数年振りに再会した幼馴染のお兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなくなった日
「えっ、さわ……」
この瞬間までは、本気で兄だと思っていた。 だけど今、言葉が続かない。 今の彼の顔はどう見ても、兄の顔では無かった。
驚きのあまり一瞬硬直する私に、さわ兄は唇を押し付けた。状況が飲み込めないまま彼の肩を遠ざけようと腕を伸ばすが、両手首をシーツに押さえつけられる。今まで跳ねた事など無かった心臓が、突然暴れ出す。腕相撲なら勝った事もあったはずなのに、今のさわ兄はどれだけ力を入れてもびくともしない。さわ兄どうしたの、どうしたの……!!
必死で顔を背けて抵抗をするが、彼は逃げることを許さないように追いかけてくる。私の唇を何度も食み、口をこじ開けようとする。その勢いに負けて開いてしまった隙間に、さわ兄の舌が入り込んできた。
「っや、ん」
私が逃れようとする動きに合わせて、さわ兄はわざと音を立てて吸い付く。舌が絡む恥ずかしい水音が部屋に響き渡り、さらに顔が熱くなっていく。パニックで頭が真っ白になる中、やっと唇が離された時、私はもう息も絶え絶えだった。
「はあ、はぁ……さ、さわ兄、酔ってる?私だよ?」
酔っていて欲しい。間違いだと言ってくれたら、今のことは忘れるから。
目を合わせるのが怖かった。 それでも戸惑いの目を彼に向けると、彼は悲痛な表情で真っ直ぐ私を見ていた。
「分かってるわ…… ごめん、もう無理だ。 伊織にそんな事言われたら…… 戻れない」
歯を食いしばり、何かに耐えるような顔に、これまでの関係の終わりを予感する。
「だ、だめだよ!!だって私たち……」
「私たちがなに?」
いつものさわ兄に戻ってほしくて説得を試みるが、怒っているかのような低い声で返されて少しだけ委縮する。
「私たち、えっと、昔から知ってる…… 兄妹みたいなものだし」
「……あのな?伊織。俺たちはどれだけ兄妹みたいでも、家族じゃないんだよ」
そして、さわ兄は私の乱れたバスローブの紐をするりと解いた。
「や、やだ……さわ兄、目を覚ましてよ。後悔するよ!」
「お前こそ、いい加減に気付けよ」
「……え?」
「俺はずっと好きだった。こんなに綺麗になったお前とこんな場所に来て、我慢出来る訳ないだろ」
いつも冗談しか言った事のないさわ兄の口から出たあまりにも衝撃的な言葉に、露わになってしまった前を隠す事も忘れて私は目をまんまるにさせる。信じられない。私はずっと、お兄ちゃんとして慕っていたから。
「伊織はいつも、どんな俺も受け入れてくれて……でも今まで言えなかった。他の人と付き合ってみたけど、別れる度に伊織を思い出していた。お願いだ、お兄ちゃんじゃなくて……男として見てくれないか」
手が肌に触れて、思わず拒むように掴む。嫌というよりかは、心がついていけない。
「なぁ、伊織。本当に、俺は兄か?今まで一度も男だと思った事ないのか?」
「……」
「本当に、田嶋がいいのか?」
「私は……」
私は、田嶋さんのすっとした鼻が好きだ。付け根の辺りが程よくくぼんだ綺麗な形が。もちろんそれだけじゃなくて、仕事に真面目な所も好きだし……
だけど、そんな田嶋さんの魅力を並べていて気が付いてしまった。今目の前にいるさわ兄の鼻も、彼のように綺麗にまっすぐ伸びている。さわ兄は私の前では頼りない人に見えるけど、メールで送ってくる業績評価はいつだって中途半端なものではなく、自慢したくなる気持ちが分かる程の結果を残していた。さわ兄は、田嶋さんに似ている。
答えられずに黙って見つめ合っていると、私の頭の中にさわ兄との思い出が蘇る。私が常に好きな人を作っていたのは、さわ兄がモテると知った頃からだ。それなのに周りの女の子たちがさわ兄に黄色い声援を上げていたサッカーの試合、さわ兄が真っ先に私を見つけて手を振ってくれたあの時、嬉しくてたまらなかったのは、どうしてだろう。
