婚約破棄されたら「血みどろ騎士」に求婚されました
「アニス・リード公爵令嬢、本日をもって君との婚約を解消しようと思う」

 にこやかに告げられた信じがたい言葉に、アニスは何も返すことができなかった。
 王子パトリックの成人を祝うために集った人々も、本日の主役によって投下された爆弾発言に同じく硬直してしまっていた。
 水を打ったように静まり返る祝いの場で、ひよこ色の髪をふわふわとさせたパトリックだけが、空気の読めない上機嫌な笑顔で盃を揺らしている。

「ごめんね、アニス。前々から言おうと思っていたのだけど、周りから止められて……こんなに遅くなってしまったんだ」
「は……」

 前々からとはいつだ。今日はパトリックが王太子の資格を得る日であり、アニスが彼の正式な妃として認められる日でもあったはずなのに。
 長い時間をかけて儀式の準備をしてきた者たちが、視界の端で唖然としている。無論、王子の婚約者として彼らを率いてきたアニスも当惑するほかない。
 アニスが言葉を失っているのを良いことに、パトリックはおもむろに人混みを振り返り、その手を差し出す。

「おいで、エブリン」
「パトリック様!」

 ひらりと躍り出たのは、アニスと同じ淡いイエローのドレスを身にまとった乙女だった。この場で最も高貴な令嬢と、まるで対抗するかのようにドレスを被せてきただけでも眉を顰められる行動だというのに、エブリンと呼ばれた娘はパトリックの腕にしがみついて見せる。
 そしてエブリンはくるくると軽やかなピンクブロンドの髪を揺らし、潤んだ瞳でアニスを見つめた。その怯えた眼差しは、こちらが何か悪いことをしたかのような不愉快な錯覚に陥らせた。

「皆、聞いてくれ。僕はこのエブリンと結婚する」
「……殿下、申し訳ございません。仰っている意味が、よく……」
「ああ、エブリンは男爵家の出身でね。城下のことをよく知っていて、僕もいろいろと市井の暮らしについて教えてもらったんだよ。とても良い刺激になった。これから国を治める僕に必要なのは、エブリンの──民と同じ高さにある別の視点だと思ったんだ」

 ああ、彼の良くない癖だとアニスはぼんやりと思う。
 最近は改善されてきたのだが、パトリックは幼い頃から「話したいことを話す」癖がある。相手が何を尋ねているのか汲み取れずに、ただただ自分がしたい話題を続けてしまうのだ。現にアニスは別にエブリンの出自なんてどうでもいいし、自分の知らないところで築かれた彼女との思い出など聞きたくもない。
 ただでさえ身の置き所がないのだから、早く要点を話してほしい。そんなアニスの思いが表情に出てしまったのか、パトリックがびくりと肩を揺らした。

「あ……えっと、だから。そう、アニスには彼女に宮廷作法を教えてやってほしいな」
「……」
「君の新しい結婚相手も僕が手配するから、これからも安心して王家の側で……」
「お断りします」

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