雷乙女と狼公の結婚 王子の元恋人が婚約破棄を3回食らった公爵と結婚するとこうなる

「バラント伯爵家トリエルノ嬢への沙汰を言い渡す。これより5年間を修道院で過ごし、修道院を出次第、()く結婚すべし」
 これが5年前の審議会の最後に言い渡されたこと。
 そして今。
「見ろ、バラント伯爵家の長女だ。修道院を出たのは本当だったらしい」
「確か修道院を出たらなるべく早く結婚せよ、だっけ?」
「いるのか? 8歳で自宅の一部を壊したあの暴れん坊、雷の化身トリエルノ嬢と結婚したい男など」
「噂ではそれで実家に愛想をつかされ大学に入るまで母方の実家にやられていたとか」
「大学在学中に我が国の第5王子ルノー殿下をたぶらかした悪女だわ」
「それが一体どんな顔で国王陛下主催のお茶会に参加なさっているのかしら」
 あたりから聞こえる噂話というにはあまりに明瞭な声を受けてトリエルノ・バラントはスッと立ち上がっり、そのまま隣のテーブルに歩み寄った。
 少し離れたテーブルの者たちはぎょっとした顔で噂のトリエルノ嬢に視線を向けて完全に口を閉ざす。隣の席で噂話にいそしんでいた人々は戸惑ったように彼女を見上げ、ぎこちない声で問うた。
「ええと……ごきげんよう、トリエルノ嬢。我々に何かご用ですかな?」
「だってあなた方、わたくしの顔が見たいようだから」
 実家に見放された暴れん坊の雷の化身の悪女はにこりと笑う。
「見せて差し上げているの」
 トリエルノの朗々とした声が真昼のサロンに響いた。周囲の席の者たちもびくりと肩を震わせる。
「どう? 陛下直々のお誘いを断ることもできないこの臆病者の顔をご覧になって?」
 今度はトリエルノから問いかければ、誰もが強張った動きで首を縦に振った。「それならよろしくてよ」と頷いてトリエルノは己の席に戻る。自ら進んで彼女のいるテーブルに相席してやろうという変わり者はこの場にはいなかった。
 ようやく静かになった、と彼女は僅かに震える手をごまかすようにティーカップを傾ける。国王主催の茶会だけあって調度品から食器、茶葉や菓子類までこの大サロンには最高水準のものが過不足なく提供されているが、主催の姿だけが不足している。しかしそれも国王の忙しさを思えば別段不思議なことではなかった。
(陛下がおいでなら嫌味のさえずりも聞こえないかと思ったけれど)
 カップをソーサーに戻す動きに合わせてトリエルノは深く呼吸する。表情だけは平静を装って、皿の上のタルト菓子に手を伸ばす。フルーツとクリームで飾り付けられた菓子など、修道院では縁がなかった。久々の豪華な甘味に舌鼓を打ちながら、彼女は初めて参加したパーティーのことを思い出して小さく笑う。
(「人を褒める時には大きな声で、(けな)すときには同じくらい大きな声で」、だっけ?)
 人々のざわめきに隠れてひそひそと中傷めいた噂話をする者たちを、そんな風に咎めた貴公子がいたのだ。貴公子は、自分についてあれこれと言われることに心底うんざりした様子だった。その銀髪の貴公子と噂話をしていた者たちの口喧嘩は、最終的には一対多数の決闘にまでなだれ込んだ。トリエルノと同い年だという貴公子は美しい礼服のまま年上の貴族たちを圧倒して「口ほどにもない!」と呵々大笑していた。
 その貴公子がこの国でも名門中の名門と言われるフセルフセス公爵家の若き当主であった。今ではこの貴公子、フセルフセス公爵とトリエルノは社交界の2大問題児、などと呼ばれる始末である。
 そんなことを思い出してトリエルノがまた少し笑ったところで、明るい日の降り注ぐ大応接間に鈴の音が響いた。
「我らがディプス王国国王、プリム陛下がご到着です!」
 この茶会とこの国の最高責任者の到着を告げる声に、茶や菓子をお供に再びおしゃべりにいそしんでいた客人たちが皆揃って素早く立ち上がり、サロンの入り口に向かって頭を下げた。
 ギィ、と扉が開き、静まり返った部屋に明るい声が響く。
「おお、皆、そうかしこまらずともよろしい。ほら、お座り」
 宮廷侍従長に導かれて入室した小柄な老人がニコニコと笑いながらそう言った。年のころは優に60を超し、目元には笑いじわが刻まれ、口元にはひげを蓄え、いかにも好々爺といったこの老人。彼こそこの泰平を極めるディプス王国の現国王プリムである。
