氷の王子様は子守り男子

星side ごねる日向

 保育園への道を、大急ぎで歩く。
 実行委員の仕事がここまでかかるなんて、予想外だ。あのタイミングで学校を出なかったら、確実に間に合わなかっただろう。
 坂部には、後でもう一度礼を言っておかないと。
 そう思いながら保育園につくと、残ってる子はほとんどいなかった。
 俺が日向のクラスに入ると、日向がすぐに気づいて駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん!」
「遅くなってごめんな。寂しくなかったか」

 思いっきり頭を撫でると、日向はくすぐったそうに笑う。
 ああ、やっぱり日向は天使だわ。実行委員の作業でイライラした分、この笑顔で癒されよう。

「たっくんと一緒に遊んでたの。ねえ、たっくん!」

 日向はそう言って、近くにいたたっくんを引っ張ってくる。
 この二人、ほんと仲良いな。

「日向ちゃんのお兄ちゃん、こんにちは」
「よう。お前も、お迎えまだなのか?」

 今部屋に残っているのは、この二人だけ。
 迎えの時間はもうすぐ終わるのに、まだ来てないのか。

「今日は坂部、えっと……お前のお姉ちゃんが迎えに来るんじゃないんだよな」
「うん。今日はママ!」

 坂部も、今日迎えがあるとは言ってなかったし、そうなるよな。
 ここで俺が日向を連れて帰ったら、一人で残ることになるわけか。

「迎えが来るまで、一緒に遊ぶか?」
「うん!」

 俺が提案すると、嬉しそうに声をあげる。
 やっぱり、こんな時間まで迎えが来ないってのは、不安だったのかもな。

「日向も、それでいいよな?」
「うん!」

 俺が遅刻せずにここに来れたのは坂部のおかげだから、これくらいのことはしてやりたい。
 けどそこで、部屋の入り口の方から、大きな声が聞こえてきた。

「セーフ! なんとかギリギリ間に合ったーっ!」

 そう言ったのは、スーツを着た若い女の人。
 その人はホッと息をつくと、俺のそばにいたたっくんを抱え上げた。

「お待たせ巧! 今日も一日いい子にしてた?」
「うん!」

 そうだ。この人が、たっくんの母親だったな。前に一度声をかけられ、少し話をしたことがある。
 ってことは、つまり……

「あの、坂部の姉さんですよね」
「えっ? ああ、知世のこと。そうだよ。そういうあなたは、知世のクラスメイトなのよね?」
 吉野、俺のこと話してたのか。まあ、今はそれはどうでもいい。
 それよりもだ。

「坂部のことですけど……」

 坂部に実行委員の仕事の残りを押し付けたこと。そのおかげで、遅刻せずここに来れたこと。一応この人にも話しておこう。

「へぇ。知世、そんなことしたんだ」
「迷惑かけてすみません」
「いいのよ。なんて私が言うのも変だけどね。けど、知世から言い出したことなんでしょ。だったら、頼っていいんじゃない?」

 そういうもんなのだろうか。

「あなただって、毎日日向ちゃんの迎えに来てるんでしょ。それよりもっと遊びたいとか、思わないの?」
「思いません」
「でしょ。まずは日向ちゃん優先。知世だって、きっとそうしたかったのよ」
「そうですか?」

 坂部が何を考えていたかなんてわからない。 けど確かに、あいつは俺と同類の匂いがするから、その通りなのかもしれない。

「まあ、私はそれに甘えてばっかりだけどね。明日は、そのお礼をするつもりよ」
「お礼?」
「そう。ここからちょっと離れたところに、遊園地があるでしょ。明日、巧や旦那と一緒にそこに行く予定なんだけど、それに知世も誘ったの。ね、巧」
「うん。パパとママと知世お姉ちゃんと一緒に、遊園地に行くの!」