ようやく分かる。さわ兄が田嶋さんに似ているんじゃない。田嶋さんがさわ兄に似ていたから、無意識に惹かれたんだ。
ダメだと思っていた。家族のような人だからって。知らない内に作っていた私だけのルール。私もさわ兄が好きだったんだ。気付かない程、ずっと前から。
ふっと力を抜いた時、また少し顔を近付けられる。もうよける事は出来ない。わずかにうなずく私に、彼の迷いも無くなる。
「……いいのね?戻れないよ」
「戻るもんか。伊織、好きだ」
目を瞑る。今度は私も、彼の背中に手を回した。
***
「……夢だけど、夢じゃなかった…………」
日当たりの良い部屋らしい。カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた私はさわ兄の腕の中で、眠る彼を横目に有名なセリフを小さく口にした。確かあの映画も昔、一緒に見たような。あの時の少年がなぜ今、ここで裸になっているんだろう。未だに頭はぼんやりとしていて、この状況が過去と結びつかない。
ゆうべ私は自分の気持ちを自覚して彼を受け入れたが、さすがにバスローブの中に手が滑り込んできた時は我に返った。恥ずかしさに耐え切れず、「やっぱり待って」と言ってしまった。けれど、さわ兄はやめなかった。隠そうとする私の腕を優しく掴み、「可愛いよ、大丈夫」と言ってくれた。
思い出せば出す程、胸の鼓動は早くなる。けれど振り返る事をやめられない。ごろんと彼の方に寝返りを打って、たくましい腕にそっと手を添える。さわ兄は私の胸を優しく揉みながら「爽太って呼んで」って言ってきたけど、出来なかった。無理って笑ってしまうと、むっとした彼に突然胸に吸い付かれた。それからは止まらなくなり、もう私が笑っていられなくなる程、体中に手や舌を這わせた。何かがこみ上げる感覚に我慢出来なくて、最後は大きな声を出して初めての絶頂を経験してしまった。
さわ兄があんなにいじわるだったなんて。私が息を切らしてもういいと言っているのに、その後も何度かイかされた。でも私が初めてだと知ると、いよいよの時はゆっくり、優しく入れてくれた。私を気遣って、何度も痛くないか聞いてくれた。そして─────────。
さわ兄の胸にすり寄って、顔を隠すように埋める。もぞもぞと動いていると、後頭部に大きな手の温もりを感じた。あ、さわ兄、起きたんだ……
ちょっと待って。まさか「酔った勢い」だなんて言わないよね?一瞬の内に不安に襲われるが、彼は私を見て昔よく見た笑顔になった。
「おはよう。俺の彼女よ」
おどけた言い方にぷっと笑ってしまう。そのひと言で緊張は解ける。昨日までは「妹よ」って言ってたのに。ゆうべの彼は別人かと思っていたけど、どうやら私の知っているさわ兄だったみたいだ。
いや、もう違うね。
「おはよ……爽太」
「え」
「あー、恥ずかしい。さ、もう帰ろっか」
顔を見ずに起き上がる私に、彼はがばっと飛びついた。
「逃がすかっ!」
「きゃっ!」
またベッドに引きずり込まれ、激しくキスをされる。しばらくじゃれつくようにベッドに転がってから、手を繋いでホテルを出た。
電車に揺られて私たちは帰る。一緒に育った地元の山ではなく、東京に。新緑を揺らす爽やかな風に背中を押されて、気が早いけどこんな未来を想像する。今度は瀬奈お姉ちゃんに来て貰いたい、私たちが建てる家に。ていうかまずは報告しないとね。瀬奈お姉ちゃん、どんな反応するだろう。いつもみたいにさわ兄を一回殴って、そしてお祝いしてくれるかな。
「さわに……爽太、どこで乗り換えるか覚えてる?」
「このやろう、何度もいじりやがって……もう間違えねぇよ!にっぽりだろ、にっぽり!!お前も読めなかったくせに」
少しだけ人生を先に歩む爽太のおかげで、田舎娘は今日、一歩大人になれた。これからも私は間違えるだろう。乗り換えも、仕事も、世間のあらゆる常識も。ひとつひとつ失敗しながら、覚えていかなければならない。だけどいいや、楽しそう。この人と一緒に、間違えるのなら。
終わり