オタクな生徒が俺を「柊弥たそ」と呼び、讃え崇めてきます。
「柊弥たそ、お疲れ様でござる!! 本日も尊き柊弥たそを拝顔できること、拙者…この上なく喜びを感じるでござる!」
今日も元気に土下座をしている伊藤さん。
いつもならここで眼鏡を掛けるよう指示をするのだが……。
「伊藤さん。今日は眼鏡しなくて良いよ」
「……ほえ?」
「どうぞ」
「…う、うむ。柊弥たそ…珍しいこともあるでござるな…」
恐る恐る中に入り、いつもの定位置とは違う場所に座った。
「……さて、伊藤さん」
「うむ」
「今日は部活をせずにさ、俺とお話しようよ」
「…なぬっ。話、でごさるか。柊弥たそと一緒に?」
「柊弥たそと言うか、俺とな。俺、大井拓也と」
きょとんとした顔で首を傾げている伊藤さん。
実は、昨日帰ってから考えた。
眼鏡有りの伊藤さんから聞き出せないなら、眼鏡無しの伊藤さんから聞き出すまでだと。
ただ、田所先生から話を聞いただけで、彼女が抱えている傷の大きさは分からない。
傷つけすぎないように、気をつけなければ。
「柊弥たそ」
「ううん、大井拓也」
「……違うでござる」
「違うこと無いよ」
伊藤さんの隣に座り、その顔を覗き込むように見る。
「大井先生って言ってごらん」
「…………」
「言ってごらん?」
「…嫌。拙者を、現実に引き戻さないで欲しいでござる」
そう言いながら鞄から眼鏡を取り出して急いで掛けた。
これも伊藤さんなりの防衛手段なのだろう。
眼鏡を掛けた彼女はスっと真顔になり、いつもの様に窓の外を見た。
「……伊藤さん」
「はい」
「眼鏡、外して。伊藤さんのこと、色々聞きたい」
「……嫌です」
チラッとこちらを見て、また外を向く。
何度も思った。
何だか儚くて、今にも消えてしまいそうな感じ。
もしかしたら隠された本当の伊藤さんが、ご両親のことを思っているから、どこか物憂げなのかもしれない。
「伊藤さん」
「……」
「伊藤さん」
「……嫌だ!!!」
「!!」
椅子から勢い良く立ち上がり、俺を睨むように見る。
そして机を両手でバンッと叩いた。
「何ですか、急に」
そう言って伊藤さんは部室から出て行ってしまった。
「………難しい」
田所先生の言っていた『扱いにくい』って、こういうことかな。
まだ、踏み込むには早かったかと…少し反省をする。
失敗してしまった…。
大きな溜息が漏れて止まらない。
「…今度、謝ろう」
そう思っていたのに。
その日の翌日から、伊藤さんは文芸部に現れなくなった。