純愛以上、溺愛以上〜無愛想から始まった社長令息の豹変愛は彼女を甘く包み込む~
だめだ、話を聞いていない――。
誰か来ないかと祈るような思いで、私は床に転がったままの自分のパンプスに目をやる。
耳元に大木の息がかかりぞっとした。身がすくむと同時に五年前の出来事が蘇り、弱みを見せたくないと踏ん張っていた気持ちが崩れかけた。
「離してください……」
私の訴えなど届かなかった。大木はその腕に力を込めて私の体を抱き締めると、自分の下半身を押しつけてきた。ブラウスの裾から差し入れたもう片方の手で私の背中をまさぐりながら、力づくに唇を塞いできた。
気が遠くなりそうになったが、堪えて踏みとどまる。もがきながら抵抗して、私は大木の唇に思いっきり歯を立てた。ぶつっとした嫌な感触があった。
大木は私から離れると、場違いな嬉しそうな顔をした。
「早瀬さん、やっぱり気が強いな」
ふふっと笑いながら口元を拭った大木の手の甲には、血がついていた。ワイシャツの襟元にも赤いシミが見えた。
その時、誰かが足早にやって来るのが分かった。カーペット上でも分かる程の足音は、明らかに慌てている。その人物は、放ってあった私のパンプスに気がついたらしい。
「これ、佳奈の……」
久美子の声だ。
――助かった。
その瞬間大木の気が逸れた隙に、私はふらつく足で逃げた。喉の奥に張り付いていた声を振り絞り、久美子の名前を呼ぶ。それは弱々しかったけれど、彼女の耳に確かに届いたらしい。
私の声に気づいた久美子が駆け寄って来た。私の背後にいる大木と、ただならぬ私の様子を見て、何があったのかだいたいの状況を察したようだった。
「佳奈に何をしたんですか」
「残念。見つかってしまったな」
大木は悪びれもしない。
「何もしていないよ。具合が悪そうだったから、介抱してあげてただけだ」
「佳奈、口に血が……。いったい、何されたの」
久美子が乱れた私の髪を撫で、ハンカチで私の口元を拭う。
同僚の手にほっとした途端体が小刻みに震え出し、私は崩れるようにその場に座り込んだ。
「佳奈っ」
「む、無理やり抱き締められて、背中触られて。キスも……」
「なんですって……!」
自分を睨みつけてくる久美子に、大木は肩をすくめてみせた。
「でも、嫌じゃなかったんじゃないの。だって早瀬さん、逃げようとしなかったからね」
「違います。逃げられなかっただけ……」