数年振りに再会した幼馴染のお兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなくなった日
「寝たんじゃなかったの?」
背後から聞こえるさわ兄の声で目を開けた。 寝てたと思うけど……? と思ったけど、私の手に力なく握られた携帯は受信メールの画面がついたままになっている。メルマガとか単なる知り合いから届いたメールが全て入っている受信BOXじゃなくて、彼一人だけのために作ったフォルダに並ぶ、ほんの少しのメール一覧が。 そうか、この光を見て、起きていたと思われたんだ。
さわ兄は私がいるベッドの上に来た。 ギシ、という音と共に私の体は少しだけ揺られる。 私は眠くてさわ兄の方に振り返る力も無いが、真後ろに来て座ったのが分かる。 しばらくして、「ああ、田嶋?」と言った。 覗かれたらしい。
「…… うん」
「まだ落ち込んでるのかよ?さっき俺と瀬奈でいっぱい慰めただろ」
「当たり前じゃん、今日だよ、失恋したの……」
せっかく眠れていたのに、どうして起こすの。 現実に引き戻さないでよ。
結局私は飲みの時、瀬奈お姉ちゃんにも失恋した話を聞いてもらった。 そこで一応は吹っ切れたという事にして明るく振舞っていたのだけれど、そんな訳ないよね。
「来週から仕事行く楽しみが無くなるなぁ…… あはは、何しに会社行ってるんだよって感じだけ……」
また涙が溢れそうになった時、ぽんと頭に手が置かれた。 ふわりと石鹸の匂いがする。
「まだこれからだろ?仕事も恋愛も。伊織と今日会った時、凄い可愛くなったなと思ってたよ。顔つきもしっかりしてきた。あんな田舎から一人で来て、よく頑張ってるよ」
あ……また、可愛いって。3人で飲んでいた時は、もっと笑ってふざけながら「上司も男も殴っちまえ!」としか言わなかったのに。
「そうかな……」
「そうだ、びっくりしたんだぞ?あれだ、8チャンネルの朝の天気予報やってる髪長い人に似てると思った……」
「茜アナ? あはっ、ないない」
私が女子アナに似てるって? 少しだけ噴き出してしまう。さわ兄、何言ってるの。場を和ます冗談かと思ったが、頭を優しく撫でる手は止まらない。
「本気だよ。昔から伊織は可愛いから心配だったんだぞ? 今まで変な男に引っかからなくて良かったというか、今回も正直ホッと、いや、なんというか……」
「あはは、保護者みたいな事言うね?」
「…… とにかく、自信失くすなよ。それに伊織の魅力なんて、たくさんあるんだ。この俺が保証するから」
さわ兄…… 昔からそばにいたさわ兄の言葉ほど、信頼出来るものは無い。 精一杯の励ましが、胸に響く。私はその勢いのまま、田嶋さんのメールをフォルダごと削除した。後悔は…するかもしれないけれど、このまま残していてもまた涙を流すだけだろう。
「…… ありがとう」
「おう。じゃあ、おやす……」
離れようとした手を、私はそっと掴む。
「待って。私も」
「?」
私もたまには……真剣に伝えなければいけない。
「今日さ、電車の中で、さわ兄の失恋を笑っちゃったけど…… 私も同じ事思ってるよ。さわ兄のいい所は、私が誰よりも分かってると思う。真面目で頑張り屋さんなのに、そんな風に見えないような振舞いをする所とか。さわ兄の魅力が分からない女の人の方が、気の毒だなって」
「…………」
さわ兄の手がピクリと動く。
そして、さわ兄に背を向けたまま、半笑いで続ける。さすがに面と向かっては恥ずかしいから、寝っ転がったまま、言わせてね。
「あとね、さわ兄は…… かっこいいよ。私には言ってないけど、本当はモテるんでしょ?だからなんで今彼女いないのか不思議だよ。あはは、なんてねっ。私が言うとなんだか気持ち悪いね…」
「っ、伊織」
「ん?」
さわ兄の少し切羽詰まったような声に、思わず照れ笑いのまま振り返った私は、そのまま固まってしまった。さわ兄が、鼻が触れそうな程至近距離にいる。彼は私の頬に手を添えて、さらに顔を近付けた。