ネゴシエ〜タ〜のくるみちゃん

コーラ代と相殺だぞ?

 捜査一課特殊班
 県により通称名は異なるが、刑事部に属する「SIT」と言う組織が存在する。

 1963年に発生した吉展ちゃん誘拐事件をご存知の方はどれくらいいるでしょうか?
 この事件は当時4歳の吉展ちゃんが誘拐され身代金を要求された事件。
 報道協定が各マスコミに通達された事件、犯人の声を放送で流して情報提供を呼びかけた――と言う現代では当たり前の事が行われた始めての事件。
 国民の関心も最高潮に達し、まさに警察の威信とプライドをかけた事件への取り組み、国民の解決への願いも虚しく…… 
 ①警備体制の不手際で身代金を奪われた。
 ②現場で犯人を取り逃す。
 ③吉展ちゃんの救出に失敗し、遺体で発見された。
 ④解決に2年3ヶ月を要し、あわや迷宮入りになる所だった。

 まさに、たった一人の犯人に対して、国家警察が完膚なきまでに惨敗を喫した事件であった。
 この事は警察上層部に非常に強いショックと問題意識を持ったと言われている。
 事件がきっかけになり、特殊犯捜査係が設置されたのだ。そして長い年月を経て現在のSITに至ると言う訳だ。

 よく一般的に聞く組織で「SAT」と言う特殊急襲部隊もある。こちらは警備部に属する制圧部隊である。基本的に説得は行わない。
 捜査技術に関して特化したのがSITで、重装備で突入技術に特化したのがSATである。この二つの連携で立て篭もり事件を解決に導くのだ。

 「あ、帽子被らなきゃ。いつも先生に現場では被りなさいって、言われてたんだった」
 不謹慎かも知れないが、ささやかな膠着状態から一時間と10分。
 くるみは、空腹を思い出し食事を要求した猫田の様に、カバンから取り出した帽子を被った。
 (SIT……)
 濃い緑の野球帽の前面には白地で大きく「SIT」と書いてある。
 間違いない。
 警視庁捜査一課特殊班、通称「SIT」の帽子だ。
 「あ、間違えた。こっちだ」
 「…………なっ! え、FBIだと?」
 アメリカの連邦捜査局の帽子だ。
 本物か?
 「日本に帰って来てから、もらったんだけど、やっぱり被り慣れた帽子のがいいよね、春男」
 「ちょ……ちょっとその帽子見せてくれないか?」
 「なんで? やだよ。春男、匂いとか嗅ぎそうなんだもん。キモいし」
 「…………」
 念の為お断りしておくが、俺とくるみは今日が初対面だ。実は遠い親戚だとかは一切ない。
 その後、情報班からの報告結果が入った。地元のステーキ弁当を扱っている全店舗に対しての聞き込み、地元警察の軽犯罪者リストの抽出も含め、猫田らしき人物が常連客の中にいないかの確認。
 現在は22時を過ぎている。ほとんどの弁当屋はすでに閉店している時間の様だった。

 一度仕切り直しだ。
 「よーし。みんな集まってくれ」
 俺は捜査本部内にいる人間約10名+待機している狙撃班3名を、情報が書き込まれてあるホワイトボード前に集めた。
 くるみも電話の前に座りながら、こちらを向いた。
 「まず交渉役の話では、現在犯人は投降に向けての思案をしていると予想される状況だ。だが、油断はするな。これまで通り、裏口からの不意な逃走、威嚇発砲などにも注視してくれ。犯人が要求している金の期限も約2時間後に迫っている。ここが最終局面だ。それぞれの持ち場をキッチリ対応頼む。そして、今入った、情報班からの聞き込み結果だが、あるコンビニのオリジナルステーキ弁当を頻繁に買う、二十代前半の男が捜査線上に浮上した。現在その男の自宅を確認中だが、外出している様で見つかっていない。名前は秋田健一……」
 捜査線上に浮上した犯人の名前を伝えたタイミングで、くるみの目が一瞬驚愕で見開いた気がした。
 「万が一の負傷者救護、病院の手配は出来ているな?」
 「はい。ここから2キロの市民病院で内科医、外科医、脳外科医を待機してくれているそうです。救急車3台配置完了してます」
 「犯人が要求している車と、逃走経路周辺道路の封鎖は?」
 「問題ありません。主要幹線道路の封鎖、高速のインターチェンジ付近には車両10台、高速警備隊の二輪車10台配置、山間部へ抜ける道路も封鎖完了してます」
 「万が一の突入体制は?」
 「銀行屋上に窓からの突入班5名、地上からの突入班25名配置完了!」
 「近隣住民、見物人と各種報道機関関係者への対応は?」
 「見物人の誘導は完了、半径2キロ内の住民、約50%公民館、中学校、高校へ避難、報道機関には上空のヘリの自粛を促してます」

 俺はこの事件の総指揮者として、次々と矢継ぎ早やに指示、確認を行った。
 捜査本部内も再び張り詰めた緊張が走った。
 総指揮官として、俺の対応の様子にくるみもびっくりしているんじゃないか?
 ずっとディスられていたせいもあり、そんな子供じみた考えが脳裏をよぎる。
 と、同時にくるみに対しての労いの意味も込めて、俺はくるみの肩に手を置いた。
 ポン――
 「くるみ大丈夫か?」
 「え? 大丈夫じゃないよ」
 「そうか……お前さんも、実は疲れたのか……」
 「春男さっきトイレ行って手、洗った?」
 「え? あ、ああ。当たり前じゃないか」
 「ハンカチ見せてよ」
 「……」
 「やっぱりね。しかも、ここのトイレ、エアータオルなかったよ? 男の人って約半分がお手洗い行ったあと、手を洗わないって聞いた事あるよ?」
 「……」

 ジリリリリ

 「あ、猫田さんだ」
 ナイスタイミング!
 済まない。 
 この尋問から逃れたい為に、不謹慎な想いがよぎってしまった。そして、話題転換へと続く。
 「く、くるみ! 頼むぞ!」
 「……交渉してる間、アルコールシュッシュしといてよ。あと、クリーニング代請求するから」
 「コーラ代と相殺だ」
 「…………」
 俺は電話に出る直前の急ぎのやりとり、と言う場面をフル活用+ウインク失敗をして、くるみを初めて絶句させる事に成功した。


 
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