀬奈お姉ちゃんを無視して、さわ兄もビールを手に取った。

***

「伊織たち何時まで大丈夫なの?爽太寝てるけど」

乾杯から数時間が経った。瀬奈お姉ちゃんは、先に寝室へ行った旦那さんと赤ちゃんの様子を見に行った後、テーブルの空き缶やおつまみの袋をキッチンへ下げながら聞いてきた。さわ兄は、ソファに寄りかかってすっかり潰れている。

「あー……まだ大丈夫じゃないかな?よく分からないけど、ダメならさわ兄も帰ろうって言うだろうし……」

私は一緒に片付けながら、時計を見た。帰りの事はあまり考えていなかった。明日も休みだし、またさわ兄が送ってくれるって言ってたから。

「そう?でももうコイツ起きないし邪魔だよ。飲みすぎだっての。伊織にはいて欲しいけど。もう少し話聞くよ?」
「ありがとう、凄く元気出たよ。だけど桃ちゃんも寝てるし、そろそろ帰るね。おーいさわ兄、帰るよー」

ゆさゆさとさわ兄を揺するが反応が無い。そんなんじゃ起きないよ、と、瀬奈お姉ちゃんが思い切り頭をはたき、ようやくさわ兄は目を開けた。私にとってさわ兄は優しいお兄ちゃんだけど、瀬奈お姉ちゃんにとっては世話の焼ける弟なのだろう。

「いてぇ……ほんと、俺の扱い酷すぎ……」
「寝るならはよ帰れ!明日も仕事だろ!」
「クソ上司から連休もぎ取ったもん……」
「さわ兄、ご迷惑だから帰ろうね」

私はさわ兄の背中をぽんぽんと叩いて帰るように言った。ふらつくさわ兄と玄関に向かう。瀬奈お姉ちゃんは最後に少し照れながら、「嬉しかったよ。2人とも……本当にありがとね」と言って見送ってくれた。

春の夜風は温かく、いい気持ち。お酒で火照った頬を冷ますにはちょうど良い。駅までの道のりを、さわ兄とゆっくり歩く。

「あー、ちょっと酔い醒めた。楽しかったな」
「うん。今日は瀬奈お姉ちゃんが主役なのに、結局私が一番話聞いて貰っちゃった」

年上2人に甘えて、会社の愚痴や悩み事をたくさん話した。本当は恋愛なんてしてる暇もない程、私の毎日は仕事を覚えるので精一杯なのだ。

「そうだなぁ。俺お前んとこの会社も配達地域に入ってるから、たまに顔出して様子見るわ」
「えっ、そうなの!」
「うん。伊織がお局にいびられてたら文句言ってやる」
「それは頼もしいな。週明け、会社で配送が必要そうなもの片っ端から集荷依頼してみよ」

笑いながら駅へ向かう。

「そうだよ、俺は伊織の味方だからな」

さわ兄はふと立ち止まり、私の頭に手を伸ばした。

「学生の時はあんま構ってやれなかったけど、これからは俺がいると思え。何かあったら頼れよ」
「……うん。ありがと」

また大きな手にわしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。瀬奈お姉ちゃんの前では甘えを見せるさわ兄だけど、私の前ではいつもこうしてお兄ちゃんぶる。正直私の方がしっかりしているのでは?と思う時があるから、実際に頼る事は無いと思うけど、私はさわ兄がそう言ってくれる事が嬉しかった。

暗く静かだった道が駅に近づくにつれ、徐々に明るくなる。

「伊織、乗り換え検索出来る?」
「出来ない。見ても何がなんだか全然分からない」
「……よし、今度は最初から駅員さんに聞くか……」
「さわ兄、"ひぐれざと"って言わないでね!"にっぽり"で乗り換えたいって言ってね!」
「わ、分かってるよ!てか言う必要無いだろ!」

ごくりと息を飲んで、さわ兄は駅員さんに声をかけた。しかし……

「えぇ!?そこ行きたいんだったらもう30分早く乗らなきゃ!もう電車無いよ」

駅員さんは私たちの家の最寄り駅を聞くなり、目を丸くさせた。私たちもまさかの返答に、顔を見合わせる。

「え、本当ですか!?嘘、どうしよう、本当に!?ていうか電車って24時間営業じゃないんですか!?」
「何言ってるのお嬢ちゃん!?」
「お、おい……あ、いやこの子、先月こっちに来たんでまだ何も知らなくて……すみません。ありがとうございます」