 老人はぐるりと部屋をめぐって招待客一人ひとりに声をかけていく。客人たちは至上の貴人からの声かけにすっかり恐縮し感無量といった様子で振舞うも、王の行列の末尾にいる銀髪の青年を見ると互いの顔を見合わせた。
「あの長い銀髪、フセルフセス狼公だ」 
「ねえ聞いた? あの狼公はこの間ついに3度目の婚約破棄をされたとか」
「ロッテンハイム公とモメて決闘したのが原因らしい。婚約者のご実家がロッテンハイム家に大恩があるとかで婚約破棄に」
「それにフセルフセス領はこの国で唯一魔獣の出る危険地帯。腕に覚えがある戦士でなければあんな場所に(おもむ)くのは恐ろしいというもの」
 そんな風に囁き合う人々の上にぬっと影が落ちた。彼らは勢いよく上げた顔を青くする。噂の男本人が会話に首を突っ込んできたのだから当然の反応だった。
「一応言っておくが、決闘の勝者はもちろんこの俺、シルハーン・フセルフセスだ」
 おまけに、冗談か本気か分からないこの人を食ったような態度であるから、どう答えればよいのかわからない。けれど、トリエルノだけは彼のふるまいに笑いをかみ殺していた。
(変わらず痛快な方だこと、狼公)
 向こうの方では、堂々とした声で己の勝利を念押しした社交界の問題児2台巨頭の片方が笑顔を浮かべている。狼公は笑うと眼光鋭い釣り目がきゅっと細くなり、僅かに開いたくちびるの合間から八重歯がのぞき、歳にそぐわぬ少年じみた無邪気さが現れる。
 シルハーン・フセルフセスという青年はその実相当な美男子であるが、それが人々の口に上るよりも早く、平素の傍若無人な振る舞いが語られる。いくら顔が良くてもあの飄々とした態度は対応に困る、というのが人々の言い分だ。
 そんなフセルフセス公爵を咎めるように、国王が彼に声をかけた。
「これこれフセルフセス公よ、卿は背が高いのだから話しかける時は少し遠慮をしなさい」
 実際、彼は190センチ近い長身で体格も良かった。
 国王の上品なお叱りの言葉も相まって、フセルフセス公は言うだけ言って満足したらしい。身をひるがえして行列の末尾に引っ付いた。ひとつに括った癖のある長い銀髪が背中で揺れる様が狼の尾を思わせる。
 国王はトリエルノの前まで来て足を止めると、彼女に問いかけた。
「トリエルノ・バラント嬢、このプリムとフセルフセス公と共にお茶をご一緒させてもらってもよろしいかな?」
 客人たちの鋭い視線がトリエルノを貫いた。全身にプレッシャーを感じながらも彼女は努めて口角を上げて目尻の力を抜くことで微笑みを作り、深く頭を下げて言った。
「陛下にお声がけ頂けましたこと、また本日のお茶会の席にお誘いいただきましたこと、身に余る光栄でございます。大恩ある陛下のお望みをどうして断ることができましょう」
 国王に相席したい、と言われた時点で貴族に拒否権はない。彼女の返事が終わるや否や、宮廷侍従長が椅子を引き、そこに王を座らせる。その隣にフセルフセス公も座り、最後にトリエルノが席に着くと、王は彼女に尋ねた。
「修道院を出てまだ数日だが、調子はどうかね?」
「おかげさまで(つつが)なく」
 笑みはそのままで返事する。
 今度はフセルフセス公が口を開いた。
「しかし、修道院を出たばかりの身には鳥のさえずりもやかましく聞こえるかもしれんな」
「さて、狼の咆哮一つ、轟雷の響き一つで黙るような鳥たちであれば気にするようなものでもないかと」
 八重歯をのぞかせどこか無邪気さを秘めた顔でニヤニヤ笑う若い公爵の言わんとしたことを察して、社交界の問題児は肩をすくめて答えた。本来ならトリエルノはシルハーン・フセルフセス公爵の地位の高さに気後れしていたのだろ。それになにより、まともに顔を合わせるのも会話をするのもこれが初めてである。けれど、彼女はシルハーンの妙に気安い態度に緊張を忘れて軽口をたたく。
 途端にシルハーン・フセルフセスは面白がるように目を丸くし、声を上げてあの少年じみた顔で笑いだす。
「噂に聞いた雷乙女が健在のようで俺は嬉しいぞ」
「狼公にそう言っていただけるのなら何よりです。それはそうと、公もこのお茶会に参加なさるとは存じ上げませんでした」
