越後上布が紡いだ恋~祖母の着物を譲り受けたら、御曹司の溺愛がはじまりました~
 哲朗から「会えませんか?」とメールがあったのは、連載の回数も二桁になろうかという頃だった。自宅にお邪魔してからも、彼とは何度か連絡を取っているが、今回の誘いは仕事ではないようだった。

 場所は健司に振られた因縁のホテル、店はレストランでなく料亭だったけれど、普通なら特別なデートと誤解されても仕方ない。

 期待して、良いのだろうか。そんなことが脳裏をかすめ、私は強く頭を振った。
 いけない。健司のことで懲りたはずなのに、また繰り返すつもりなのか。

 連載が好調だから、きっとお祝いをしてくれようというのだろう。私の記事をきっかけに、哲朗は新聞やテレビからも取材を受けたと言っていたから。

 私は何度も自分に平常心と言い聞かせながら、嬉しいような不安なような気持ちを抱えたまま、哲朗の誘いを受けた。彼の返事は「楽しみにしています」という型通りのものだったが、文章から弾んだ感情が滲み出ているのは、私の勘違いだと思いたかった。

「着付けですか? 良いですよ、うちは大歓迎です」

 哲朗と会うなら服装は着物一択。美里に電話で相談すると、すぐに快諾してくれ、私は祖母の着物を持って、当日『かきうち』に向かった。

「ルッツホテルの料亭なら、正装するべきでしょうね。残念ですがお持ちの着物は麻なので、フォーマルな場には相応しくないと思います」
「そう、なんですか……」

 私が気を落としたからか、美里は明るく言った。

「着物自体は、本当に良い物なんですよ。伝統もあるし、憧れてる方も多いです」

 哲朗もそうだった。だからこそ、私に声を掛けてくれたのだ。

「わかります。TPOに合わせる必要があるってことですよね? たとえハイブランドでも、パーカーで料亭には行けないですから」

 美里はにっこりしてうなずき、着物を見繕い始める。祖母の着物が着れないので、変わりのものを探してくれようというのだろう。

「着付けもカジュアルなシーンなら、ぶっちゃけお端折り無しで着たり、帯揚げしなかったりでも良いとは思んですよ。ただ今回はベーシックな着方をしたほうが良いです」
「基本に忠実にってことですか?」
「はい。先日はすごく簡単な着方をお教えしましたけど、やっぱり基本を知ってて崩すのと、何も知らないまま着るのは違うんですよね。ルールって一度壊すと、果てしなく壊れてしまうときがありますし」

 本当は基本を押さえてもらいたい、でもそこでくじけてしまうくらいなら、着物に親しんでもらうことから始めたほうがいい。美里も日々伝え方に苦慮しながら、接客しているのだろう。

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