え、何?私変な事言った?二人の苦笑いに、首から上がカーっと熱くなった。

「伊織ごめん。俺がちゃんと時間見とけば良かった……」
「い、いや!さわ兄もまさか私が終電の概念も知らないなんて思わないよね!ごめんね」

とぼとぼと駅を後にして、途方に暮れる。だから瀬奈お姉ちゃん、時間気にしてくれてたんだ……門限なんてもう無いのに、変だなと思ったんだよね。

「恥を忍んで瀬奈に電話しよう。土下座して泊めて貰おう」

そう言って電話をかけるが、さわ兄の通話は一向に始まらない。

「も、もう寝てるのかな?」
「……みたいだな」

パタンと携帯をたたむ無慈悲な音が闇に響く。私たちは、無言で立ち尽くした。どうしよう、最悪かもしれない。そうか、終電かぁ……確かにドラマで聞いた事あるな。ドラマでは、確か……

「タクシー乗る?」
「いや、時間もかかるし物凄い金額になるぞ。仕方ない、どこか泊まろう」

明日休みでマジで良かった、とさわ兄は呟きながら携帯を操作し始めた。私はまだタクシー料金の相場も分からない。地元での移動はもっぱら、親の車か自転車だった。

「あ、あそこ、ホテルっぽいのあるよ!もうあそこにしよう」

ならばと私は通りの向かいに見える、煌々と輝くネオンを指差した。

「お前見つけるの早………えっ」
「ね?別にどこでもいいでしょ?」

良かった、早くベッドにダイブしたい。今日は大冒険からのどんちゃん騒ぎで、くたくた。さわ兄もそうでしょ?と思うのに、なぜかさわ兄は足を踏み出さない。

「いや、でも……」
「大丈夫だよ、出ないって!なんか少し古そうだけど」

さわ兄ってば、幽霊でも心配してるの?ほんと子供なんだから。

「……お前知らないの?嘘だろ?」
「何が?有名な心霊ホテルなの?」
「いや……あー、もう他も無さそうだし、行くか……」
「さわ兄?」

さわ兄は少し表情を曇らせるが、覚悟を決めたかのようにホテルに向かって歩き出した。急に黙り込む彼に、不安になる。私、また何か変な事言って怒らせたのかな。

***

フロントの時点で私は何かに気付いてしまい、冷や汗を流した。こんなにラグジュアリーな部屋、どう見ても、高校の時に部活の遠征で泊まったようなビジネスホテルではない。数分前の自分を殴りたい。世間を知らないにも、程がある。なるほどね。ここがあのラブホテルって所か。さわ兄、言ってよ。

けれど、もう本当に体力は限界だった。眠くて仕方ない。今から別のところに行こうと提案する気力も無かった。まぁ、いいか……別にそういう所だからといって、しなければいけない訳ではないのだ。あの時と一緒。実家で遅くまでトランプした夜に瀬奈お姉ちゃんと3人で雑魚寝した、小学生の時と。

なぜかこの場所について一切触れないさわ兄に促され、お言葉に甘えて先にシャワーを浴びて眠る支度をする。

「さわ兄、私もう寝てるかも。ごめんね代金払ってもらっちゃって。おやすみなさい」
「う、うん。おやすみ」

生き返るようなお湯の温かさとタオル地のふわふわなバスローブに、もう眠気は限界だった。交代するようにさわ兄がバスルームに消えて行くのを見届けた後、派手な模様のベッドの端っこに倒れる。

しかし、すぐには眠らなかった。どんなに疲れていても指が勝手に動く。布団も被らず、カチカチと携帯をいじる。 センター問い合わせをする癖が抜けない。もう返事は来ないというのに。

電車の中で届いたメールに、私は「彼女さんと楽しんできてください。それではまた会社で」と返信して終わらせた。それなのに、着信音が鳴るのをどこかで待っていた。

「田嶋さん……」

たった十数通の恋だったのに、未練というものは時間に関係ないようだ。田嶋さんから届いたメールを何度も読み返している内に、涙が枕に向かって垂直に流れ出す。田嶋さんは不安な会社員生活の癒しだった。何も分からないまま、このまま永遠に期待していたかった。

私の方がもっと早く出会っていたら、私と付き合ってくれたかな。いつもそうだ。アタック出来たと思ったら、好きな人にはすでに相手がいた。いつだって遅い。私が一番最初に出会える素敵な人って、いないのかな………

さわ兄がシャワーを浴びる音がわずかに聞こえる部屋でそんな事をぼんやりと考えている内に、少しずつ意識が途切れていった。



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