オタクな生徒が俺を「柊弥たそ」と呼び、讃え崇めてきます。
「網本さん。俺は大井拓也。もう、名乗らないから」
「大井先生ね。覚えました」
俺の後について、網本さんも入って来た。
定位置に向かいながら、この2人について少し考える。
伊藤さんも網本さんも二重人格ではない。
完全に眼鏡1つでコントロールをしているだけ。
これはどういうことなのか、そんなことは分からないけれど。
少なくとも、伊藤さんは『そうしなければならない事情』を抱えている。
網本さんは話を聞く感じ、伊藤さんに付き合っているだけってことかな?
何だか…そんな気がする。
「ほら、伊藤さん。眼鏡を掛けて中に入っておいで」
「うむ」
また大人しくなった伊藤さん。
同じ席に座り、その隣に網本さんも座った。
「小夏。ここで何か活動した?」
「…俳句を少し、かな」
そんな会話を聞きながら、俺はまた『俳句の基礎』を手に取り、伊藤さんに渡す。
「今日も俳句をしようか」
「……はい」
素直にページを捲り、本を眺める。
そのページは季語一覧だった。
「網本さんは、どうする? 一緒に俳句考えてみる?」
「うーん。私、小説を書きたい」
「小説?」
「推しを愛でる小説を書きたいの!」
「……」
「推しを愛でながら小説書けたら最高じゃないですか」
伊藤さんと網本さんの違い、見つけた。
眼鏡を掛けた伊藤さんは、眼鏡無しのオタクな伊藤さんとは完全に切り離されていた。
『私はやりたいことがない』と言っていたのに対し、眼鏡を外すと『推しを愛でる小説』と言った。
一方の網本さんは眼鏡を掛けても外しても同じことを言っている。
……それがどういうことかは、分からないけれど。
「網本さんは文芸部入るわけじゃないし。今日は一緒に俳句をやろうか」
「え~、小説~…」
「仮に今日書き始めたとしても、100%完成しないよ」
「まぁ、そうですね。小夏、私にもその本見せて」
「うん」
2人で季語一覧を見始めた。
…こうしていれば、本当に普通の光景なんだけどなぁ。