「俺は飛び入りだ。ついさっきまで陛下にお叱りを受けていたのだがお説教も終わったしお前もどうだと誘って頂けてな、喜んでお受けした次第だ」
 このディプス王国内の最重要領地であるフセルフセス領を預かる公爵が国王から直に「叱られた」などとあっけらかんというので、トリエルノは訳が分からないと言いたげな顔で国王に視線をやった。
「トリエルノ嬢と同じだ」
 国王はそう言ってため息をつくと、孫思いの祖父のような顔をした。
「ロッテンハイム公との一件におけるシルハーンの言い分に間違いはないが、どうにもマイペース過ぎるところがあるでな。妻を持てば少しは落ち着くだろうから早いところ結婚するよう言ったばかりだ」
「ついこのあいだ婚約破棄されたばかりの傷心の男に、陛下は酷なことをおっしゃる」
 そう言って若い臣下はカラカラと笑った。国の最高権威者はその態度を微塵も気にしていないらしい。 
 そうでしたか、とトリエルノは返事する。社交界の問題児二人、奇妙にも共にまだ未婚の身であるらしかった。否、問題児だからこそ、なのだが。
 国王は注がれた茶を一口飲んでまたため息をつく。
「まあ、かくいう私も末息子の結婚の世話をせねばならんのだが……」
 国王の末息子、という言葉にトリエルノは僅かに肩を緊張させる。本題に踏み込むつもりだと察してティーカップをソーサーに戻した。彼女が5年間を修道院で過ごしたのは、ひとえに一介の貴族の身でありながら王族の末子と恋仲になったことに対する罰だった。
「トリエルノ嬢も知っている通り、我が5番目の愚息は別段王族として大きな役割があるわけではない」
 はい、とバラント伯爵令嬢は返事した。
「我が国は今、非常に安定した状況にあるゆえな」
 対外戦争も終わって久しく、国内は国王を頂点とした中央集権制のもとに統治され、このディプス王国は繁栄を謳歌していた。街だけでなく、街と街をつなぐ街道にまで石畳が敷かれたことで流通が盛んになり国内経済も活況を呈していた。さらに港湾の整備と周辺国との関係の友好化によってディプス王国最大の産業である魔法石の輸出額も貿易局の政策で安定した利益を出している。
 目下の悩みといえばフセルフセス領にある巨大なダンジョンの存在である。ダンジョンからは時折魔獣が飛び出てきて人々に実害をもたらすのだが、当該地であるフセルフセス領の奮闘により被害は最小限にとどまっている。一時はダンジョンの封鎖や最深部の制圧なども検討されたが、現状維持で問題ないという調査結果が上がっている。
 当のフセルフセス領主は王の隣で身じろぎ一つせず黙ってイスに座っている。
「その状況で、第5王子であるルノーに託すべき政治的役割などほとんど無いのが正直なところだ。何せ上の4人の子らが既にそれらの役割を充分に果たしているのでな」
 言いながら、国王は末息子の元恋人を正面から見据えた。見つめられ、トリエルノは再び「はい」とだけ返事して続きを促す。
「ゆえに、本当のところを言うとレディ・トリエルノがあれと婚姻しても何ら実害はないのだ」
 国王は断言し、「しかし」と話をつづける。
「あれは曲がりなりにも王子であり、いつその立場が政治的に有用になるかもわからん。……まあそうならぬよう対外関係の構築に努めるのが我ら王国府の役目ではあるのだが、やはり王族という立場故にあれを軽々に結婚させるわけにもいかんのだ」
「はい」
「我ら王侯貴族は生まれながら平民たちにかしずかれるが、それは決して平民たちの無償の献身ではないのだ。王侯貴族はそれに応える義務があり、さらに王族は貴族にすらかしずかれることにもまた応えねばならん。その意味で貴族と王族はまた別の存在なのだ」
 トリエルノ嬢なら分かるだろう、と言われて彼女は言葉もなくうなずく。10代の大半を共に過ごした今は亡き母方の祖父母によく言い聞かされたことだった。正面ではフセルフセス狼公も首を縦に振っている。
「とはいえ、まあ時代が時代なのでな」
 王族の長は明るい声で言って大皿に積まれたスコーンに手を伸ばした。二つに割ってクリームとラズベリーのジャムをたっぷり乗せて満面の笑みになった老人は、大皿を若者たちの方に押しやる。