 たっくんは、今から楽しみで仕方ないんだろう。遊園地って言葉が出たとたん、飛び跳ねて喜んでいた。

「そうか。よかったな」
「うん! 遊園地! 遊園地ーっ!」

 今からこんなにはしゃいでいるんだから、実際に行ったらどうなるんだろう。
 たが、呑気にそんなことを思っていると、日向がクイクイと俺の服の裾を引っ張った。

「どうした、日向?」
「お兄ちゃん、私も遊園地いきたい! 連れてって!」
「えっ?」

 無邪気に目をキラキラさせながらお願いする日向。
 今の話を聞いて、自分も行きたくなったんだろうな。
 けど、これはまずい。話に出た遊園地には、電車を乗り継げば行ける。
 けど小さい日向は、長い時間電車で移動すると、凄く疲れるんだ。前に電車に乗せた時は、途中でぐずって大変だった。
 だから我が家で遠出をする時は、父さんの車になるんだが、それが問題なんだ。

「そうだな。日向がいい子にしてたら、そのうち父さんが連れて行ってくれるかもな」
「それっていつ?」
「うーん、一ヶ月か二ヶ月後?」
「そんなに待たなきゃダメなの?」

 とたんに悲しそうな顔をする日向。そうだよな。そんなに待つなんて嫌だよな。
 けど最近父さんは特に忙しくて、すぐに行くのは難しそうなんだよな。

「なるべく早く行けるように、兄ちゃんからも頼んでおくからさ」

 そう言ったけど、日向はまだ不満そうだ。
 まいったな。俺だってなんとかしてやりたいけど、こればかりはどうすることもできない。
 すると、それを聞いていた坂部の姉さんが言う。

「連れていくの、難しいの?」
「はい。しばらくは親が仕事で忙しそうなんです」
「忙しい、か。耳の痛い話ね。仕事だから仕方ないってのはわかるけど、日向ちゃんの気持ちもわかるよのね」

 坂部の姉さんは、人の家の話だってのに真剣に悩んでいる。
 そして、こんなことを言ってきた。

「ねえ。よかったら、私たちと一緒に行かない?」
「えっ?」
「うちの車、六人乗りなのよね。私たちが明日行く遊園地、あなたと日向ちゃんくらいなら、一緒に連れていけるわよ」

 まさかの提案。
 確かにそれなら、すごくありがたい。
 けど、いいのか?

「家族で行くはずだったんですよね。俺と日向が混ざって、迷惑になりません?」

 坂部とはクラスメイトだが、昨日までまともに話したこともない。この人だってそうだ。
 そんな他人がついて行っていいのか?

「私たちは構わないわよ。巧は、むしろ日向ちゃんが一緒なら嬉しいんじゃない? ねえ巧」
「うん。日向ちゃんも一緒に行けるの!?」

 日向も一緒と聞いて、たっくんはますますはしゃいでる。
 そして日向は、さっきの数倍は目を輝かせて叫ぶ。

「明日行けるの? たっくんと一緒に? 行く行く行くーっ!」

 普段は天使な日向だが、こうなったら一気に怪獣に変わる。
 ダメだなんて言っても絶対聞いてくれないのは、今までの経験から嫌というほど知っていた。
 そうなると、もう選択肢なんてない。

「本当に、迷惑じゃないですか?」
「全然。人数増えた方が楽しいしね」
「じゃあ、すみませんが、お願いします」

 俺が頭を下げると、日向はよっぽど嬉しかったのか、バンザイしながら何度もジャンプする。

「ほら、日向。ちゃんとお礼を言うんだぞ」
「うん! ありがとう!」
「どういたしまして。明日はよろしくね」

 成り行きで決まった、遊園地行き。
 けどこれ、坂部はどう思う?
 とにかく、実行委員の仕事をやってもらった礼をかねて、メッセージを送っておこう。
 そのメッセージを受け取った坂部は、驚きの声をあげたのだが、それは俺の知らない話だった。
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