オタクな生徒が俺を「柊弥たそ」と呼び、讃え崇めてきます。
眼鏡
翌日、文芸部の部室に行くと、伊藤さんだけが部屋の前で待っていた。
眼鏡を掛けて、窓の外を見ている。
「………伊藤さん?」
名前を呼ぶと、スッとこちらを向いて首を傾げた。
「何で私の名前を知っているのですか」
「…え、何でって…昨日名乗ってくれたじゃない」
「そうでしたっけ?」
眼鏡1つでここまで別人みたいになるのか…。
昨日の何を言っているか分からない伊藤さんとはまるで別人のようだ。
「網本さんは?」
友達の名前を出すと、少し寂しそうに目を伏せた。
「…文芸部、入部するのを止めたらしいです」
「え?」
小さく溜息をついて、伊藤さんは眼鏡を外す。
その瞬間、顔つきが変わり目に力が宿った。
「聞いて、柊弥たそ!!! 凛々子殿、昨日の帰りに運命の出会いをしたでござるよ!!!」
「…運命の出会い?」
「凛々子殿の推し、如月たそが校内を歩いていたでござる!!! その方がボランティア部だと知り…凛々子殿は速攻そちらに寝返ったでござるよ!!!」
………。
なるほど。
最初は執筆がどうこう言って文芸部に入りたがっていたが、こちらも推しに似た人を見つけたのね。
そして、その似た人と同じ部に入ることにしたのね。
なるほど………。
へぇ………。
……………。
凄い。
何を言っているのか全く理解が出来ない。
どういうこと?
「…あ、忘れていたでござる」
「ん?」
唐突にそう呟いて、伊藤さんは俺の前で土下座をした。
「柊弥たそ、本日もお疲れ様でござる!! 本日も尊き柊弥たそを拝顔できること、拙者…この上なく喜びを感じるでござる! 麗しきその姿…それはまるで、華の如く!! 嗚呼…柊弥たそ、柊弥たそ…」
「……………………」
ひぃ……。
最早、声にならない悲鳴。
これ…何?
もしかして俺、崇められている!?
本当に何1つ理解のできない伊藤さんの言動。
少し震える体を全力で抑えながら、精一杯の言葉を捻り出した。
「伊藤さん。……取り敢えず、立とうか。えっと、中に入る?」
「…うむ、お邪魔するでござる」
鍵のかかっている部室を開ける。
「……」
興奮するかのように小刻みにジャンプをしている伊藤さんに、俺は冷静を装いながら一言告げた。
「伊藤さん、お願いがあります。眼鏡を掛けて下さい」
「……え、そんな…。拙者は不満でござるか…?」
「うん、不満というか…恐怖」
えぇ~…と呟きながら、伊藤さんは素直に眼鏡を掛けた。
そんな彼女を、俺は部室へと誘導する。