「さすがに旧来の法に則り王族との密会の罰が終身刑というのは時代にそぐわん。それに何より、審議会中に出現した魔獣の撃退戦でのトリエルノ嬢の活躍ぶりは目を見張るものがあったのでな」
 その結果、トリエルノと第5王子ルノーの密会騒ぎに関する審議会で、彼女には特権階級として刑務所の代わりに修道院で5年間を過ごすという沙汰が下された。彼女同様にその場で審議を受けていた王子には王宮の隅にある東離宮での謹慎が申し渡された。
 しみじみとした顔でスコーンを頬張る国王に、恋人だったルノー王子とともに審議会に出席したことを思い出しながらトリエルノは頭を下げる。
「自らの魔力をもって戦い民を守ることこそ王侯貴族に共通する務めなれば」
「良い心がけだ。しかし5年間の修道院生活も大変だったであろう。今日のこの場は社交界復帰の慣らしの場として活用すると良い」
 会話が一時的に途切れたのを見計らって、黙ってばかりいたフセルフセス公は大皿からスコーンを取ってトリエルノの皿に乗せてやり、ついでにクリームとジャムの入ったポットを彼女の方に押しやりながら言う。
「レディ・トリエルノ、茶をもう一杯どうだ? 陛下もいかがですか?」
 貴族の中の貴族というべき青年が手づからティーポットの茶を注ぐのを眺めながら、彼女は20歳になったばかりの頃の恋を思い出す。
(ルノー殿下もこうやって手づから私のために茶を注いでくださった)
 それが本当に嬉しかった。トリエルノはあの頃本気でルノー王子が好きだった。けれど修道院で泣き暮らしていたのも最初の3か月だけで、それ以後と言えば、修道女として慎ましく、そしてそれなりに忙しく過ごしていた。時折ルノー王子のことを思い出すことはあれど、必要以上の感傷に浸ることは無く、ただ過去の美しい恋の思い出を振り返るにとどまった。恋が終わったことを惜しむ気持ちはない。
「卿は黙っていればなかなか良い男なのだがなぁ」
「陛下、俺はしゃべっていても良い男ですよ」
 注がれた茶を飲みながら、国王は若い公爵と軽口をたたきあっていたが、ふ、とその応酬が止んだ。国王が黙り込んだのだ。自分のスコーンに遠慮なくジャムを乗せていたフセルフセス公とトリエルノはスコーンの最後の一口を飲み込んで斜め前に座る国王に目をやった。
 老齢の王はつぶらな瞳で同席する若者たちを熱心に見つめながら、思いつめた様な声で言った。。
「トリエルノ嬢よ、フセルフセス公よ、思えば結婚せよと言った余がその世話をせんというのはいかにも無責任な話だ」
 同席していた若者二人は互いの顔を見合わせた。3度目の婚約破棄を食らった目の前の貴公子が銀色の目を丸くしながらも口元に笑みを描いたので、かつて王子をたぶらかした修道院帰りの悪女は急展開に戸惑い国王に視線をやる。
 この後に続く話が分からないほど察しが悪くなれない自分が憎い、とトリエルノは内心で毒づく。
「トリエルノ嬢、もしもまだ誰からも婚約を持ちかけられていないのであれば、そこのシルハーン・フセルフセス公爵と結婚するのがよかろう」
 国王の言う「よかろう」は貴族にとって「そうしなさい」の意味を持つ。
 それが分かっているのかいないのか、王はトリエルノを見つめて微笑み、喋ることを止めない。周囲の席に座す客人たちにも会話が聞こえていたらしい。身を乗り出すようにこちらをうかがっている。
「フセルフセス領は魔獣もよく出るが、トリエルノ嬢ほどの魔法の使い手であれば問題ないだろう。悪くないのではないか?」
 国王の言葉を聞きながら、トリエルノは正面に座る夫候補に視線をやる。呆れと戸惑いと驚きの混ざった彼女の表情を見て助け舟を出したのは、意外にもそのフセルフセス狼公自身であった。
「陛下からの提言であれば喜んでお受けしますが、しかし彼女のお父上バラント伯が今頃どこかでトリエルノ嬢の婚約を取り付けているかもしれません。情報の行き違いがあってはいけませんから、一度バラント伯爵家に伺いを立てるのが筋かと存じます」
 年若い臣下に言われて国王は頷いて言った。こういう時すぐに家臣の言葉を受け入れるのがこの老齢の王の美点だった。
「ならば、行って来ると良かろう」
 実際、茶会もそろそろお開きの時間だった。

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